祖父の第二次大戦中の写真を淡々と貼る
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 21:21:44.94ID:4IkY+Nl10
盆に親戚の家に行った際、押入れから祖父の遺した戦争中の写真が
何十枚か出てきたので、そのまま保管してるだけなのも勿体ないしうpする。
朝鮮は平壌、玄武門の前
ちなみにほとんどは朝鮮で一部中国の写真ね
最終的には曹長だったらしいから職業軍人だね
たしか実家にこんな写真が何枚かあったな
60枚ほど。でも個人の肖像とかがけっこう多いから全部は貼らない。
祖父は高射砲部隊で聴音機の担当だったので高射砲絡みの写真が多い。
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 21:47:56.51ID:PXopFVyS0
>>13
これ、何で高射砲に網(?)かけられてるの?
>>27
この網に枝とか葉っぱをつけるじゃん
上から見ても分からないじゃん
攻撃受けにくいじゃん
本来はこれに葉っぱや草を差し込んでカモフラージュするとかうんぬん
そういうことだろうね。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 21:30:01.90ID:9EmyzHCo0
写真見つけてから調べたんだけど、音で敵機の確認をする役目とか。
聴音機自体の写真もあるから後でうpる
>>11
これだな
【聴音機】
聴音機(ちょうおんき)とは、空気中・水中・地中などの音波を聞き取る装置のことである。この項目では聴音装置のうち、空中聴音機について説明する。空中聴音機は夜間、または霧、雲などの気象条件が悪く、目視によって航空機を特定できない状況下で使用された。
聴音機すごいな
うちの爺さんも関東軍で少尉やってたな
爺さんは一兵卒から叩き上げで満州事変から中国行って
4回召集されて4回帰ってきてた
>>15
凄いね。うちの祖父は同じく叩き上げで、2回行ってきたらしい。


うちの爺さん
上が満州事変の時20代前半
下が大戦末期で30代後半
他にも中国人の処刑シーンを収めたドキッ!第二次世界大戦の思い出の写真集が
親父の実家にあるっていう話wwwwwwwww
終戦の時は地元で唯一帯刀を許されて帰ってきたっていう話
馬賊の処刑写真あるから後で貼る
>>23
爺さんイケメンだなwww
二枚目のは後ろに絵画でもおいてるのか?
>>23
昔の日本人は環境のせいなのかイケメン顔でなくとも男らしさがあってカッコイイ人多いよなぁ
>>29
凄みなんかね
>>34
特攻隊にいたおじいさんと話したことあるけど、
戦前の日本で育った人は根本的に現代人とは精神構造が違うよな。
「特攻で死ぬのが怖くなかったですか?」と尋ねたら
「うんにゃ、戦争なんだから特攻より惨めに死ぬ奴はいくらでもおったからな」
と平然と答えてたのが印象的だった。
>>40
うちの爺さんは戦争で簡単な手術なら覚えてきてて
婆さんが盲腸になったときに手術しちゃったらしいwwwwww
で、実家の家業は早々に長男に任せて趣味の焚き火ばっかりしてたってwwwww
俺も爺さんが畑で何をするでもなく焚き火してるの覚えてるwwwwwwwきっと焚き火すると昔の何かを思い出すのだろwwwww
>>48
軍隊経験者の人って、戦場・戦闘のことは語りたがらない人多いけど、
戦争体験(軍隊生活)の話なら割と楽しそうに話すんだよな。
そのおじいちゃんはたき火に良い思い出があったんだろうかwww
ごはん焚く匂いとか戦友と語り合った情景を連想するとかww
皆整列してる写真。
三枚目はアルバムに貼るための裏面の糊が滲みでて酷いことになってる。
64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:08:47.45ID:xUdgbcno0
>>42
これが連合国相手に戦争してる奴の面構えか
今の日本にこんな顔してる奴いないよな
>>64
最近の戦争映画がCGとか凄いのにリアルに感じられないのは、
やっぱり昔の軍人のような顔つきをした役者がいないからなんだよなー
真夏のオリオンとか、セットはよくできてるのに結局現代人が演じてる昔の軍人って感覚が最後まで抜けなかった
これはものすごくいいスレ
こういう写真って簡単に取れたのかな。従軍記者みたいなのじゃないとスパイと間違われるだろ。
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:03:09.68ID:ml0XAZ6G0俺のじいちゃんがもってた写真はこんなに大きくない。
>>1のじいちゃんは立場が上だった方だと思う
写真が大きくしっかりしてるのは、写真が趣味だったらしいから
良いカメラを持ち歩いてたせいだと思う。
俺のじいちゃんも特攻隊だったらしいけど、ま、しょうがないよなって感じだったらしい
当時19歳なのに
特攻艇?に魚雷命中して体当たりはできなかったそうだ
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:05:49.62ID:Lon+FvqD0
>>57
シャツの白さと顔の黒さの対比が軍隊生活の過酷さを物語ってるな……
俺の爺さんの従兄弟さん、中国で死んじゃったんだよな。
数年前に爺さんの戦時中のアルバムにその従兄弟さんの軍隊の手帳が挟まってた。
経歴や戦死した際のケガとか状況が克明に書かれてて、泣きそうになった。
こうやって集合写真に写ってる多くの人が死んでいったのかと思うと辛いな。
すごいな、なんかうまくいえないけれど、感じるものがある
実際に照空燈で飛行機を照らしているところ。
「照空燈ヨリ飛行機ヲ照セル景況」と書いてある。ちなみにこの写真はポストカード仕様。
いきなりだけどコレが>>30で書いた馬賊の処刑写真。
首が切り落とされて落ちる瞬間を撮ったもの。左奥で次の処刑を待つ男の
衝撃的な表情が生々しい。グロいの苦手な人は要注意。
【馬賊の処刑写真】
変なキャプション付けてアレな人たちに利用されないために一応画像に説明付き。
>>71
軍刀振り下ろしてる軍人のブレ具合がその瞬間を撮った感があってリアル過ぎる……
当時の様子を知ることができて勉強になります。
>>71はグロとくくるんじゃなくて、史実として見ればいいとおも。
怖くて見れない…
どんな感じ?
>>75
首が落ちた瞬間
処刑待って馬賊の顔が引きつってる
周りに群集沢山
ほんの70年前には馬賊なるものがいたんだなって衝撃
>>89
馬賊って名前だが賊じゃないぞ
清末期は満州じゃ治安が悪化してしてたか治安維持のための民衆の自警団
ただほんとうに賊なことしていた連中もいた
日本軍と戦ったりロシア軍と戦ったり、反対に味方したりと色々と立場が変わった
>>97
本当に賊だから殺されたんじゃないの?
兵站線荒らしたりしてたんだろうなと思ったんだが。
亀だけど
>>97
馬賊にも色々あるけど一般的なのは村を守る為の村人による自警団のようなものだけど
仕事はそれだけじゃなく他の村を襲って人や物品などを略奪してくるのもお仕事。
もう自分が処刑されるってのを実感するとこういう表情になるんだな
想像もできないことだ
写真っていうのは一瞬を切り取るんだなぁ
この処刑待ち男も数分後には死んじゃってるんだろ
歴史だ
見といて損はない
96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:25:12.43ID:ZkhsqKj50
>>1のじっちゃん大阪の高射砲部隊なんだよな?
もしかしたら同じ部隊にいたかもしれないじっちゃんが
関東だよ。主に朝鮮へ派遣。
同僚の人たちの肖像もけっこうあるから後で貼ろうか。
写真があるだけいいよな、空襲で全部焼けちゃったよ、こっちは
凱旋の時の写真の背景には大阪毎日新聞って看板があるけど関係あるかな。
116:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:36:17.68ID:4IkY+Nl10
117:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:39:21.98ID:kzO+laBU0
なんかどの写真も結構しっかり制服着てて現場って感じがしないな
規律がしっかりしてたってことなのか
>>117
たぶん現役兵部隊で規律がしっかりしていて、
更に朝鮮半島なら気候的に穏やかでそれほど着衣が乱れなかったんじゃないかな?
他にも、制服しか着るものがないから我慢してるとか…
最前線以外では身なりとかの規律重視なのはどこの軍隊も同じみたい。
米軍でも本土の基地での演習風景と前線での服装の乱れ具合って同じ部隊とは思えないものだしww
俺ノ家真心?
九二式戦闘機。「愛國」「朝鮮」と書いてあるけど、これは朝鮮の人が
寄付して造られた飛行機らしい。当時朝鮮は本土の都道府県を含めても
三番目に寄付が多かったらしく、かなり協力的だったのが分かる。
>>122は
【九五式戦闘機】
これだな
>>677
よく似てるけど>>122は九二式の方だよ。上下の羽根の接続部分を見ればわかる。
今更ですけど、>>122の奥のほうの機体は八八式軽爆撃機
八七式重爆撃機。かなり古いものらしいから、
この写真の時点で既に使われてないかも。
>>129
前輪のとことか、人物比でみると凄いデカイなw
87式は1935年まで使われてた
わずか28機しか生産されてないからこの写真貴重かもね
152:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 22:51:29.95ID:ml0XAZ6G0
>>145
2枚目すげーなww
>>145
複葉機は独特のロマンがあってええのうww
>>145
一枚目は 93式重爆かな
爆弾。飛行機から落とすやつかな?
何だかよくわからないもの。室内。
>>160の上、箱に入ってるのは迫撃砲弾にも見える
実際俺らの世代だと戦争なんて話と画像だけでしか知らないからな
戦争経験した人の話とかってやっぱ貴重だよな
>>166
戦争体験者といっても、実際に兵士として戦地へ行った人と、子供時代に防空壕に逃げ込んだ経験のある人と色々。
歩兵だった人のビンタ地獄の生活と、パイロットでうまいもの食ってた人と、同じ軍人でも凄い差があったりするんだよな。
色んな人の話を聞いてみたいものだ。
ちょっと羨ましいな
俺の祖父は最後まで呼ばれなかったらしいが
戦争関係のは戦前の明治天皇御製読本ってのと
長門のアンバランスなジェンガみたいな写真がのってる本しかねえ・・
>>168
俺のじいちゃんも周りが戦争行くの見て自分も行かなきゃって思ったらしい
で志願したら終戦したって
朝鮮の現地人が洗濯してるとこっぽい。
こちらは詳細不明の謎の女性。
>>174
現地の女性かな?
キレイに写ってるな
>>174
凄いなぁチャングムの誓いの世界だw
本当に昔の朝鮮の人たちはこんな姿で生活してたんだな。
ばあちゃんの兄貴は特攻隊に志願して出撃する3日前に終戦になったらしい
わりとよく聞く話だ
>>177
それと同じく終戦前日に戦死した人もいるんだよな
乙式一型偵察機って・・・
大正時代の飛行機が飛んでるのか・・・
同時期に撮ったっぽい写真の裏には昭和17年と書いてある。
勉強になるスレだな
高いところから撮った風景。
アルバムを広げているのが印象深い同僚の写真。
勲章付けてる偉そうなお方。
>>198
二枚目の軍人さんの階級ってどのくらいなんだろな
三枚目の人は地位のある人に見えるが
>>206
二枚目が上等兵で
三枚目が軍曹かな
俺のじーちゃんの家に「南京入城記念」って手元の軍刀で彫ったという象牙のハンコがある
オフクロによると戦争の話は子供に聞かれても一切しなかったという
ばーちゃんによると、とてもおぞましくて多くは語れないと言いつつ、いくらかは話したらしい
その中でも南京での話は
「人ってあんなに残酷になれるのかと思ったが、自分もだんだん感覚がマヒしてきてひどいことをした、それ以上はとても言えない」
とだけ語ったらしい
ちなみにその象牙、ある資産家の家に押し入ったら象牙の置物がいっぱいあったので
それを取り上げて部隊の中にいたハンコ屋に作らせたものらしい・・・
みんな精悍な顔してるな
でも上官からの暴力とかひどかったらしいよね
じいちゃんもよく愚痴ってた
やっぱり食生活が違うからかな
顔の骨格が現代人と違う気がする
自衛隊なら星3つは陸将だよね
【日本陸軍階級章】
ググッたら出た
どうやら二枚目の方は上等兵さんみたい
>>218
確か、今の自衛隊の士長と異なって、上等兵は自動昇進じゃないから優秀な方だったんだろうね。
ダントツで「良い顔」してる人。
遊郭らしき場所でハメを外している方々。一番奥で恥ずかしそうにしてるのが祖父w
一枚目の方の凛々しさに打ち震えた
二枚目wwwwwwwwwwwwwwじいちゃんカワイイなwwwww
既婚者だから自重してたんだと思うw
>>225
真ん中とその周りで明らかに空気が違うw
>>225
女がそこそこ綺麗めだからイラっとする
60年前の写真に嫉妬するなんてwww
>>225
中央のはっちゃけ軍人が古参で>>1の新兵おじいちゃんとかを
「俺が女遊び教えちゃる!」とか言って連れて行った感じなんだろうかwww
裏に「奥谷祐一郎」と名前の書いてある写真。誰かここに親戚の人が居たら面白いね
機関銃
襟に26とか28ってあるけど、これって何だろ
師団?連隊?
