俺のじいちゃんが意外にすごかった
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:36:05.35ID:RHQ0eBuA0
亡くなって17年くらいになるけど
親父から聞いたら意外にすごかったのが判明した
たったら書く
書き溜めなんかしていない
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:37:57.78ID:7aBXhOXR0
パンツ脱いだ
風邪引くはやく
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:38:42.53ID:RHQ0eBuA0
脱がなくてよろしい
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:41:00.04ID:7aBXhOXR0
戦時、20で大尉からスタート
少佐になるため日本に期間中に終戦
それまでもそこからも波瀾万丈
7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:43:49.50ID:rFcMfA4n0
陸軍士官学校ってとこ
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:45:39.65ID:7aBXhOXR0
よし続けたまえ
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:52:32.88ID:RHQ0eBuA0
じゃあ続ける
亀だけど許してくれ
幼少時代は悪ガキだったけど勉強好き
けど親が体調崩して心を入れ替えそれこそ二宮金次郎みたいなことしてたらしい
そこからのことは聞いてないけど、陸軍士官学校ってとこに進学
当時は東大より難しいところ
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:56:37.26ID:RHQ0eBuA0
誰も見てないかな、まあ書く
日本が劣勢になってきたころに大尉からスタート
飛燕って戦闘機が愛用だったらしい
編隊長とかも務めてたんだけど、じいちゃんの隊だけは絶対に誰も死なずに帰ってきた
一回生きて帰ってきたときから次の出撃で嫌がる者はいなかったという
何故なら凄い人だったから、逃げるのが
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 20:59:36.36ID:jCzx9yzX0
そうそう、これこれ
ドイツのメッサーシュミットって言う戦闘機の日本版ね、飛燕は
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:01:08.65ID:RHQ0eBuA0
本土決戦に近づくにつれて日本の空に米軍の戦闘機がよく見るようになる。
それを撃退するためにじいちゃんの隊が出動
出撃してすぐに米軍機発見
そこから逃げる逃げる
まず高度を上げて雲の中へ
そこから下にいる米軍の飛行機が過ぎ去るのを待つ
無事に過ぎ去って、ガソリンが半分になったら帰還。ただこれだけ。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:07:02.72ID:7aBXhOXR0
とりあえずちみのスペックとじーちゃんのも
俺、ゆとり大学一回生
じいちゃん、享年81だったはず
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:04:02.25ID:bmhtyftP0
そうなるのかなあ、わからんけど
少佐になる前に終戦だったから階級は大尉のまま
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:07:15.83ID:RHQ0eBuA0
続き
親父が1942年だっけな確か
じいちゃんの隊が満州に派遣される。
酒に酔って喧嘩で小刀を使い中国人を殺してしまったこともあったらしい。
申し訳ないことをしたとも親父にはボヤいてたとか
中国に行って三年、原爆のこともあったかは知らないけどじいちゃんが少佐になることに決定
日本に帰還中に終戦
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:13:33.65ID:RHQ0eBuA0
続ける
終戦してからは階級とかは関係なくなるから、食べ物はない。
ヘビとか虫とかをそのまま食べて、飲み物は尿、この生活が一ヶ月続く
空腹があまりにも続くので、安定した食をしたいと思い頭を丸める。
要するに坊主ね。
ちなみに俺の家の宗教は神道系
まあ関係者ないけど、食べるためならば
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:15:52.56ID:RHQ0eBuA0
坊主になったのが確か22
二年くらい坊主をしてたのかな
別の職業に就きたかったらしいけど軍人だったから教師にはなれない。
そこで、思いついたのが弁護士
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:19:16.08ID:RHQ0eBuA0
24歳で立命館に入学して法律に関して学び始める。
3年で知識は得たとか言って中退した
そこからは知らない弁護士の見習いとして入る