それとも別のもの?
>>285
第26高射砲連隊 多分だけど
じいちゃんかっこいいなあ
>>253
高射部隊だからか重機関銃も対空仕様なんだなー
珍しい写真だ
270:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 23:29:32.39ID:hvgEQ3mv0
>>267
おおおおおおお!!
右から3、4番目の人らが指揮官かな?
>>253
の二枚目は三年式機関銃
>>1のじいさんすげー
うちの爺さんは学徒出陣でフィリピン行ったらしいけど詳しくは話してくれなかったな
うちの爺ちゃん朝鮮で戦死してる…父ちゃんに生前の話でも聞きに行こうかな
というか戦争体験者と直接お話できるのも
俺たちの世代ぐらいまでなんだよな…
うちのばあさんの兄だったかな
伍長に上がって、お前らついてこーいって感じで先陣切らなきゃいけないから嫌だわーって言ってたんだってさ
で、結局中国で戦死してしまったそうな
その人は二男だったんだけど死んでしまって、長男は戦争行ってなくて
でも、戦死した二男はいい人で、長男がろくでもない奴だったらしく、あいつが死ねばよかったのにって言われてたらしい
歴史的にも貴重な写真だな。この写真を見て俺は平和な時代に生まれてよかったと思う。
最初は隠そうと思ってたけど遊郭ので言っちゃったからもういいや。
祖父の写真。たぶん下は十代の頃。
>>286
二枚目かっけええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>286
なんという凛々しさ
>>286
超イケメンじゃねえか
着てるものが品が良いなw
結構良いお家だったのかな?
大工の息子で小卒醤油屋丁稚奉公。良いお家とは言いがたい。
>>286
昔の人ってなんでこんなにかっこいいの?
俺の曾じいちゃんの写真もテライケメン・・・俺はどうしてこうなった
>>306
戦前で粗食だから基本的に理想体型、軍国教育軍隊経験で男はガチで男らしい、
品位を重んじるから写真写りを気にする、とか色々理由があるんだろうな。
ニートやってたら赤紙来ました、って言って強制的に軍隊行きになる世界w
>>315
マジか・・・
ネットをやって自堕落な生活を送っている俺には耳が痛い話だ
>>318
自堕落に生きていけるのは平和と豊かな証拠
ただ男がそれで格好良いかは別の話
>>328
だよな・・・
本当、>>1のじいちゃん含め戦時中を生き抜いた人には敬意を表したい
>>338
一番重要なのは危機感を覚えることさね
「明日とも知れぬ命」な毎日なら人間必死になる
必死になった人間は格好いいものさ
…自分もそう出来てるかは難しいけど
戦時中の人達ってそういう意味では確かに凄い
>>357
危機感か・・・
現代人に足りないものってよく言われるけど、
こういう写真とかを見るとそのとおりだな、って思う
何か近所ではお洒落で有名だったみたい。
戦後はかっこいいバイク乗り回してポインター犬飼ってたとか。
みんな反応良すぎで何かうれしいわw
二枚目のは裏に15歳って書いて後から消した跡がある。間違ってたのかも。
何れにせよそれくらいだとしたら大正時代の写真だね。
高校時代それなりにモテたけどフツメンだと思うw
韓国のイ・ドンゴンっぽいとか言われたことあるけど、たぶん似てない
昔の20代のほうが今の30代より圧倒的に精神年齢高そうだ
15歳くらいの>>1のじいちゃんは24歳の俺より遥かに成熟した雰囲気がある・・・
347:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 23:48:40.47ID:l7JVNpvG0
>>342
これは何の集合写真?
368:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 23:55:36.48ID:l7JVNpvG0
>>359
なんて書いてあるの?学が無いので分からないorz
>>368
日本弘道会~支部(暴力団の方じゃねえぞ)
発会式記念での撮影 ~庭内
徳川たつたか伯爵(会長)
随行員と発起者一同
>>378
ありがとう。
>>1の写真も消してあるけどほんとは左から三番目に「これが自分だよ」ってマークが付いてる。
>>348
確かに頭上に点があるな
しかも右の人若干微笑んでないかww?
高射砲のを一枚貼り忘れてた。こういう文字はネガに直接刻んでるのかな?
ちなみに>>1が撮られた玄武門の今。
>>342
すげえ。ちゃんとしたスキャンで見てみたい。
>>370
今と昔がちゃんとあるってすごい感慨深いな・・・
長男に生まれる→家を継ぐ責任を叩き込まれる
次男以下に生まれる→死んでもいい要員として軍隊や丁稚奉公行き
昔の日本人男性は男尊女卑の時代とはいえ、それに見合った責任があったんだよな。
小卒丁稚って今でいう中卒派遣みたいなもんか?
358:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 23:52:43.19 ID:qVL8TFqU0
>>344
当時は小卒なんて当たり前だろ
今で言うなら中堅大卒くらいにはあたるんじゃないの
>>358
マジか大学いってたうちのじいさんは結構がんばったんだな…
>>375
いつのデータだったか忘れたけど、戦前の大学進学率なんて5パーセント程度だったはず。
だからこそ大学へ行く意味があったし、ちゃんとした職が約束されてたんだろうな。
……それでも戦争になったら学徒動員で特攻隊へ優先配備というんだからシャレになってないけど。
うちの曽祖父か誰かが陸軍中将だった
昭和初期と今の子供の平均顔ってまるで違うらしいよ
386:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 00:03:43.99ID:CKWtySx10
日付が変わったのか
>>381
こんなにたくさんのすばらしい写真を貼ってくれただけでも十分だよ
>>381
今の子って言っても俺とかも当てはまるが昔は今みたいな食事じゃなかったから顎が四角いんだと
硬い物が多かったとばっちゃが言ってたな
【徳川達孝】
徳川さとたかみたいだなw
うちの爺さんは「女々しいから」って理由で青学中退して早稲田出て三井物産に就職して、
そろそろ出世するってところで徴兵されたな
老兵って言っていい年齢で二等兵で中国戦線に送られたかなんかで
シベリア送りの末、帰ってきたときには緑内障で視野が健常者の半分くらいになってたらしい。
エリートコース一直線だったはずが、帰ってきたらそれまでの部下がずっと出世してて、
子会社の子会社に出向させられてうだつの上がらない日々を送ったらしい。
毎日港湾労働者引き連れて酒飲んでは地回りのヤクザと大喧嘩してボロボロになって
家に帰ってきては気の強いばーちゃんと大喧嘩してズタズタになって、
それでも次の日にはちゃんと出勤してたみたいだった。
戦争の被害者っつーのも死んだり家族を殺されるだけじゃないってのが最近心にしみてわかってきた気がする。
祝凱旋と書いてあるから一回帰ってきたときだろうか。
二枚目は間違えてモノクロ化してから保存しちゃってたからスキャンし直そ
>>407
兵隊さんがヒーローだった時代ですけん……
昔はやりすぎかもしれないけど、自衛隊がパレードしただけで市民団体にケチつけられる現代もどうかと思うな。
412:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 00:12:26.01ID:IhchFkBy0
>>402
それはこれだろ
【一式陸上攻撃機】
特攻じゃなくて雷撃攻撃のために超低空進入中
同じく凱旋時の写真。どこなのか気になる。ていうか誰が撮ってるんだろう
>>406の写真は一式じゃなくて、96式じゃないかえ?
垂直尾翼が2枚に見える。まぁ、特攻で突っ込んだのかも知れんが、普通には雷撃
機動だな。
うちのオヤジは貨物船の機関長だった。ボルネオでボカチン食らって、漂流、助かったが
お袋と結婚後昭和38年に遭難して死んだ(行方不明のまま。認定死亡)。
機銃掃射食らって、操舵手が12.7mmを首に食らって死んだそうだ。船乗りでいろいろ外国に
行ってたらしく、ダンスが上手くてお袋が驚いたそうだ。ビリヤードが大好きで、4つ球を
ハンデ付きでやってた。ガキンチョの頃、一緒に付いてゆくと、ビリヤード屋に
出前でラーメン取って食わせてくれた。美味かった。
昔の人ってのは、外見じゃ判らないんだよね。普段は漁師のおっちゃんだったんだがなぁ。
416:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 00:15:39.21ID:ivNWTnAC0
>>413
字体が良いなwwwww
そういやウチの会社も戦前からやってたから探せばこんなやつ出てくるかも
裏に名前が書いてあるものの、アルバムから剥がす訳にはいかず名前不詳の同僚の方。
こう言うのも失礼だけど、当時の米人の抱く典型的な日本兵像っぽい
こちらは剥がれかけてるため「中川晋吾」と読み取れた。
>>414
普通の兵隊の人なんだけど、すごく緊迫感を感じるな
これはまだ貼ってなかったっけか。手前真ん中の人がくつろぎ過ぎw
>>423
手前土掘り返しているように見えるけど
もしかして塹壕?間違ってたらごめん
これぐらいの年代の方達の目から見ると今の日本はどういう風にみえるんだろうな
>>429
俺のじいちゃんは秋山監督の文句ばっか言ってるよ
>>430
普通過ぎてなんか和んだw
>>429
ちょっとしたタイムスリップ体験者みたいな小野田寛郎陸軍少尉によると「何もかもが金で計られてしまう社会」に見えたそうだ。
散った戦友に報いようと、財産を全部靖国神社に寄付したのをマスコミに
「あんなにお金を寄付するくらいだから政府から金をもらったんだろう!」と袋だたきに遭ったのに対してそう感じたらしい。
豊かになったのは素直に喜んだんだけど、善意までも金で計られるのが嫌でたまらなかったんだとか。
命をかけて戦った甲斐があったと思ってもらえるのだろうかねぇ
保存状態が良い写真。右下に平壌のM.井上スタジオとの印がある。
こちらも保存状態良好。たくましい。
>>436
兵隊がふくらはぎに巻いてるのは何?