その日々が続き28歳
親戚が亡くなり鳥取へ帰省
そこで運命の出会いをする、それが今も元気に生きてるばあちゃん
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:20:37.31ID:jCzx9yzX0
まあ一応
Fラン大学に通ってるけど俺は
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:21:06.92ID:L0f9XgpDO
ばあちゃんとじいちゃんは10歳差
出会った当時ばあちゃん18
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:23:13.54ID:RHQ0eBuA0
鳥取で見習いとして言ってた弁護士から独立
女には相当飢えてたらしいけどなんせ顔には拘る人
好きな顔の人とは結婚しない主義
知り合いと銀行に寄ったときにある女性とすれ違う
じいちゃん一目惚れ、ストーカー紛いのことをする。
声をかけ、そこから発展して付き合い始める
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:25:48.04ID:AzHBqpoY0
わかんない、してたんじゃないかな
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:29:07.64ID:RHQ0eBuA0
お互い結婚を意識し始めついに結納まで済ませる
しかし、ひいばあちゃんが大反対
成金が縁談を持ちかけてきてるからそっちにいけと言われるがばあちゃん無視
じいちゃんは一段落して東京に帰省
ばあちゃんはじいちゃんに縁談の話を打ち明ける
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:32:27.66ID:7aBXhOXR0
今はさすがに捨ててしまったけど、俺がまだ携帯とかを持ってない時に押入れで見たのは玉虫みたいなスーツ
続き
縁談の話をし終わり、列車が発車する前にじいちゃんが言った言葉
私は東京に帰らなくてはならない。けど本当に結婚する気があなたにあるのなら東京まで追いかけてきてくれ。
まあ口説いたんだと思う、プロポーズみたいのもの。
そしてじいちゃんは東京へ。
そのプロポーズがあった一週間後、ばあちゃんは仕事へ行くと言って、そのまま列車へ、東京まで行く
ようするに駆け落ち
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:38:23.57ID:RHQ0eBuA0
続く
じいちゃんばあちゃんは何とか合流
初めは貧乏だったらしい
しかし、仕事も軌道?に乗り始めまともな食事が出来るまでなる
東京を出て神戸へ
神戸で仕事が成功、子供も一軒家も買う
初めは召使いも二人いたらしい
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:40:03.29ID:RHQ0eBuA0
ちなみにばあちゃんのスペック
鳥取の洋式の城?に住んでた超お嬢様
でも末っ子
当時毛利元就の宗家の家系の末裔
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:43:39.21ID:vsxQZ/yk0
>>43
そういうことになるね
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:47:11.21ID:RHQ0eBuA0
毛利元就の宗家ってのはばあちゃんから直接聞いた話
本当かは知らん
続く
といってもそこまで続きはないけど
神戸市弁護士会の会長に就任する
そこからは、昭和か平成か忘れたがけど兵庫県知事の推薦で叙勲を貰う
天皇直々に叙勲を貰う
そして俺の姉が生まれ、俺が生まれ、肺の病気で亡くなる
ここで凄いのが亡くなったのはじいちゃん自身の誕生日ということ。
どんな人かは全く覚えていない
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:51:11.33ID:RHQ0eBuA0
話はこれで一応終わり
写真見るとミーハーな人ってわかる
棚に写真が飾ってあるけど、変に決めてる
なぜか股間の方に拳銃を差して写真撮ってる
親父が言うには、普段は標準語だけど怒ると軍人の言葉遣いになってたとか
貴様等ーー!!
とか叫んでたらしい
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:47:22.09ID:jCzx9yzX0
すげええ
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:48:43.07ID:jCzx9yzX0
親戚にお偉いさんいるの?
戦後なくなって別の家が建ったってばあちゃんが言ってた
知り合いに偉い人はいたらしいけど、聞いてない+もう亡くなった
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:49:21.52ID:vsxQZ/yk0
嫌だ…勉強嫌いで学校サボって友達と麻雀ばっかやってました
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:54:46.50ID:RHQ0eBuA0
確か部屋によくわからん像があった気がするけど写真いる?