軍服着るたびに巻くんじゃ毎回大変そうだな。
>>474
【ゲートルの巻き方】
451:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 00:30:43.85ID:y4pzGsH60
>>444
>>1じいちゃん絶対にこれ目つき怖すぎるから彩りを持たせた方がいいって気を遣ったんだろうなw
>>444
なんか可愛く見えてくるなぁ
実は乙女心があったりして
>>457
そこはかとなく耽美な印象を受けますw
あーあとカッコいい人が多いのは、昔は写真は修正するのが当たり前だったからかも、とも言っておく
白黒だから出来るワザなんだな
ただしそれは写真館で撮った写真に多い
ってかそれがほとんど
スナップ写真や現場写真ではあまり行われてないとされる
先日亡くなったうちの爺様はチチハルで軍付きの獣医やってて、予備役で招集された数カ月後に
シベリアに引っ張られたそうな。抑留の経験は全く語ってくれなかったけど、大変だったんだろうなぁ。
本当にお疲れ様でしたって気持ちで送らせてもらった。
そろそろ写真も残り少ないから親から聞いた祖父の体験談でも少し書くか。
朝鮮では現地の人はかなり親切で、色々とお世話になったらしい。
軍人であることに生きがいすら感じていたらしく、父には嬉しそうに戦闘体験を語ってたとか。
でも戦後の元日本兵に対する視線の厳しさ故か、現地で人を殺したことについては死ぬまで語らなかったらしい。子供が近所や学校で言いふらしたりすると、皆から白い目で見られるような社会になってたからかもしれない。
>>461
お疲れ様です。
貴重な写真を色々とありがとうございました。
こういうスレがたまに建つからVIPは面白い。
>>461
俺の祖父もどこだったか忘れたけど現地の人とは親しくなってよく酒飲んでたとか言ってたな
戦争それ自体が悪だってのは分かるけど、
戦争ってひとくくりにしてしまって善悪を論じてるのをたまにみかけるとなんか違和感あるんだよな
自分でも何言ってのかわかんなくなってきたけど、要は>>1乙ってことで。
まだ写真はあるよー
>>466
お疲れ様です
ゆっくりと貼ってもらって結構です
戦争が終わった途端に過剰なまでに軍国主義は悪って風潮になって帰還兵は肩身の狭い思いをさせられたらしいな。
1のじいちゃんみたいな軍人ばっかなら半島との関係も今とは違ったものになってたかもね
それまでさんざん戦争を賛美し煽り立てていた各新聞社がGHQに尻尾振って一斉に軍部批判に転じたからね。
その頃からマスコミの体質は全く変わってないよ。
それじゃ、おやすみ~~~_ノ乙(、ン、)ノシ
乙。あと二枚なんだがな~
>>471
特攻隊だった人が一番腹立ったのは、自分を学校の誇りだと送り出した教師が、
戦後に生き残って母校を訪れたら「軍服姿で学校に上がるな!」と追い出したことらしい。
軍服姿だったのは、特攻で死ぬはずだったから私服を全部処分してたから。
>>478
おかしいよ・・・
>>483
ほんと、戦後の日本はドラマとか観ていても、なんだか軍人に全ての罪を負わせ過ぎだと思うよ。
戦争煽ったマスコミや、進んで教え子を戦場へ送った教師をほとんど描いていないか、描いたとしても嫌々やらされてた描写だし。
そんわけあるかって実際にそのおじいちゃんに話を聞いた身としては思う。
>>488
当時はマスコミだけじゃなくて世論もそういう流れだったしな
開戦を決めるかどうかの会議でも「開戦しないとしても、いつまで世論を押さえ込めるかわからん」
という発言を誰かしてたはず
「今こそ攘夷を」とか知識人が発言してたりするし
そういう勘違いというか思い上がりを国民全体でしていた
この点は重要だと思う
482:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 00:46:01.58ID:MvilDbXO0
二枚か…それくらいなら頑張って起きてよう_ノ乙(、ン、)_
俺も婆さん爺さん生きてるうちに色々漁って写真みせてもらわないとなー
先祖の写真見てもどれが誰だかわからねえwってなるのは悲しい
反省してるのかと言われれば現代の俺たち含め微妙なんだよなw
正しい史観なんてものは存在しないのはわかってるんだけど
他にもエピードとしては、戦後軍刀を回収されそうになった時に
「アメ公なんかに渡してたまるか」とブチ折り、折れた刀は神棚に飾ったとか。
思想的にはガチガチに当時の軍人らしく天皇陛下万々歳で、
終戦後もテレビに天皇陛下が出るごとに涙を流す勢いでありがたやと拝んでたらしいw
さてあと二枚。中国は遼寧省、鳳凰城を攻める時の写真だと思われる。
「鳳凰城の運命切迫」と読める。
>>487
乙!
おじいちゃん、筋の通った方だったんだなぁ……
>>487
攻城戦の写真とか初めてみた
>>487
それすごくわかるw
ばーちゃんも細川護熙が首相の時に「あれは侵略戦争だった」発言にすごくキレて
怒った姿をめったに見たことがないとても温厚な人が、上京して殺してやるとか言ってたくらいだからなー
毎日1回仏壇の部屋にある今上天皇の写真にお辞儀をするのはデフォルト
>>1乙
貴重な資料の大放出感謝。
昔の人たちを身近に感じるわ。
この前戦前の新聞読んでたら、当時の社説は面白かった。
ソ連攻めてるドイツの快進撃を賞賛して占領政策や接取した施設の利用方法なんかを解説してた。
ロンドン空襲も報道してたよ。勿論賞賛して。そんなモンなんだよなあ・・・
俺のじいさんは戦後11年間捕虜としてシベリアで強制労働、撫順の戦犯管理所に
収容されてたんだが、>>1のおじいさんは戦後すぐ帰って来れたの?
うちのじっちゃんは満州に2回行ったとか。
話は普通に聞けたな。
とりあえず寒くて鼻水も凍るしションベンしてても凍るとかwww
一回、じいちゃんは何人殺したかって聞いたことがあるわー。
子供って残酷よねwww
そんときの答えが、何人かは正確にはわからんwただ、1人は確実に殺した。お前は誰だって聞いて答えなかったから殺ったと。
相手は欧米人だったらしいが、日本語で聞いても答えるわけないわなー…って言ってた。
遅くなって申し訳ないけど最後の一枚。出征の際の家族たち。
ゴミ・キズや折れ目を修正した超高解像度のもの。一人ひとりの顔が見える。開けるかな?
>>511
1枚目が割と俺の家の近くで取られた物っぽくってなんか感慨深い
>>511
三枚目本当にくっきりはっきりわかるな。
貴重な写真をありがとう。それじゃ、今度こそ本当におやすみ_ノ乙(、ン、)ノシ
貴重な写真ありがとう
無知だけど見入ったわ
>>1乙。
戦争の行間というか、自分の知らされなかった「戦時下の日常」を見ることが出来た。
とても貴重な写真をありがとう。
とりあえず手持ちの写真で貼れるものはこれで終わり。
また何か見つかった時はこうやってスレを立てたいと思う。
こんなスローペースなスレにわざわざ付き合ってくれてありがとう。
ちなみに今回ここに貼った写真の扱いはアフィ全開な強欲ブログへの転載以外は
基本的に自由だけど、安易な左翼的プロパガンダ等への変な利用とかはしてほしくない。
じゃあ皆おやすみ。
>>533
お休み
乙でした
>>533
おやすみー!
……こうして安眠できるのも、おじいちゃんたちの努力の賜物なんだよな。
勉強になりました
スレタイだけ読んでレス
2年前にじーちゃんに話し聞かせてもらおうと思ったんだけど
あんまり乗り気じゃなかったなぁ。ぼけてきてるせいもあるのかな
もう90後半だし…
シベリア抑留されてたんだけど、なんか調理係みたいなのやってたんだって。
みんなが少しでも楽しめるようにがんばったらしい
>>537
おじいちゃん中帰連かい?
>>544
わかんないけど1947には帰ってるな
>>1
写真見た。ためになったよ。
今の俺のがんばりは命をかけなくいい時点で先人とは比較もできないんだよなぁ
>>553
47年か、じゃあ違うね
中帰連の人たちは50年代中頃まで帰って来れなかったから
>>537
うちの爺様も抑留組だったけど、当時の思い出は子供達(うちの親父と伯父さん)にも話そうとしなかったってさ。
語るのも辛い、そんな記憶だったんだろうな。
>>594
そりゃあ、戦地で死ぬような目に遭って散々苦労して、何とか生きて帰って来たら悪者扱い。
誰でも語る気力を失うよ。
誰が一番悪いって?広報でノウノウと戦争を煽ってたマスゴミやその他の馬鹿共だろ。
昔の写真を見ると何ともいえない
虚無感と言うか空しさと言うかがくるけど
不思議と鬱にはならずに、明日も頑張ろうと思える
>>1乙、貴重なものを見せてくれてありがとう
>>1
貴重な資料ありがとうございました。
おやすみなさい。
>1 乙です
貴重な資料をありがとう
558:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 01:33:00.37ID:74l9wqAe0
>>555
爺さん板垣退助かよwwww
>>1 乙でした
うちの親戚のおじさん餓島に増援で行ったけど、行くまでの船で8割方沈められて
島に上がったはいいけど装備なんて皆沈んでるから
元から島にいた部隊と一緒に毎日島の奥の畑や集積所から前線まで荷物運びしかしてなかったって言ってた
食うもの無くて30kgの体に荷物30kg担いでジャングル歩いてたんだと
本格的な戦闘は終った後で、もう敵からも味方からも見捨てられてたから
(米軍も飛行場や主要部を守る部隊だけ残して次の島に行ってた)敵の姿も飛行機もほとんど見なかった
もう生きるだけで必死で、同僚は飢えとマラリアでバタバタと…
結局、終戦ちょっと前のある日突然どっかから弾が飛んで来て負傷して気絶して捕まって捕虜になって生き残ったって
まあ結局同期の増援組で日本に帰れたのは1割だから幸運だったんだろうね
>>560
南方戦線は地獄過ぎるな……
>>563
戦闘すら出来ずに亡くなった方が多いんだよな…
>>565
ガダルカナルだけでも、投入戦力の2万人の内、実際に戦闘で戦死したのは6000人ほどで、
あとは敗残兵狩り状態だったと言われてる。
制海権と制空権をとられてしまって、末期には補給物資を送るのが夜間の潜水艦によるネズミ輸送くらいだった。
次第に日本兵同士で食糧を奪い合って殺人事件まで起こる状態にまでなったという……
>>569
第三次ソロモン海戦時に輸送艦11隻投入して6隻沈没、1隻損傷帰還
島に上がれた(というより無理やり突っ込んで座礁させた)のが4隻で
これに乗ってた人員が4000人だったらしいんで
単純に考えてこの時だけで11,000名のうち6,000人は上陸もせずに海の底なわけだ
餓島に上がれた陸上戦力の総計が増援含めて31,000とからしいけど
上がれずに海の底の人たちはこれには入ってないわけで
その他海戦で沈んだ軍艦、ネズミ輸送で撃沈された駆逐艦等含めると
5-6万人はあの周辺に眠ってるんだろうなと
>>584
敗戦間近かと思う様な消耗戦っぷりだけど、
第三次ソロモン海戦って真珠湾攻撃から一年経ってないんだよなぁ。
576:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/05(日) 02:00:05.74ID:lJ7okskA0
>>1乙
このスレに出逢えて良かったよ
我々の時代を忘れないで欲しい
ありがとう
うちの祖父は、インドネシアへ向かう途中、乗っていた軍艦が魚雷か何かで沈没、
当時兵士として再起不能の大怪我を負った為に、各地の病院を転々としながら、
誰とも戦わず、日本の田舎に直行帰宅してしまった。
この軍艦沈没事件は、陸軍史上、結構有名な事件だったらしい。
当時「仁将」と呼ばれたI氏の部下だったわけだが、戦時中、あの水木しげるもこの人と
会話した事があったらしい!
ゲゲゲの女房を見てI氏が嫌いになったという人が多い様だが、当の水木しげる
自身はこの人物を高く評価していたようだ。
【今村均 】
>漫画家の水木しげるは、兵役でラバウルに居た際に視察に来た今村から
言葉をかけられたことがある。その時の印象について水木は
「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」と評している。
写真は無いけど、地元の掛川は余った弾薬落とされたって言ってたなぁ。
あと牧之原では練習機がよく飛んでたとか。
ばあちゃんのお兄さんは陸軍で、ビルマで戦死したらしい
生き残りから聞いた話しだと哨戒中に突然倒れたんだそうだ
死因は栄養失調
おぉう・・・なんという良スレ
歴史の教員なので授業で使わせてもらうわ
ありがとう>>1
>>604
左翼教師じゃないだろうな?
>>610
左翼じゃねぇよwww
教科書の写真よりリアル感あるから戦争について考えてもらおうかと思ってね
馬賊の処刑も見せるつもり
PTAに怒られなきゃいいんだが・・・
なにより>>1の許可でしょ
まだスレ保守されてたのかー。
>>611-612
ご自由にどうぞ。どれか大きく印刷したいやつとかがあったら
高解像度のやつ上げるよ。
>>611では無いけれどzipで欲しいです。
>>616
あいよー。ここに貼った写真全部入れた
【写真ダウンロード】
俺は戦争は嫌い。
だけど、爺ちゃん婆ちゃんをさも否定するような今の日本の風潮はもっと嫌い。
うちの父方のじいさんの方はラバウルに行ってひたすら畑仕事ばかりしてたら
マラリアにかかってすぐ後送という全く盛り上がらない話
ラバウルは芋だけなら売るほどあったんで(他所に送り届ける船は無いが)腹が減ることもあまりなく
マラリアの処置も早かったので、ただただ申し訳ないと
>>607
無事に戻ってきてくれたなら何よりだろう
>>608
分かってると思うけど、一番最後の言葉は
死んだじいさんが戦争の話をする時に
日本に帰れなかった人や自分が芋食ってた頃に前線で食べることもできなかった人に
申し訳なかった、申し訳なかったって口癖みたいに言ってたってことね
うちのおじいちゃんは戦争いかなかった
その変わり戦争に行ったお兄さんは帰ってこなかった
田舎での戦時の風潮の中過したことと兄を失ったことを思うと切ない
黙々と今でも畑を耕してるのはなにか胸に秘める思いがあるのだろうか
既出?
30年近く前に他界した。生まれる前だったから会ったことはない。
だからこそ余計に興味が湧いたのかもしれない。生きてたら来年で100歳くらいだと思う。
母方の祖父が海軍の予科練乙種合格だった(高等小学校までしか出ていないため)。
予科練に入って2ヶ月で終戦になったから、飛行機にも触ってないとか。
地元で試験・検査→土浦で試験・合格→天理で基礎教育→茨城県谷田部で終戦という流れだったようだ。
今考えると旅行のようなもんだったなぁと言っていました。
>>1
ありがとう。
いいスレだね。
うちはもう聞くべき人々は亡くなって顔も見たこと無いから残念だ。
まだお爺さんたちが存命されている方々は、ぜひ今のうちにたくさん話を
聞いて、ネットの海に残してほしい。
この数年が、本当に最後の機会だから。
うちにもおじさんの写真あるけど重要ある?
>>629
是非見てみたい。よろしく
>>629
ぜひお願いします
>>1 >>632
おk
1さん貴重な写真を本当にありがとう
ところで結構あるんだけどどうしよう 陸軍航空学校の卒業アルバムとか・・・需要ある?
とりあえず飛行機写ってるのだけスキャンしてくる
>>633
是非見て見たい。ココの書き込み見てると祖父も戦前生まれだけど戦争行ってないっていう人が良いるよね。
もう戦争行って、帰ってきた人がドンドン少なくなってるからそういう史料は大事。特に本人の解説なんかが無いとそこでその家の伝承が絶える。いつでも判ると思って後回しにしたら一生聞けなくなよからね。
東京陸軍航空学校って書いてある 少年飛行兵だったらしい
1枚目は編隊飛行する飛行機
2枚目はおじさんと戦友さんたち 後ろの飛行機はよくわからん
>>639
保管状態良いね。二枚目が素晴らしい。
ちなみにおじさんは戦死してます
祖父の兄にあたる人らしい 祖父も亡くなってるので詳しい話はもう聞けない
もしもおじい様や身近にそういう話が聴ける人がいたら是非とも聞いておくべきだと思う
キ10九五式戦闘機ですね。
日中戦争で活躍してます
ありがとうございます 飛行機とかさっぱり分からないのでありがたいです
顔アップの画像
おじさんと戦友さんたちの集合写真 真ん中は上官さん?
>>646
2枚目の真ん中の人は将校かな?
肩章が違いますね
一枚目の後方の機体は九七式戦闘機のように思われます。
低翼単葉固定脚、格闘戦(ドッグファイト)に強い軽戦闘機です。
日中戦争からノモンハン、太平洋戦争初期まで陸軍の主力機でした。
大戦末期には特攻機として多用された機体です。
またもや詳しくありがとうございます。特攻にしようとか聞くと切ないです
実家に帰った時に探してみるのは絶対にいい
俺もたまたま実家に帰った時見つけたので
ゴミとして処分されてしまうものも多いそうなので、どうか捨てられる前に見つけてくれ
九五式戦闘機の前で集合写真
飛行機に乗って決めポーズ
1さんの写真と家にある写真の雰囲気がだいぶ違うのはその人の性格もあったりするのかな?
>>650
2枚目は練習機ですね。
ぱっと見て赤とんぼ(九五式中練)のように感じるけれど、翼がなにか違うような気も……
祖父がなくなったときに処分されてしまった・・・
代替わり時に処分する家って多いよ。
あとは生前に本人が処分。
子なら静止できないけど、孫なら制止できるかもしれないから頑張って静止したほうがいい。
あと、処分する時に業者が買い取る可能性もある。こうなると転売(良い写真だけ摘出)で家の財産が四散して二度と元には戻らないから注意。
同じく九七式戦の前で
別のアルバムのほうスキャンしてくるので少し次のうpは時間かかります
>>657
凛々しいなぁ
飛行服を着てる写真ってのは季節がわかりにくいですね。
上空は寒いから夏でも厚着しますし
>>657
写真がどれも綺麗だね。うちのはアルバムに糊付けされてたせいで
どれも染みてきてボロボロになっちゃってる。
>>1
うちのは写真の角の2か所を金具?で固定してあるからかもしれん
ただし無くなってしまっているものもおおい
のりづけに比べればすぐ取れちゃうし・・・
明日の朝までこのスレ残ってますように
良い写真を本当にありがとう
需要がありそうなら後でzipにまとめておく
ただいまです
写真の横に描いてあった文によると
「軍神加藤少将の下に黙々として訓練に精進をせし頃」
とあるので、加藤隼戦闘隊にいたっぽい
なんか飛行機の写真
真ん中の写真は本当に加藤隼戦闘隊の機体マークですね!
これはすごい。
少将ということは戦死後ですね。
おじさんは昭和17年に満洲へと転属になるまで64戦隊にいたそうですので、多分生前も知ってたのかなと思います
>>683
3枚目一人残らずガチムチなのが凄えwww
これが本物の軍人なんだな…
>>686
この時代は徴兵じゃなく選抜試験だろうから、身体測定とかしてガタイのいい奴が優先的に採用されてたんだろう。
>>683
ということは17年の夏ごろの写真ですね。
そのころは黒江保彦少佐もいたんですよ
復員してからアルバム纏めたからじゃね?
残念ながらおじさんは戦死している
昭和19年に亡くなっているので、亡くなるまでの間にまとめたんだと思う
保守ついでに貼ろうと思ってた画像。聴音機のやつの高解像度版。
>>666
三枚目の飛行機、パイロットの視界はどうなってるんだろ。
>>671
胴体から離れて高い位置についた翼(パラソル翼)のおかげで前上方の視界は悪いけど
下方向の視界はいいから離着陸しやすいのとちょっとした地上偵察には便利
飛行機なんて結局視界のどっかは翼で見えませんから。翼の位置は用途による
怪我をして入院した時の写真
看護婦さんと一緒
>>667
色んな戦争体験の本読んでても共通して病院生活は天国だったって書いてるんだよなw
心に余裕ができてこの写真を撮ったんだろうかwww
こんな歴史的にも大事な資料として十分扱えるモノを何故VIPで…
自分もそう思ったけれど、少しでも多くの人に見てほしかったっていうのもある
あと、どこに資料として提出していのかもわからないし
卒業アルバムも見たいとあったのでうp
表紙 なんか布張りだし蛇皮?も使われてて豪華
航空学校の生徒といってもまだまだ少年・・・
海水浴に行った時のもの 当然ながら褌です
>>1
何度見てもすごいフォルムの機械ですね
じいちゃん職業軍人じゃなく船乗りの学校の人間だから特攻艇に乗ったって話だけど
一度話聞いてみようかな・・・だがちょっと聞きにくい・・・
母方のじいちゃんは190近い大男で部隊でも一番強かったらしいけど詳しい話を聞けないまま亡くなってしまった・・・
どうでもいいけど何で俺の身長はそのじいちゃんより20センチ以上低いのだ
卒業アルバムだ!すごい。初めて見た
本当にありがとう。
資料館とかに寄贈したら何年も一部の人の目にしか
触れない場合も多いしね。
>>687
住んでる地域(この板は県名でないのね)によるけど、資料館は寄託と寄贈の二つを選べる。
寄託は返してって言えば返してくれる。寄贈はあげる。
で、「資料館とかに寄贈したら何年も一部の人の目にしか触れない場合も多いしね。」っていうけど寄託・寄贈者が
皆に見せてって言えばちゃんと公開するよ。でも保存状態が悪くて破損する可能性が高いと補修に時間がかかり見れなくなる。
折角寄贈して貰った財産をボロボロにしちゃあ・・・ね。
本人が許可すれば大体見れるけど、アルバムは情報タンマリだからなあ。
これで最後です
>>1さん、貴重な写真をたくさんありがとうございました
スレ途中から乱入して申し訳なかったです
開校式の日の記念飛行
集合写真2つ
>>698
乙。ほんとうに貴重な写真をたくさんありがとう。
>>698
こういう集合写真っていいよね。
この中で何人が戦争を生き残ったのだろう
本当に良いものをみせてくれてありがとう。
1さんと629さんに感謝
>>629のおじさんは、黒江保彦「あゝ隼戦闘隊」あたりに名前が出てたりしてね
>>1も>>629もお疲れ様です。
いいものを見させてもらいました。さぞ手間もかかったことでしょう。
>>629
乙!
多謝
>>1も>>629もお疲れ様!
うちにもじっちゃんの写真あったけど
組み体操の写真ばっかだなんだこれ
>>723
おじいさんは陸軍の人?海軍の人?
陸軍少年飛行兵とか少年戦車兵学校、海軍の予科練(海軍飛行予科練習生)かな
>>726
小さいときに死んだからな・・・
特攻いくために飛行機の操縦の訓練してたとはいってたが本当かどうかはわからん
>>727
ということは少年飛行兵か予科練ですね。
十分ありえる話ですよ。
この子犬を抱いた少年は17歳で特攻出撃しているのですから
子供に見せたら「ねーねーなんでこんな色なの?」の説明からしなきゃならなくて・・・トオイメ
まともに見てもらえる日はまだ先のようです
理解してもらえるのはさらにその先かなぁ
でもまぁとりあえずデジタルデータになってるので、これ以上は劣化しないんだし
「その時」まで保管しておこうと思います
すいませんこれにて名無しに戻ります
お邪魔いたしました
まとめサイトの人、もし見ていたら>>1さんと同じ方向性で処理していただけるとありがたいです
よろしくお願いいたします
一応zipに纏めておいた
乗せた写真全部入ってます
【629さんの写真ダウンロード】
ありがとう
最期に商業紙(新聞・雑誌)には無断掲載禁止って宣言しとけ
じゃあ宣言しとく。ここに貼った写真の一切は商業紙、有料コンテンツ等への
転用を一切禁止する。個人的な用途(面白可笑しく使うことはやめてね)や
軍事関連の資料としての個人サイトや教育機関での使用は全面的におk。
>>1さんと同じく、アップした写真の一切は商業誌、有料コンテンツなどへの転用は禁止させていただきます。
個人的な用途や資料としての個人サイトでの利用は大丈夫です。
ただ1さんと違うのは教育機関での使用はやめてほしい。理由はちょっと言えないのだけれど。
面白おかしく笑ったり、故人や関係者をバッシングするなどの用途には絶対使用してほしくないです。
>>750
忠告ありがとう
気付きもしなかったので本当にありがたい
「軍事関連の資料として」ってのは、つまり思想的・政治的観点が多分に含まれる
記事や授業の中で、印象操作の為に使ってほしくないということ。
写真の使用自体はここに定めた通りだけど、レスやここのスレ自体の扱いについては
ニュー速VIP板のローカルルールに従ってほしい。
お疲れ様。 良いスレを立ててくれてありがとう
まめ速管理人は戦争には無関心でした。毎年、終戦の日が来ても少し黙祷を捧げるだけでその意味については考えた事もありませんでした。今の日本があまりにも平和で戦争は遠い国での出来事としか認識していませんでした。1さんと629さんが提供してくださった写真を見て65年前に日本で戦争が起きた事を忘れてはいけないのではないかと思いました。630さんが仰る通り、この数年が実際に戦争を体験した人から話を聞く最後の機会です。私の祖父は亡くなってしまいましたが戦争経験者でした。存命のうちに話を聞くべきだったと後悔しています。このスレをまとめてもよいか悩みましたが、少しでもご覧になっている皆様の心に届けばとあえて個人の方のお顔が載っている写真も全てまとめました。また、戦争経験者の方からお話を聞いた方のレスも出来る限りまとめました。ご指摘等ありましたらコメ欄にご意見ください。また、1さん629さんの意にそぐわない場合はメールフォームまでご連絡ください。最後に、このような貴重な写真を見せてくださいました1さんと629さん、またスレにいた皆様に心よりお礼申し上げます。
管理人やるじゃん。
管理人真面目だな
最近の日本人は平和ボケしてるからこういう写真とか勉強になる
管理人△
不謹慎かもだが昔の人は佇まいがかっこいいな
同じ日本人とは思えないくらい
ここの管理人さんえらい
1さんのzip削除されちゃった?残念だ…
軍服が全然大二次世界大戦中じゃない件
爺さんの写真がやばい当時の感性ではどうかしらんが
今の世ならモデルでも俳優でも好きになれそうなイケメンっぷり
海パンでの集合写真皆いい体してるな、軍人だから当たり前かもしれないけど。
昔の日本人は小柄で~ってだけでその人たちを一段下に見る評論家なんかがいるけど現代人よりかずっと屈曲なんだろうな。
アゴでけぇ
※7
どう見ても第2次だよ。ぶち殺すぞ?