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 21:58:20.62ID:RHQ0eBuA0
ちょっと訂正
陸軍士官学校のときから少尉だったのかもしれん
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:04:25.81ID:RHQ0eBuA0
>>58の写真は陸軍士官学校で貰ったやつっぽい
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:05:53.50ID:faiSBOrl0
そうなのか
誕生日迎えてから誕生日おめでとうってばあちゃんが言って息を引き取ったとか
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:10:57.36ID:Y3ZTu5i90
在学中、海兵の生徒が下士官程度の扱いをされるのに対して陸士は一兵卒扱い
士官学校を出てすぐ大尉なんて全く聞いた事が無い
そうなのか、よくわからんけど学力はトップクラスだったらしい

>>50で言ってた写真なかった
けどこんなのがあった
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:16:39.37ID:dpon3efW0
もうちょっと長生きしてほしかったよ
話してみたかった
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:20:50.60ID:hfzbvS1o0
なんだそれ、すげえな
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:26:00.52ID:hfzbvS1o0
やはりおじいちゃん世代は最強か…
確か俺のじいちゃんは生きてたら現在30のはず
76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:25:05.76ID:ACd1103Q0
>>73
俺のじいちゃんと友達かもな
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:26:39.37ID:hfzbvS1o0
>>76
去年の夏に100歳で死んだけど
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:32:17.35ID:ACd1103Q0
>>78
俺のじいちゃんは数年前に87くらいで死んだ
84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:33:33.09ID:wQvaRaMH0
>>73
俺のひいじいちゃんも天皇の近衛兵だったらしい
当時大金持ちだったらしいがいい人過ぎて複数の借金の連帯保証人になって資産を根こそぎ持っていかれたとか
今では土地も資産もありましぇん
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:24:28.32ID:RHQ0eBuA0
ばあちゃんは昔はほんとに美人だった
写真見ただけやけどね。
こりゃ一目惚れもするわ と思った
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:46:41.08ID:bQDrx8UHi
いいところだけど山城なんて沢山あるからなあ
そうなのか
ばあちゃんは毎日のようにドレスみたいなのを着させられたと言ってた
山城?がなくなって衰退→成金が縁談でお金支援→ひいばあちゃんが金にくいつく→ばあちゃんは無視
っていう流れだったらしい
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:09:03.44ID:vsxQZ/yk0
なんともドラマチックな人生送った人だな
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:32:46.84ID:PX5iMrl/O
オレのひいじいちゃんも近衛師団だったぞぉ
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:34:16.08ID:UQ4SY2d40
うちのじい様は戦時中は国民学校生徒だからなぁ
戦後間もないころのギブミーチョコレート話を聞かせて貰ったことがある
89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:38:49.92ID:KYR5QvXc0
母方の爺ちゃんがラストエンペラーの護衛したと聞いた
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:42:20.09ID:ACd1103Q0
ちなみにおれのバーチャンは庭に落ちた爆弾素手で投げ飛ばしたらしい
91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:43:55.01ID:e7o1ppVaO
俺の爺ちゃんが戦争に向かおうと思って列車乗ったら終戦言われたらしい
88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/11/05(土) 22:38:35.66ID:ACd1103Q0
俺らのじいちゃん友達だったんだな
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びっぱーのおじいちゃん自慢の寒さは異常、友達がヤンキーなんだぜと大して変わらん。
かつて戦場で友であった者の子孫が今ネット上で集結してるとか胸熱
語り部がどんどん亡くなっていくってのは虚しいな
うちのじいちゃんは普通の生徒。
小さなボートに乗って特攻する直前に終戦。
ご先祖様は島津家の分家、垂水の武士。
何か怖い話だな
爆弾投げ返すってすごいな・・・
ちなみにうちの爺ちゃんも、もう故人だけど、ビルマで戦って負傷しながらも
帰ってきた。よく生きていたものだ。父やおじさん達は逃げるのが旨かったんだ、
なんて揶揄していたけど、帰ってこなければ私も生まれなかった。
戦ってくれてありがとう&生きて帰って来てくれてありがとう爺ちゃん
三式戦 飛燕か
戦闘機乗りなら、出世も早いんでは
戦功(撃墜数)もあるだろうけど、航空戦力が絶望的状況の中を生き延びてるってだけでも凄いと思うんだが
本土決戦に備えて召還中に敗戦かな
そうだよなぁ
赤の他人でも爺さん同士が友達とかありえるもんなぁ 感慨深い
胸熱だな……。
俺も孫やひ孫なんかに敬われるじいさまになりてぇな。
やっぱり死線をくぐってきた人達ってたくましいよな カイジで命を大切にすると腐るって言ってたけどその通りだと思うわ
まあ左翼思想じゃないが戦争は起こらんでほしいね
つっても日本の左翼は普通と違うがww
※1
ミサワと変わらないっちゃ変わらないしな。
すごいけど…だから何?
>喧嘩で小刀を使い中国人を殺してしまったこともあったらしい
最悪だな。
華南に出征してから生還した親戚(既に他界)がいるが、親父の話によると現地で何をしたかは絶対に話そうとしなかったらしい。
俺らのおじいちゃん友達だったとか胸熱
1/365の確率なんだから誕生日に死ぬ人が多いのはあたり前だろ
※84
ウチと全く同じだ…
大金持ちというわけではなかったけど
亀がしゃべった!って言おうと思ったけど、なんかこの文章てにをはおかしくね?
なにより大学生にもなってこの文章力ってのが怖い
どこかで縁があるかもなw 胸熱ww
俺のじいちゃん疎開してた
さすがFラン日本語が酷い
じいちゃんの話よりもそっちの方が気になった
時を超え文明の利器を得た子孫たちは再び集結する・・・
>確か俺のじいちゃんは生きてたら現在30のはず
どういう意味だ?
とりあえず飛燕はメッサーシュミットの日本語版じゃないよ。
メッサーシュミットの液冷エンジンを輸入して国産で作って、それを搭載したのが飛燕。
日本は空冷エンジン主流で、勝手のわからない液冷は故障起こしまくった。
文章が糞すぎて凄さが伝わらなかった
残念な孫を持って可哀想に
俺のじいちゃん近衛師団だった。
すごい?
俺のじいちゃん達は対馬丸の最後の乗客だったけど
真後ろの乗れない不憫な親子が居たから変わってあげた。優しい;ω;
対馬丸は沈んだ
GHQの通訳官やってた医者の爺ちゃんは米軍から勲章もらった。
葬式の時在日アメリカ軍と国のお偉いさん来てた
天皇陛下の護衛って、要するに近衛師団だろ。
確かに最後まで内地守ってたから無傷だったね。
最後の近衛師団長の森中将って人の息子さんが俺の親父の友人で、
一度会ったことあるけど、普通のリーマンやってたね。
俺のじいちゃん統合幕僚学校長だったから
戦時の資料いっぱいあるで
>>73,84
10年ほど前に満87歳(数えで88)で死んだうちの爺さんも近衛兵(騎兵)やってた。
馬に乗ってる写真は見たことある。
詳しく聞いたわけじゃないけど、その年の選抜?で2名しか選ばれなかったうちの一人だったとか。
※たぶん『京都で2人だけ…のうちの一人』な感じで聞いた
うちのじいちゃんは医者だったらしいけど
海軍の部下100人以上持っていたらしい、役職とかはしらん
詳しくは聞いてないけど違法な人体実験みたいなこともしたって言ってた
近衛多いな(w
家の親戚にも終戦時に一人いたらしいけど。
内地守ってたんだけど中国とベトナムにも行ったって行ってた。
選抜される前かな?
俺の実家の近くに海軍甲事件の時山本五十六の護衛だかなんだかした人の墓があるわ
見事に俺とは無関係です
俺の爺ちゃん生まれてないんだが・・・
お前らのじいちゃん羨ましすぎ。俺も純粋な日本人として生まれたかった。
うちのじいさんは菓子職人で失念したけどナントカ大臣賞ってのをもらったらしいわ
賞状が実家にもあった
俺が産まれたときにはもう引退してたみたいだがことあるごとにあんこ炊いたりしてたな
それをつまみ食いするのが好きだった
出来立てのあんこ温かくて甘くて旨いんだ
※35
うちの爺さんも、終戦近く?ではフィリピンの方に行ったって聞いた。
船で物資?を輸送中に襲撃を受けて船が沈没
→仲間数人?と命からがら漂着
→そのうちの幾人か?が日本脳炎らしい症状で死亡
とかも聞いたわ。
ttp://japanese-cavalry.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/41.jpg
俺が見た写真はこんな雰囲気の奴。(褪せたセピアだったが)
戦後は警察やってたらしい。
凄く人望があったらしく、何かの拍子に爺さんと一緒に警察に行ったガキの頃、そこそこ年配の警察官に『ああ、●●さんのお孫さんですか~』って言われた記憶が残ってるw
ちなみに、うちの兄貴(1974年生まれ)は、エリザベス2世が1975年に来日した折に遭遇してるらしい。
※その頃の新聞が残してあって、昔に見たことがある。
爺さんが乳母車を押していたらしく、その写真が(遠景っぽいけど)載ってたよ。
爺ちゃん自慢になってるなw
俺のひいおじいちゃんは天皇陛下の近衛兵で、爺ちゃんは海軍の伍長だったな。
俺が中学の時に爺ちゃんは死んじゃったけど、戦争の話を聞けば良かった。
残念。