1のじいさんの写真のセンスがやべえww
被写体の切り取り方がうまいな
良スレだった
管理人のおかげで知ることができて良かった
GJ
学校の勉強よか遥かに為になりました。
今からでも、じいちゃんたちに恥ずかしくないように生きよう・・。
まとめてくれて有難う。
>>1の家柄がとても気になったw
戦前の日本人は肝っ玉が据わっていて骨のある顔つきをしているね。
現代人にはなかなか持つことの出来無い信念ってものを感じる
どの人にも瞳の中に決意が見える
写真を見ると最近いわれてることがそうなのかなとおもう。
なにかというと、
昔の人はイケメンで精神的にも強い人が多かったんだよ
でもそういう人たちは戦争でほとんどが体をはって死んでしまった
生きて帰ってきたのは、戦いから「逃れた」人が多かった
生き残った人は「そういう人」が多いから、戦争のことを話したがらないし
大戦前に比べ、顔形、精神もこみで日本人全体の「質」が落ちてしまった
今は丁度、浄化時期で、そういう人間から生まれたダメな子孫が
自分たちで子供を作らないでリセットをして
未来にまた優秀な人間が残っていく過程なのではないか、ということ
実際、子供を作ってるのは体力的に優秀か、勤勉で明るい奴か、そういう人ばかりでしょ
で、戦後直後の団塊はクズばかりで今はこの体たらく、それが今、ダメな集団が子供を作らないことで是正しようとしてる
全部は自然淘汰なんだよ
みんな戦前を悪とするのは悪いみたいな事言うけど
実際、一時代前から気持ちを割り切って
新しい時代に生きていくには必要なプロセスだったよね
それと軍部は結果的に
明治100年の遺産を全部失わせたんだからから、それなりに
悪くいわれても耐え忍ぶ責任があると思うよ。一個人の思いは別としてね
かっこいいよみんな。^^
素敵だなあ。
昔の人はみんなきれいな顔してるな
やっぱり今とは環境が違うからかな
とても面白かったよ。
まとめ乙です。
日本が戦争に突き進んだのが間違いだったとしても、
純粋に国のために戦った人を悪く言うのは良くないよね。
※17
くだらん優生学的思想だこと。
管理人さんありがとう
小中高教えられた「日本軍人悪人説」もうほんとやめて欲しい。
管理人さんお疲れ様。
昔の人は顔つきが精悍ですね。
その人々が命がけで守った末裔と今の日本を見て、
どう思うのだろう・・・
面白かった!聴音機カッコイイ!
1のじいちゃんマジイケメン(;´Д`)ハァハァ
写真に写ってる人はみんな目がキレイで、それだけでもう胸が痛い
ネトウヨが発狂しそうな話題がちらほら
馬賊処刑が、反日どもにねつ造利用されそうで怖いお
逆にもっと池山 隆寛みたいなイカツイ顔の人ばかりだと思っていたから
けっこう今風で幼い顔の人がいるのに驚いた
不謹慎かもしれないが、最初は結構軽い気持ちでこのページを開いた。
けど、いつの間にか時間を忘れて見入っていた。
とてもいい勉強になったよ。ありがとう。
私の祖父はまだ徴兵年齢に達していなかったため、戦争には行きませんでした。そのため、今回戦争体験したご家族の生の写真を見る機会をいただけて本当に勉強になりました。
管理人さんも、本当にありがとうございます。
本当に貴重な資料で、このような機会をつくってくれたことに感謝しています。
考えさせられる。
今、自分が抱える不満や、怒り、不安なんてものはちっぽけ過ぎる。
このような時代を生きた人の気概をもってすれば簡単に乗り越えられそうだ。
非常に貴重なスレだな。
今のサヨやウヨが言ってることが願望混じりってのが再確認できた。
当然だけど、戦争なんてやるもんじゃねーということも。
うちの曽祖父も何処かの戦地に行っていたらしく、家にどっちゃりと勲章?とかが残ってる
もう他界してしまっていて話を聞く事も出来ないが生きて帰ってきた事に感謝する、おかげで今の俺が居るからな
※17みたいに生き残った人を「逃げた」などと蔑むような奴は一回自分の祖父、または祖母に話を聞いてみるといい、どのような形であれ二次大戦に関わっているはずだからな
話を聞いた上でまだそんな事が言えるのなら、お前は※17の言うとおり、ダメな子孫なのだろうよ
うお、写真残ってるなんてすごいな。
爺さん、大和の駆逐艦に乗って帰ってこなかった・・・
私の父は関東軍で奉天に居たとき終戦になりシベリア抑留に遭いました。
はるばる黒海のほうまで連れて行かれたそうです。その体験のせいか、
日本が他国と戦闘行為に関わるようなことに対して全て否定的(自衛隊の
存在さえも)でした。
もう父は亡くなりましたが、最近日本人はもう(戦争が悲惨であるという
記憶は留めておくべきだが)太平洋戦争を評価しなおしても良いのでは
ないかと思うようにもなりました。
連合国側が、東京裁判で日本人を裁く事が出来るような立派な立場では
無いという事も、中国・韓国がどのように日本を陥れてきたか、ソビエト
が自国民をどれだけ犠牲にしてきたかも、ようやく理解して来た気がします。
長文 失礼しました。
日本ってやっぱりすげぇ国だったんだな。60年以上前でこの水準
うちの爺ちゃんの兄貴は、中国で死んだらしいけど遺骨も何も無いんだってさ。未だに探してもらってる状態だって言ってた。
家の上(天井近く)に亡くなった先祖の写真を祀ってるんだけど、他の人が年寄り多いのに一人だけ若いし、軍服着てるしで「誰?」って聞いたら兄貴だって言ってた。
詳しい話は聞きづらくて聞けないんだけど、こないだも靖国神社にはるばる行って拝んできたらしい。うち中国地方だからかなり遠いけど、やっぱり年取っても家族なんだもんなぁ・・。
その爺ちゃんもだいぶ年だし、聞きづらいけど機会見つけて戦争の話聞いてみようかな・・。ちょっと緊張する。
おまえらにが意外とまともでワロタ。
まだまだこの国もすてたもんじゃぁない。
自分のじいさんのアルバム、宴会で女装とかろくなのが無いw
実際には戦地ではとても写真なんか撮ってられなかったんだろうが。
基本戦争に理解ある(というか卑下していない)一族なんだが、
宇垣中将の特攻だけは「行きたいなら一人で行け!」と全員言ってたな。
基地から近くて隊員が遊びに来たりして、父は特攻隊員の一人によく
遊んで貰ってたそうだが、だからそこ終戦後の犬死にが許せなかったん
だろうな。
都合の悪いレスを消すな
>>1公認だったもみあげですら叩かれたってのに
気に入らんな
17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 21:38:11.26 ID:1hkUMblA0
>>1
画像に「まとめブログ転載禁止」って書いときなよ
18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/04(土) 21:40:31.46 ID:4IkY+Nl10
>>17
ハ○速とかだと嫌だけどもみあげチャ~シュ~とかなら気にしない。
画像に書くのは何か嫌だな
戦争美化者ども乙
こんな写真にノスタルジックな気持ちになれる精神構造は理解できませんね
俺は日本好きだけど軍とか大嫌いなんで。
今の日本人が取り戻さなきゃいけないのは景気じゃないよな。
日本人としての誇りだよな。
※42はよく読め
705 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/09/05(日) 20:05:35.30 ID:Bk+NIF590
ハム以外はおk
↓
やっぱりアフィNG
↓
もみあげとかの部分だけ抜粋して掲載
汚いwww
752 名前:1 投稿日:2010/09/05(日) 21:58:40.92 ID:3R+ib6Hf0
もみあげに載ったか~。まああそこにはいつも笑わせてもらってるし、
左右までアフィべたべたなとこに比べりゃ綺麗なもんだから別にいいや。
ただ、まだ落ちてないのに載せたことだけはちょっとね。
せめて落ちるまで掲載は控えて欲しかった。ああしろこうしろとは
これ以上偉そうに言いたくないし、後は管理人の判断に任せる。
いいスレだった。
軍人さんの顔つきが精悍すぎて言葉を失う。
軍服外人に精悍もくそもない
殺人者の集まりだ
おそらく、当時の人々は真っ直ぐだったんだよ。
家族と一緒にいたい、でも、守るためには自分が行かなければならない…。
「御国の為に貴様が出来ることは何か?」という言葉を聞いてだ。
日本人に、今も責任感のある人はいる。そして、それを平気で踏みにじるものも現在になってもいる。
地球温暖化防止活動なんて、その最たる例さ。
「地球を守るためにあなたが出来ることは何か?」と、指導者が言うと、みんな自らを犠牲にしようとする。無駄だとか、無力だとか分かっていても、貫き通すべきものがあったわけだ。
だから、軍人が人を殺したのかもしれないが、そう仕向けたのは戦争という狂った機構があったからだ。いったん狂った歯車は、歯止めが利かず、破滅へと進むのみだ。
そうならないためには、わたしたちが今この世界で平和に暮らしていることをしみじみと先人に感謝しなければならない。
感動した。
戦争はよくないけど、この時代の質実剛健な精神は忘れないで欲しいものだ。
日本人だとか関係無く、国の為に戦った軍事達には敬意を示すよ
今の奴にはない~とかいきなり語っちゃう俺カッコイイ(ワラ
人は二度死ぬ(ry
すばらしい写真だけど、戦争のことを知れば知るほど、
傲慢な侵略戦争で、自国民も他国民も大量に殺してしまった日本が嫌になる。
うちの爺様も徴兵されてて、出征時の写真は見せてもらったことがあるけど、
たぶん、今はあのアルバムごとないだろうな。
戦争の話を聞きたかったけど、こちらがそういう話を聞けるようになる前に亡くなってしまった。
※40
言うのや思うのは簡単だからね・・・
戦争中のなんでのんきに写真撮ってんの?
戦争があって犠牲が有って現在の我々がここにいる
戦争美化反対論者も居るだろうが・・・
戦争があったと言う事実は消せない・・・
侵略戦争で有ろうと宗教戦争であろうと確実に人は死ぬ
虐殺虐殺というけれど亡国の2発の爆弾で大量虐殺も行われている
日本を嫌になる事は無い・・・それが戦争だから
目を背けるのも嫌うのも一向に構わないが・・・
戦争と言うものを美化する訳ではないがそこにも人が居た
先達達に失礼に無いように理解を深めるのも供養の一環かと思う
もしかすると写真の中の1人の兵隊さんのお陰で今の自分がこの世に
生まれて来ることが出来たのかも知れないのだから・・・
運命の糸は思ったより複雑に絡んでるから
良い写真をUP有り難う御座いました
※11
ぶち殺すぞって殺害予告か?
なんでそんな攻撃的なんだ。
写真の多くは1937年より前に撮られたもんだろ。
日本の参戦は1941年から。
もちろん貴重な写真である事は変わりない。
>虐殺虐殺というけれど亡国の2発の爆弾で大量虐殺も行われている
警告無しでもなかったんだから、因果応報だとしか思えない。
もちろん被爆者には罪はないけど、日本という国が大罪を犯した。
その報いだと思う。
国民に愛国心という洗脳をかけ、いいように使い最後は捨て駒のように殺した。
日本という国への不信感は、こういう過去をきちんと明確にして謝罪しない限りぬぐえないよ。
いつか、またやるんじゃないかと思う。
当時のじいちゃんばあちゃんは一生懸命生きていただけなのに、「思い上がり」だとか「傲慢な侵略戦争」とかっていうふうに言ってしまうのはやっぱり負けたからだろうかな。
※54 戦場カメラマンとか全否定?
※57
あんたの下らん正義論はいいから
なぜ「東南アジアで」日本が「欧州の」英蘭軍と戦闘したのかには言及しないし、
アメリカが宣戦布告以前にすでに米軍を中国で活動させたことはどう思ってるの?
ハワイ王国になんでアメリカの太平洋艦隊基地があったの?
日本という国が大罪を犯したっていうが世界に蔓延していた帝国主義批判ならともかく
日本だけの批判なんてそれこそ都合のいい解釈だね
当事者でもないのに謝罪なんか必要ない。
国としての謝罪も賠償も終わってるんだから。
当時の事は当時の価値観でしかはかれない。
写真見て凄いと感じてる人は戦争自体賛美してるわけじゃなく、あの時代を生きた人への敬意でしょう。
あの戦争があって今の日本があるんだから。
貴重な記録を拝見できて良かったです。ありがとうございました。
爺さんが田舎の山に落ちた焼夷弾の不発弾叩いて遊んでたら、発火してえらい事になったって言ってたけな。
その後、東京に出稼ぎかなんかに行った時に、東京大空襲に巻き込まれたらしい。
幸い、爆撃地区からわずかに逸れて無事だったけど、爆撃機から焼夷弾が落ちて来るところを見たらしい。
戦争賛美するつもりはないが、今のマスコミの戦争報道の仕方は異常。と、言うか体質的に戦中と全く変わってない。
そもそも史料とかで「侵略」の言葉は使うべきではない。その言葉を使った時点で、中立の立場から見れていないため史料としての価値は無い。
まあ、「聖戦」とか「正義」とかも当然NGなわけだけど。
今の二次大戦の出版物のほとんどが、研究や学習に使えない代物過ぎて困る。
あ~、あと南京は万単位で殺したのかって言うのは眉唾もの。それだけ殺せば再開発の時にそこら辺からたくさん骨が出てくるはず。
ただ、戦争だったし、小規模の殺戮はあったろうね。
なんかネット右翼見たいな意見になっちゃったね。
長文ごめんね。
管理人さん、ありがとう。
思想なんてどうでもいいです。
今の日本人に命をかけて家族や愛する者、国や文化を守る覚悟があるかどうかということだけ。
うん、日本だけに責任があるのはおかしいよ。
それは完全に同意する。アメリカもロシアも中国も同様に糞だし
それなりに理由もあると思う。そして日本も同様だ。
あと軍服ってカッコ良すぎるのが罪だね。同じだけの大義が
うんこ掃除のようなダサくてカッコ悪いものにあっったら、
お前らそれに命を捧げられるか?もしくはそれを尊敬できるか?
男にとって軍服は
カッコ良すぎるが故に、物事を正しく評価するのが難しいともう。
確かに軍服はカッコ良いなw
日本のはダサいとか言われるけど全然カッコ良いと思う…。
当時の少年達が憧れたのも分かるわ
ナチスの黒服なんかは中2オーラがカッコ良すぎて脱糞するレベル(ナチスが良い悪いじゃなくてねw)
しかし、管理人かっけーなw
見直した
>当事者でもないのに謝罪なんか必要ない。
満蒙開拓青少年義勇軍の方々なんかは?
関係者は存命の方まだまだいらっしゃるよ。
あんなひどい話はないよ。
※62
>そもそも史料とかで「侵略」の言葉は使うべきではない
英語はinvadeって普通に使うんだけど。世界のスタンダード変えなきゃね
※66
日本政府が開拓団を送ったことは非難するひとがいるけど、
満蒙開拓団がソ連軍に虐殺されたことにはクチを出さないことが多いんだよな。
「葛根廟」ってアマゾンでも売ってる本に、当時の体験者達の記録があるから
興味のある人は読んでくれ。
※62
当時の中国兵は、内戦とかの敗残兵狩りにかこつけて、日本領事館とか外国の重要施設を略奪したり
勤務してた人に集団リンチとか平気でやってたレベルだったからひどいよな。
戦争なんだから民族と国家の数だけ立場があるんだが、ちょっとでも日本側の立場を
見ようとすると、金切り声をあげて中国側の見方だけを飲み込めというのがおかしい。
日本兵の写真をみて日本人が素直に格好いいと思ってしまうのは、イデオロギーとか
関係ない自然な感情なのにね。
俺生まれる前に祖父は二人とも亡くなってるから
祖父って存在自体に凄く憧れる
出征はしたらしいが焼け跡世代の親から伝聞で聞いた話しか知らんからなぁ
いいものを見た うp主も管理人さんもありがとう
満蒙開拓団の方々は日本政府にうまいことだまされて、最後は見捨てられて
ほとんどの方が現地で辛い亡くなり方をし、存命の方は戦後補償を受けてない(兵隊ではなかったという理由で)。
うわっつらだけかっこ良ければそれで満足な人が多くてびっくりだよ。
服が良ければなんでもいいのか。
従軍経験ある父方母方祖父、そのどちらにもなんとなく戦争の話ってのは聞きがたい。
父方祖父はどこか南方の島→沖縄へ転戦して、中隊か小隊で唯一の生き残りとして帰還
母方祖父は海軍経理学校出た後軍の計算事務?に従事
でもこういう写真みたいな資料として見たわけじゃないし、自分の祖父たちがなにをして生きたのか、知らないんだよな。今聞こうにも片方は故人だし、片方はまだらに惚けてる。
とても貴重なもの、とても勉強になった。ありがとう!
やはり祖先は偉大。
戦死された方も含まれてると思うと、こみ上げてくるものがありますね。
祖父は二人とも自分が生まれる前に他界してしまったので、こういった写真を見る機械がないので勉強になりました。
成人越して、自虐史観や賛美から距離を置いて判断するよう努めておりますが、やはり国を守るために戦った方々は立派に見える。
社会人になったら靖国に参拝しに行く。
>28 >43 >47
>52 >57 >62
>66 >70
左翼の共産主義の旧ソ連、中国、北朝鮮、カンボジア、ベトナム、人民のため、
革命闘争、清算闘争の名のもとに、1億人近くの人民が虐殺された。
これらの国々を素晴らしいと言ってきた(いまだに言ってる)日本のサヨクがいる。
すげー貴重な写真だね、いろいろ考えさせられる
431でぐさっときた
そういう考え方は無かったな・・
戦時中の明るい祖父さんたちといえば、坂井三郎の
ラバウル時代の写真をまとめた本とかおすすめ。
ただし個人的意見なのだけど、この一連の写真を見て
「かっこいいなー」
と思った方々は、これらの写真と同じくらいの数の
戦死者の写真を見てほしい。
彼らは一般人じゃなくて、訓練を受けた兵隊で、戦闘に出てバンバン死ぬ。
この写真で笑ってる「軍人」たちが、最終的にどんな姿で死ぬのか。
両手両足と首、全部吹っ飛んで腹部のみになった特攻隊員の肉片の写真等(※米軍撮影)まで見て、それから悲しんでほしい。
その両方を見て、考えることで思想が偏らなくなるはず。
>76
65年以上前のことも重要だが、2010年現在のことのほうが重要。
これ↓を批判しただけで「ネトウヨ」認定されます、それっておかしくない?
中国の近隣に対する軍事行動(フィリピンは米軍基地が無くなってから中国に領土を占領された 1995年)
実際に日本に対して、潜水艦による侵犯・尖閣諸島・ガス資源、、実際に威嚇行動をとっている。
■1946年 「東トルキスタン共和国」に侵攻・併合
■1951年 「チベット国」に侵攻・併合
■1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
■1962年 インド北部のカシミール地方に侵攻・「中印紛争」
■1964年 「核実験」に成功
■1969年 「ダマンスキー島事件」・中ソ軍事衝突
■1971年 日本の尖閣諸島の領有権を突如主張
■1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
■1974年 ベトナム領「パラセル諸島(西沙)」に侵攻・占領
■1979年 「ベトナム」に侵攻、2万人の戦死者を出して敗退 (侵略した都市で略奪)
■1989年 「天安門事件」
■1992年 スプラトリー諸島(南沙)の領有を突如宣言、侵攻開始 (島民虐殺)
■1992年 日本の尖閣諸島の領有を全人代(国会)で明記
■1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
■1996年 台湾沖でミサイル演習、米空母2隻が出動
■1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
■2003年 スーダンのダルフール大虐殺を強力支援
■2004年 攻撃型原潜、漢級が日本の領海を侵犯
■2004年 中国サイト3万人以上のアンケート 女子供問わず日本人を残酷な方法で虐殺するなどの答え多数。
■2005年 中国各地で反日暴動(政府公認)
■2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘
■2005年 中国各地で反日暴動(政府公認)。大使館・日本料理店等を破壊
■2008年 チベット弾圧問題
■2009年 ウィグル弾圧問題
■2010年 中国海軍が沖縄近海で数度にわたり海自艦艇を威嚇
■2010年 尖閣諸島に海軍退役艦を改装した「漁業監視船」を派遣
相変わらずWGIPの影響が出てる連中が多いな。
もう自虐史観から脱却しようぜ。
「反日マスコミが伝えない親日の話」
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/
「国民が知らない反日の実態」
http://www35.atwiki.jp/kolia/
ここのまとめサイト真面目だから好きだぜ!
素晴らしい写真をありがとう。
バカばっかでむしろ安心した。
戦争中だからって年がら年中津々浦々緊迫してるわけじゃないぞ
写真くらい撮るわい
うらやましいな
>>1さん、貴重な写真をありがとうございます。
そしてこのスレをまとめて頂いた管理人様、ありがとうございました。
ただ、>>200のID:5wBP7Dhc0のレスに違和感を感じます。なにより証拠の物品のアップもないですし。
南京の問題については中国共産党(当時大日本帝国軍と戦闘したのは大半が中国国民党軍でしたが、戦後、中共率いる人民解放軍が反旗を翻し国民党軍と対立、中華人民共和国の建国の後、毛沢東による大躍進や文化大革命の失敗における国内の不満をそらし人民解放軍の存在意義を確立するため、日本を仮想敵国にする必要があった)やアメリカ(原爆投下や空襲等による非戦闘民である一般市民の大量虐殺の責任から逃れるための口実として、大日本帝国をドイツ等と同等のホロコーストを実行した絶対悪に陥れる必要があったため)による捏造、もしくは規模を強調したものであったとの見解が強いです。
当時、証拠として提出された写真はことごとく捏造されたものであったり、恣意的な解釈によるでっちあげや馬賤の処刑の写真を転用したもの、ロシアの協力で撮影されたものであることが発覚しています。
これらのことは論争の的とされており、真実が明らかになっていない事案なので、>>200のID:5wBP7Dhc0の証拠のない発言は当時南京で従軍されていた方々に対する冒涜になりえますので削除をお願いしたいです。
>>1さん、貴重な写真をありがとうございます。
そしてこのスレをまとめて頂いた管理人様、ありがとうございました。
ただ、>>200のID:5wBP7Dhc0のレスに違和感を感じます。なにより証拠の物品のアップもないですし。
南京の問題については中国共産党(当時大日本帝国軍と戦闘したのは大半が中国国民党軍でしたが、戦後、中共率いる人民解放軍が反旗を翻し国民党軍と対立,
中華人民共和国の建国の後、毛沢東による大躍進や文化大革命の失敗における国内の不満をそらし人民解放軍の存在意義を確立するため、日本を仮想敵国にする必要があった)
やアメリカ(原爆投下や空襲等による非戦闘民である一般市民の無差別大量虐殺への非難から逃れる口実として、大日本帝国をドイツのホロコーストに準ずる絶対悪に陥れる必要があったため)
による捏造、もしくは規模を強調したものであったとの見解が強いです。
当時、証拠として提出された写真はことごとく捏造されたものであったり、恣意的な解釈によるでっちあげや馬賤の処刑の写真を転用したもの、旧ソ連の協力で撮影されたものであることが発覚しています。
これらのことは論争の的とされており、真実が明らかになっていない事案なので、
>>200のID:5wBP7Dhc0の証拠のない発言は当時南京で従軍されていた方々に対する冒涜になりえますので削除をお願いしたいです。
本当に貴重な写真ばかりでため息が出る
散逸する前にネット上でウィキみたいにアーカイブ化できたらいいのに
すみません>>85投稿後にエラーが出たので改行して再度>>86にて投稿してしまいました。失礼します。これからも編集頑張ってください。
興味深く見入ってしまった
日本人に必要なのは、あの戦争が善だったのか悪だったのかの評価評論ではなく、写真に写っている人たちが何を想い、何の為に散っていったのかを今一度確認し、それに恥じないような生き方をしているのかどうか自分自身を振り返り、考えることかもしれない
>>1さん、管理人さん乙
最近、戦前の写真や映像見ると、いつも泣きそうな位の懐かしさと悲しさを感じるんだけど何なんだろねこれ?