うちの曽祖父は九州では有名な資産家だった。大正時代には当時日本に2頭しかいなかったらしいポインター(犬)を飼ってたらしい。今残ってるのは当時の写真と自分の目の上の太いまゆ毛だけだなw
爺さんはベトナムかタイで後方医療を担当していた、終戦後は舞鶴に帰ってきたけどそこからどうやって帰って来たか記憶に無いと言ってたな。
うちのじいちゃんは、大和の建造に携わっていたらしい
俺の爺さんは戦闘機が故障して飛べなかったらしい
他になくて待機してたら終戦したと聞いた
じじいもこいつもうざいし痛い。
曾祖父は秋山真之の隊の副隊長だったらしい
祖父さんは乗った軍艦が3隻ほど撃沈されたらしいが生き残った強運の持ち主だったそうな。
家のじいちゃん、俺がガキの頃に死んだけど海軍中尉だったらしい。(俺がガキだったせいか、戦争当時の話全然話さなかった。)めちゃ孫に甘いじいちゃんだったよ
葬式の出棺の時に部下の方々が、○○中尉に敬礼!!! って軍艦マーチ(カセットテープだが)で見送ってくれた・・ 人が死ぬって実感無かった俺は、じいちゃん偉かったんだ。
カッコイイって思ってたよ。 皆の所みたいに階級は高くないが。 家のじいちゃんも話の仲間に入れてくれ。 見てたら思い出してしまった。。。。チラ裏スマン
近衛が多いというか、それ以外の兵士は基本的に死んでるから
子孫がいないか、忌み事として語り継いでないんだろう。
とりあえず飛燕はメッサーじゃないぞwエンジンはDB系統でドイツのライセンスだが
読んでるうちに はぁ?ってなる文章だな。
兵籍簿ってのが、陸軍なら各都道府県庁援護担当課、海軍なら厚生労働省社会・援護局に残ってる。
直系の血族なら見せてもらえるから、気になったら問い合わせてみても面白いかも知れない。
ちなみに兵籍簿ってのは、個人ごとの兵隊時代の履歴書みたいなもん。
何月何日に門司港出帆、何日釜山港着、とか、位記・勲記、階級のこと、賞罰や病歴まで書いてある。
じいちゃんはすごいのに>>1ときたら・・・
財産って税金の関係で3代で大体なくなるらしい
目減りしてない鳩山家は異常
ウチのご先祖殿様の乳母やってそこそこ裕福だったらしいが
今は全く普通の家 家宝も何もないわ
※38
気にすんなよお前は日本人だカス
じじい自慢コメ欄になってるけど
長くて読む気しない
なぜかキャッチミーイフユーキャン思い出した
じじいはおいといて
こいつの文章が所々理解不能だわ
Fラン入る最近のゆとりはこのくらい日本語不自由なのか
あとで読む
自分の先祖をあたかも自分の功績のように自慢する防衛機制…同一視
やはりこいつはF欄だから自身ないし、自我もあまり育ってないんだろうな
まあ、生き残ったから子孫がいるみたいなことでもあってな。
本当に多くの人が死んだからね。本来なら、そういう人たちにもこういう孫がいたはずなんだ。
俺のじいちゃんは元自衛官だったな
自慢の家族がいるなんてて羨ましいわ
せいぜい高校生かと思ったら大学生かよこれ
俺のじいちゃんはベーブ・ルースに頭を撫でて貰ったことがあるらしい
じいさんの敵前逃亡話しを自慢されても困る。
でも、負け戦で部下を無駄死にさせなかった点はよかった。
所々日本語間違えてるし、作文力が小学生レベル。
因果関係もめちゃくちゃ、
好きな顔とは結婚しないと言いつつ、一目惚れとか、
金無いのに大学進学とか意味不明。
良い血を引いてるんだったら、最低限のレベルは欲しい所。
※4
うちの爺さんと知り合いかもな、
現代でも本に成ったり、完璧特定楽なほど有名すぎて何も情報だせんが。
いるよなこういう自分がすごいわけでもないのに身内自慢するやつ
自分がコンプの塊だから身内がすごいってこと利用して自分まで優秀だと思いたいんだろうが
死ぬたくならないのがふしぎ
爺ちゃんが生きてるやつらは、軍人じゃなくても生きてるうちにいろんな話し聞いて置けよ~。
自分の為にも将来の自分の子供のためにもなるし、なによりどんな頑固な爺ちゃんでも孫に自分の昔話をするのは幸せな事なんだぞ。
僕の家にも結構すごい人たちがいます。明治時代の実業家、今でもある大手食品メーカーの創業者で伝記や胸像が作られてる。他にも陸軍将校や官僚やってた人もいます。
が、戦前なんて昔過ぎて他人事だし、正直なにも実感がないね。
遺産も何もないし、親父はありふれた個人商店主だし、自分はしがない院生だ。
今の時代は血縁や家柄より個人の能力でしょう、と当り前なことを言ってみる。
じい様がすごいのはわかった。
で、お前らはどうなの?
うちの爺さんの事は、断片的にでも言ったらおれが身バレしてしまう。
うちのジジイはアル中で医者に止められてたのに便所の中でこっそり酒のんで
そのまま卒中かなんかでひっくり返って死んだ
近衛兵ってのは一流半の人材を集めたところ。
本当の最精鋭はどこの師団も出すのを渋って、文句を言われない程度のハイレベルな人材を送る。
あと、飛燕はメッサーとは全然違う。
うちの爺さんは山砲の分隊長だった。
ある日、隊長に呼び出されて高射砲の分隊長に配置換えを命じられる。
その後暫くしてから、南方に廻されて毎日のようにやってくる米軍機を向かい撃ったけど1機も落とせなかったらしい。
大人になってから調べてみたら爺さんがいたところは有名な激戦区だった。
よく生きて戻って来られたものだ。
今それだけの根性を持った若者なんて居ないだろうな、勿論俺を含めてだけど
デタラメが多すぎ、陸軍士官学校出たなら「少尉」だ
そっから優秀者は中尉になって、さらに功績あれば大尉
少佐になるには条件があって平民は基本的に無理
例外としてずっと軍属であるとか、軍属や華族の推挙があれば佐官になれた
もしくは文官として頭であがるか、だな
なんか大東亜戦争とか軍に関する認識がでたらめすぎてダメだ
毛利の直系も嘘
大内氏とか毛利は今でも直系の人が名前晒して生きてるから
藤原直系だって今でも残る日本で
「知らないけどなんか毛利直系」なんて事はありえない
凄いけど
匿名でこんな曖昧に言われても特に何も思わないです
これといったエピソードもないし
まさしくVIPレベル
>まず高度を上げて雲の中へ
>そこから下にいる米軍の飛行機が過ぎ去るのを待つ
>無事に過ぎ去って、ガソリンが半分になったら帰還。ただこれだけ。
これ読んでひたすらクズ自慢するのかと思ったらそうでもなかった
ただただ残念な文章だった
威嚇ぐらいするならまだしも、隠れて逃げるとか・・・
その本土爆撃で相当民間人が死んだんじゃないのか?
チャンコロ殺した話といい、普通にとんでもないクズだと思うが・・・
家のじいちゃんのじいちゃんは明治天皇の乗る馬車の護衛をしてらしい
うん。叙勲はうちのじーちゃんでももらってるくらいだから、別にスゲェぞ!!って自慢できるほどのもんじゃねーと思うよ。
そんなことよりも聞いてくれ。
俺の父はマジですげーんだ。
キューバのカストロさんにあって、直々に葉巻をもらったっていう日本人はそうそういねーだろ。
うちの曾祖父さんはあのミッドウェー海戦に参加して生きて帰ってきて戦後3年間はシベリアに抑留されてたんだ。すごいだろ。
20で大尉って時点でもうなんか‥グダグダ
途中も事実は交じってるんだろうけど、
スタート地点がいきなりインチキくさいから信憑性が著しく低い
日本語下手すぎだろ
自慢自体が卑しい事だけど
自分じゃなく身内や知人の自慢は醜悪
>親父が言うには、普段は標準語だけど怒ると軍人の言葉遣いになってたとか
>貴様等ーー!!