全然知らないはずなのにね。
あと俺も※86さんの意見と同じ考えですので>>200のID:5wBP7Dhc0のレスは削除をお願いしたいです。
ここにもチョンとチャンコロがわいてんなぁ
写真はなかったが茶封筒に入った階級章なら見たことあるな。
布の奴と鉄板のヤツがあって、
普段は鉄板の方を付けるんだと言ってた。
じいさん役者みたいな顔してるね
かっこいい
昔の人の顔付きは今のそれとは違う
何故だろう
爺さんは知らんが、婆さんは戦前金持だったから韓国に遊びに行ってたらしい
そんななか戦争がはじまって、財産全部置いて逃げ帰ってきたそうだ
ガキの頃、婆さんに聞いた戦争の話は
よく理解できなかったが異常な怖さだったことは覚えてる
ついでに婆さんが泣きそうな顔してたのも覚えてる
婆さんが憎んでたのはたぶん、誰がどうとかどの国がとかでなく、
戦争そのものだったと思う
たまには本当の意味での「良スレ」ってのもあるんだな
写真提供をした住民本当にありがとう
うちの爺さんは気象兵で戦績とかあまり残ってはいないが中国全土をほぼ単独で行動していた
その中にうちの爺さんの写真があったらなーって探してみたけど無かったわwww
朝鮮半島とかも言ってたらしく話こそ聞けなかったが常に孤独と戦っていた
今はもうあの世にいっちまって過去がどうであったとか聞けないが中国や朝鮮に過去に迷惑かけたのは事実だ
だからといってヘナヘナするんじゃなくてお互いが忘れないでいてほしい
戦争の写真や資料を見るのは好きという不謹慎な理由だけど、見させてもらった。でもここで思った「好き」はLOVEとかLIKEとは全く違う感情であることがわかってきた。
色々な感想があるけど、戦争の写真や資料を好きになったときから私は「死にたい」などと絶対言わないと決めた気持ちがより強くなったこと。
馬賊の写真は一番感慨深い。こういう写真を好きになったら、グロいのが好きなんだ、とか思われるだろうけど、そんな軽い気持ちじゃない。これが人間なんだと、自分が表すことのできない表情なんだと、知ることのできる貴重な物。
写真を提供してくれた方、まとめてくれた方に感謝します。
長々と失礼しました。
ありがとうございました。
自分が生まれる前に亡くなった祖父は僧侶だったので徴兵はされなかったけど、満州かどこかで従軍して亡くなった人にお経をあげたりしていたらしい。小学生の頃、当時の写真が母の実家で大量に見つかったんだけど、残虐なものだったらしくこんなものが見つかってはいけないと処分したと言っていた。子供心にとっておかなきゃまずいんじゃ…と思ったが、母の世代も戦中組だから、戦争責任とか、自分たちとは違う感覚なんだなと感じた。
坊主ってのは昔から優遇されてきたんだね。
いっぱい人が死んでるのにさ。
今でいう部落民優遇みたいなもんか。
良スレだった。まとめ乙です。
戦争関連のものって、まとめる方も情報提供する方も
不謹慎とか何とか言われたらどうしよう…ってためらったり、
コメントする方もそれを理由に叩いたりする奴いるけど、
こういうのが出てくるのは個人的に良いことだと思ってるよ。
歴史(戦争、政治外交含めて)ってのは人間の歩んできた軌跡なんだから、
日常生活部分も含めてただカコイイだけ、ただ汚いだけ、ただ残酷なだけってのは
あり得ないんだよな。
戦時中といえども、皆が皆同じ体験したわけじゃないのは、当然のことなんだよ。
そういうことが「形」として残ってるってのは、貴重だと思う。
あと、>44や>99とかも言ってるけど、昔の人の顔つき目つきって何でこんなに
違うんだろうってずっと思ってた。
最近感じるのはさ、やっぱり誇りがあるかないかなんだろうって思う。
昔の人は「日本人此処に在り」みたいな気概が多かれ少なかれあったと思うんだよ。
(それが良いか悪いかは、自分で考えれば良いこと。)
誇りってはのは、どっかの隣国みたいに他国や他民族を貶めて「ウリは優秀ニダ!」
とか、「ウチは絶対アル」とか言ってるのとは違うんだよな。
うまく言えないけど、「こんな自分でなるものか」っていう襟を正すような気持ちに
近いと思う。
自分の一挙手一投足がこの国を創ってるんだっていう覚悟というか、気概みたいな
ものが本当の「誇り」なんだと思う。
ちょっとスレ違いで申し訳ないけど、有名どころでいうと愛新覚羅夫妻の写真とか
見てると、とにかく「静かなる覚悟」みたいのを感じる。
そういう空気を醸し出してる昔の人たちって、それぞれが自分の胸の内にそんな
「静かなる覚悟」を持っていたような気がする。
>286の写真が良いですね。
こういう顔を「眉目秀麗」というんだろうなあ。
父方の祖父は、徴兵されるにはまだ幼い年齢で、代わりに終戦の少し前から砲弾か何かを製造する武器工場で働かされたらしい。そこで働いている最中に大規模な空襲にあって、その工場も爆撃を受けたけれど、自分のすぐ目の前に落ちてきた爆弾が不発弾でたまたま逃げ延びられたとか。
この話聞かされて、もし爆発してたらおじいちゃんが死んでたどころかオトンも自分も生まれてないのかって考えたら何とも言えない気持ちになる。
戦争ってそんなに遠い存在じゃないって実感した話でした。
286の写真、どこぞの歌舞伎役者みたいな顔立ちだなあ。
私のじいちゃんも戦争に行ってて敗戦後は中国ににげて命からがら帰ってきたという話を小さいときに聞いたのを思い出した…
いいスレを読むことができました。管理人さんに感謝
自分のじぃちゃんも戦争経験者で酒で酔っ払うと『敬礼!』って
すごい声を張り上げる時がありますw
昔のまだ車が左側通行だった時の東京の話や、
じぃちゃんの乗っていたバイクのウィンカーが矢羽式だった等
現代では考えられないような昔の東京近辺について話してくれます
ばぁちゃんも東京大空襲の話などしてくれますし
祖父母のことは大好きです。
祖父母の世代
父母の世代
共に日本を力強く前進させてくれてます
我々若い世代は今後先祖に胸を張れるように
日本を支えて行きたいものです。
長文失礼しました。
守ってくれたんだな
管理人さん、写真投稿してくれた人 ありがとう。感動して涙でました。
日中戦争、太平洋戦争で犠牲になった人々のご冥福をお祈りします。
俺も子供のときからじいちゃんとかばあちゃんの写真を見せてくれって言っても見せてくれなかったな。だからいつしか写真があるかどうかあさりたいな。
明治の写真とか幕末の写真を見ても感慨深いものがあるが戦争中のは無念にも死んじゃったのなぁってのがあるから同時にもの悲しいね。
軍人さん本当に精悍な顔つきだよな。おっかなそうだけど。
言葉ではうまく言い表せないけど本当に考えさせられるな。この人たちはかくも生きた。じゃあ俺はどう生きる?みたいな。
うちの亡くなった爺様も南方に行ってた。
バナナうめぇ、とかパイナップルうめぇ、とかやっていたとの。
最終的には戦車乗りとして終戦を迎えたんだと。
後に慰霊祭でタイやらどこかへ行ったときの写真は見せてくれたが、
戦時中の写真は見せてくれなかった。
亡かったのかも知れないが。
マスコミが介入して報道されるときって、すごい捏造があるみたいなんだけど、こういう生き証人となる方々がご家族(孫であるうp主)に残してくれた写真や思い出話に嘘はないと思うからとても貴重だと思う。
実際、色んな本が出てるけど、どれが本当のことだかわからなくなるときがある。
価値観も違ってくるから、一個人の話ではわからないものだしね。
特に馬賊の処刑の写真は衝撃的だ。
本スレ米200の南京での件も、もう少しkwsk聞きたいけど・・・
俺のじぃさん(27年前に交通事故で他界)は次男坊で、やはり南方に送られた
確かマレーシアだったと思う。そこで戦闘中に左ひざを打ちぬかれて動けないところを捕虜にされた。
が、捕虜なのに手厚い看護をされ感激したといっていた。そのときの看護婦だか医者がカトリック教徒だったため、戦後、帰国してから洗礼を受けてカトリック教徒になったよ。母親から聞いた話だからリアリティが無いんだが、今度田舎に行ったら写真でも探してみるよ
母方のじいちゃんが、満州を通ってフィリピンくんだりまで歩いて行軍したんだって
古い新聞のアジア地図を使って説明してくれた。
何か細かいことは教えてくれなかったけど、その道のりを2周くらいしたって。
6年8か月軍にいたらしいんだけど、写真もアルバムに綺麗に纏めてあって見せてくれた。
中国でお世話になった一家の写真とか見ながら、すごくいい人たちだったって言ってた。
あとクアラルンプールに行ったときの建物の写真とか機関銃、
隊の集合写真とかいろいろ見せてくれたよ。
どうやら爺ちゃんはカメラ持って行ってたらしい。
あと戦時中じゃないんだけど、別の60,70才になってからのアルバムにさ、
ツアー旅行行った時らしい集合写真があったんだ。当然カラーだよ。
写真の隣に細かいことは爺ちゃんの字が汚くて読めなかったんだけど
「鯉第68?陸軍小隊戦友会にて~」って書いてあってさ、
ああ生き残りの人たちと会ってたんだな、って思って切なくなったよ。
病気とか年齢的に亡くなった方もいるんだろうけど人数がガタっと減ってた。
ちなみに爺ちゃんは現在90過ぎてるけど、普通にバイクに乗って畑に行くくらい元気です。
自分は将来、歴史研究家とか学芸員を志望してるから、
生きてる内に爺ちゃんに話を聞いておきたいけど、
辛いこととか思い出させるんじゃないかって怖くて聞けない。
自分から説明してくれるくらいだから可能性はゼロじゃないと思うけど…怖いよ。
管理人さん、1さん、629さん、いいものを見せていただきありがとうございました!
勉強になりました。
こんな時間まで見入ってしまった。
貴重な写真を貼って解説してくださった方々本当に乙。
これ、>>1や>>629氏に連絡取れないだろうか・・・
ZIPで上げてるけど、もしもの為にZIPの中にReadmeかなんかで「無断掲載禁止」のテキストと何か一枚でもいいからID付きの写真を入れて
おいた方がいいと思うよ。心無い奴は普通に使うかもしれないが、
少しでも良心があればちゃんと読んで考えてくれると思うから。
まだ爺ちゃんが生きてる人。
このまとめ印刷して見せてあげて。
my日本から来ました。皆さんありがとう。
※115 名案。
>>71の馬賊処刑の写真が日本軍の蛮行として海外で出回ってるこの画像と全く同じ
http://cfs12.blog.daum.net/image/8/blog/2008/07/23/17/28/4886ebbbdaf9b&filename=%EC%9D%BC%EB%B3%B8%EA%B5%B0%EB%A7%8C%ED%96%891.jpg
(海外サイトなので荒らしに行ったり絶対しないでください)
悪用されたか?と思ったが、文字を消した跡がないどころか、こっちの方が二年早く貼られてる
さらに>>71の写真の枠より外側まで写ってる
どういうことなんだこれ?わけわからん
>>117
簡単だよ
まず大前提にこの手の首切り写真や生首写真等のグロ写真は
絵葉書や古写真として中国大陸では普通に土産物として売られていた
http://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html
それを現地で買った日本兵も多くて、戦時アルバムなんかにも載っていたりする
それを勘違いした反日勢力が「虐殺の証拠だ」と騒いで、新聞やテレビでも取り上げられた過去がある
ちなみに>>71のは
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-80.html#giwadan
1894年に中国の軍閥による馬賊処刑となっている
こういう写真が加害者を日本軍にキャプションを改ざんして出回っていることが多い
語りたくない過去もあるだろう
でも語り継がないとまた不幸が繰り返される
うちの亡くなった爺ちゃんもアルバム大事にしていたな
写真一枚一枚に部下の名前も書いてあった
亡くなった人の写真の横にはちゃんと亡くなった事とか場所とか書いてあってアルバム見ると戦争知らない自分でもなぜか涙出たわ
爺ちゃんは戦時中は飛行機?の教官だったんだが、訓練中に墜落して前頭葉を損傷してからは以前の爺ちゃんとは360度変わったらしいし怒りやすく包丁振り回したり後遺症からか電話もパニクって怖くて出れなくなってた
頭打ってても戦争の話はしてたなあと天皇陛下とかがきたときだけは顔付き変わっていつも敬礼していた
このスレ見てたら爺ちゃんのこと思い出して泣ける
>>71は米118の解説通りだね。大体首切り人の刀が直刀だし手前の中国人は辮髪でQEDだ。
南京は便衣兵を殺したのは事実だろうけど一般市民まで虐殺しまくってたとしたらどうして南京入城後人口が増えたのか?
南京にしたって守るべき市民から奪略の限りを尽くして日本軍入城前にとんずらこいたのは他ならぬ国民党軍なわけだし。レイプオブナンキン書いたやつはボダってて自殺する始末だしね。
とはいえ知り合いのじいさんに聞いた話では、南京じゃなくとも十数両の列車に便衣兵をすし詰めにしてそのまま線路を川にひきこんで沈めて銃弾節約したけど泳いで浮かんでくるのはどうしても撃ち殺さなければならなかったらしい。まああちこちで中国人殺したのは事実だろうけど、それが戦争だってことは大戦後侵略戦争ばかりしてる中共の連中だって当然分かってるだろ?済南事件、通州事件起こした中国人は残虐でなかったとでも言えるのかね?
つまりどっちよりでもないけど戦争になると人間そういうもんだろと思う。そこは否定しない。しかし、日本だけが侵略戦争で暴虐の限りを尽くしたとか言われる筋合いはないだろ。
スレ主、管理人乙。
詳しい話は忘れちゃったけど俺の爺さんは戦争行って満州鉄道の何かで働いて、そのままソ連の捕虜になって長い事強制労働させられたらしい。
帰国後だいぶ後に某企業の社長か会長をやって、当時会社の為に頼まれて戦争や捕虜時代の事を本に書いたものが残っている。一般には出回ってないやつだけど。そこには当時結婚したばかりなのに何も伝えられず捕虜になり離れ離れになった奥さん(ばあちゃん)の事も少し書かれているけど、戦地へ赴いた人たちだけじゃなくその人たちを待っていた人たち一人一人にも物語がある。
何度か読んだけどまた読み直したくなった。
戦争は体験してないから分からないけど、いろんな人が書いてるように、当時の人ですらその個々人で体験した事が違って、陸軍か海軍かそれ以外か、その中でもどんな仕事に就いていたかとか、現地に行ってない人、送り出した家族、当時どこに住んでいたかなどで一人一人感じた事も思いも違うだろうし、同じ部隊に居たとしても全く同じ気持ち、感覚になったかは分からない。そういう意味でも、聞きづらいだろうし、祖父母達も話しづらいだろうけど、まだ亡くなってなければ聞いて欲しい。
俺の爺さんもだいぶ前に病気で亡くなって話はもう聞けないし、写真とか残っているのか分からないけど、聞いた後にどんな意見を持とうが聞く事が出来るというのはもう先にはないだろうから。
いろんな意見もあるし、実際何が本当なのかも分からない場合もあるけど、あの時代を生きた日本人が居て今の国土があって俺らが生きてるってのは揺るがない事実であるから、純粋に感謝したい。
明治生まれの私の祖母は、太平洋戦争で、22歳、20歳、 18歳の3人の息子を亡くしました、今、祖母の年に近づくと祖母の悲しみの深さが実感できます。 たくさんの悲しみの上に、今の日本はできていることを忘れてはいけないと思います。そして、簡単に侵略戦争であったなどと結論づけてほしくない。植民地をもつことが当たり前だった時代背景があり、素晴らしい国にしたいと願いながら亡くなったたくさんの英霊のためにも。政治家の皆様には外交、教育を見直していただきたいと切に思う。
良いスレ。
良い意味で戦争のイメージ変わった。
おじいちゃんは電気技師で中国の前線で電気を引く役目だったらしい。
去年まで、私の父が、上海に単身赴任していたがそのときかなり奥地にも電車で仕事に行ったらしい。
おじいちゃんは母方のおじいちゃんだが、単身赴任をきっかけにおじいちゃんがいた頃の話に興味をもったらしく、仕切りに話をきいていた。
わたしもそばにいて断片的にきいていた。父が電車でかなり奥地まで行ったのにおじいちゃんも同じ場所に居たらしい事がわかった。当時から建っていたという教会を知っていたとの事で驚いた。
まえに写真を見せてもらったがもう一度見せてもらい、スキャンすべきだと思った。
今年初めて靖国神社のみたま祭りに行ってきた、来年も行こうと思う
先人に感謝、そして写真を掲載してくれた人、管理人ありがとう
私の祖母はひめゆり女学隊に所属していた。
祖母の従兄弟の大叔父は満州に軍属していた。
どちらも戦争賛美はしないが
国を怨んだり、卑下したりしない。
おかげで左翼新聞ばかりのこの島で
反日にならずにすんだ。
祖父は徴兵されて満州戦線に連れて行かれた。
戦後はシベリアに抑留されて、だいぶ長い間帰国できなかった。
20年前に亡くなるまで祖父から聞く戦争の話といえば戦後の闇市や復興の話ばかりで、戦時中の話はほとんどしなかった。
唯一聞いたのは「シベリアでは木の根を食べていた。いよいよ食べるものがなくなると土を食べて飢えをしのいだ」ってこと。
一昨年、祖父の17回忌をした際、祖父の末妹の旦那さん(80代後半)が特攻隊員として九州に配属されていたことを知った。
出撃予定の数日前に終戦になったから実戦を経験しなくて済んだと、当時の訓練のことや生活の話を色々話してくれた。
祖父は私がまだ幼かったからあえて話さなかったんだと思うけど、戦地の話など聞くことができなかったのを残念に思う。
23がイケメン過ぎるwwウォンビンかよww
ためになったよ!
今の俺たちに足りないものをたくさん見せてもらった!
のうみそきもい
うるせー
しね
ゲリシチャッタ
パーンツパンツ
パーンツパンツ
まつこ
まつこ
まつこ
まつこ
まつこ
まつこ
まつこ
まつこ
ケツ出せ
うちの亡くなった爺ちゃんもアルバム大事にしていたな
写真一枚一枚に部下の名前も書いてあった
亡くなった人の写真の横にはちゃんと亡くなった事とか場所とか書いてあってアルバム見ると戦争知らない自分でもなぜか涙出たわ
爺ちゃんは戦時中は飛行機?の教官だったんだが、訓練中に墜落して前頭葉を損傷してからは以前の爺ちゃんとは360度変わったらしいし怒りやすく包丁振り回したり後遺症からか電話もパニクって怖くて出れなくなってた
頭打ってても戦争の話はしてたなあと天皇陛下とかがきたときだけは顔付き変わっていつも敬礼していた
このスレ見てたら爺ちゃんのこと思い出して泣ける
スレ主、管理人乙。
詳しい話は忘れちゃったけど俺の爺さんは戦争行って満州鉄道の何かで働いて、そのままソ連の捕虜になって長い事強制労働させられたらしい。
帰国後だいぶ後に某企業の社長か会長をやって、当時会社の為に頼まれて戦争や捕虜時代の事を本に書いたものが残っている。一般には出回ってないやつだけど。そこには当時結婚したばかりなのに何も伝えられず捕虜になり離れ離れになった奥さん(ばあちゃん)の事も少し書かれているけど、戦地へ赴いた人たちだけじゃなくその人たちを待っていた人たち一人一人にも物語がある。
何度か読んだけどまた読み直したくなった。
戦争は体験してないから分からないけど、いろんな人が書いてるように、当時の人ですらその個々人で体験した事が違って、陸軍か海軍かそれ以外か、その中でもどんな仕事に就いていたかとか、現地に行ってない人、送り出した家族、当時どこに住んでいたかなどで一人一人感じた事も思いも違うだろうし、同じ部隊に居たとしても全く同じ気持ち、感覚になったかは分からない。そういう意味でも、聞きづらいだろうし、祖父母達も話しづらいだろうけど、まだ亡くなってなければ聞いて欲しい。
俺の爺さんもだいぶ前に病気で亡くなって話はもう聞けないし、写真とか残っているのか分からないけど、聞いた後にどんな意見を持とうが聞く事が出来るというのはもう先にはないだろうから。
いろんな意見もあるし、実際何が本当なのかも分からない場合もあるけど、あの時代を生きた日本人が居て今の国土があって俺らが生きてるってのは揺るがない事実であるから、純粋に感謝したい。
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キチガイをアク禁しといてくれ。管理人さん
>>488が言うのはすごく分かるな。
戦争ドラマでもさ、どうも当時の人たちの感覚とずれてる人物ばかり描かれてたり。
息子や夫を戦地に送り出す母親とか妻とか婚約者が、特にそれがメインキャストであるほど、本当は戦争は嫌い、生きて帰ってきて欲しい、みたいな感じで描かれてたりする。
当時の感覚そのままで描いて戦争賛美だって批判されるのをかわすためだろうけど、だったらあんまり意味無いよなぁ、といつも思う。
写真すごいですね><
かんがえさせられます。
参考になりました(^д^ノ
ありがとー!!
SEXしたいww
おいこの馬賊処刑の写真さっそくyoutubeの反日動画に載せられてるぞ! 「 これが日本の実体です 이것이 일본의 실체입니다 」で検索
>>152
まじだったわ、しかも何人かは在日紛れ込んでるし
大日本帝国の全てが好きな俺には良いスレだった途中で左翼っぽいのが湧いてるのは腹がたったがwまあ次は絶対に負けたら駄目だ負けたらどれだけ正しい事をしても全て悪になる勝てば官軍負ければ賊軍だからな、
次は絶対に負けんからなアメ公
うちの曽祖父は海軍の補給船?に乗ってたらしいんだけど、沈められて、いかだか何かに捕まって生き延びたらしい。そのあとアメ公の捕虜になって帰国したんだけど。曽祖父は仲間が海に沈んでいく中自分は助けることができなくていたたまれなかったって。(助けたら自分も沈むから)
これは良いまとめ
正体不明の筒状のデカイ装置の写真、ありゃペチカだね。戦後も結構国内でも使われてたようで、実物見た事があるよ。
なんだろう?の白い服は海軍の夏服じゃねえの?
帽子だけミスマッチなのがなんか気になるけど