>とか叫んでたらしい
貴様って海軍の用語だろ。陸士出身者が使うことがあったのか?
他にも書いてることがかなり変だね。
俺の母方、父方の爺さん両方亡くなってるからなぁ…
当時何してたかもわからない
じいちゃんじいちゃんうっせえな
そんな自慢話する暇あるなら自分の為に使え
南雲 忠一がばあちゃん方の家系って言ってたな
戦争における偉い人が先祖なんて誇れないとか言ってたけど
じいさんすげぇのに何でおまえらはカスなの?
うちのじいちゃんは戦闘機作ってたな。
いよいよ戦争にかりだされる船に乗りに港についたら終戦になった。
うちの爺ちゃんはその当時樺太にいたらしい
ソ連軍に家占拠されて、死にもの狂いで死体踏んずけながら逃げて来た。
って言ってた
俺の爺ちゃんも戦艦大和の開発の主軸な人間だったらしい。
その人がボケてガンになって死んでいくのは怖いよ。
そんなことより、俺の爺ちゃん生きてたら今30ってどういうことだ!?
>喧嘩で小刀を使い中国人を殺してしまったこともあったらしい
よくこんなじじい尊敬できるな
こういうクソ話聞くと南京大虐殺も納得するわ
納得しちゃった
逃げるのがうまいとか
単なるヘタレじゃねーか
終戦後はたいへんだったみたいだが
なんの自慢にもならんやろ?笑
祖父は最初呉海軍工廠で魚雷のシャフト作り。
その後徴兵される。本来ならば満洲に行く所を
寒いのは嫌だとごねたら第8飛行師団に入れられ台北へ。
向こうでチャンドラ・ボースの事故死にも立ち会ったそうだ。
マラリアに罹る等したが、終戦から半年後復員。
その後は普通に暮らしている。
武勇伝などは特に無いが、高砂族の綺麗な日本語や
戦後の朝鮮人の暴虐等の話を聞いている。
俺のじいさん戦争嫌で軍から逃げ出して、
最終的にはシベリア彷徨って生還した。
武勇伝は野生の虎と戦って無事に逃げた事だったw
昔なら間違いなく非国民扱いされるよね。
>92
知り合いが樺太で目の前で両親を殺されたって言ってた。
ソ連兵は本当に残虐だったらしい。
お前らのじっさま凄過ぎだろ…
俺のじーちゃんは陸軍の少年兵見習い?みたいなので、軍人のパシリやらされてたのにwww
配給で貰う煙草を吸う人が家族にいないから、軍人さん達に渡してたら色々と優遇してもらえるようになったっつーてたな
あと配給で貰ったバターの食い方が分からなくて最初は放置してたんだけど、調味料が尽きたから蒸かした芋につけてみたら美味かったと。それ以来、じゃがバター好きのじーちゃん…
ところで自慢と尊敬を取り違えてる奴がいるよね?
いいんじゃないの?
年寄りの話なんかつまらんわって奴より、俺のじーちゃんすげーんだぜって奴の方が俺は好きだ
連投スマソ
>6
うちの爺ちゃんもビルマいってた。話聞いたら悲惨だったみたい。
負傷したけど無事にかえってきた事と
そのときの隊長殿、仲間の人に感謝。亡くなる前までたまに夢に出てきてたみたい。
生きて帰ってきてくれてありがとう爺ちゃん。マジメで優しいちょっと天然な爺ちゃん大好きでした。
ヤマトも見たって言ってたなー。爺ちゃんがんばってるよ俺。
お前らのじいさんは鷹
お前らはトンビ
飛燕ときいて、はじめの一歩の真田を思い出しましたよっと。
みんなのじいちゃんなんかすげえなw
うちのじいちゃんは特にそういった軍人であったり、賞もらったりはしてないが、
俺はそれでもじいちゃんが好きなんだぜ!長生きしてほしい。
俺のじいちゃんは畳屋だったらしい
>>1の文章はひどい
しかしまあ今では考えられないが、中国人もかなり抵抗してたって聞いたことがあるぞ
事故にしろ殺しちゃったのは仕方ないんじゃね?
俺の先祖は天皇だったらしい。名前は知らないけど、それなりにすごかったとかなんとか
うちの祖父さまみたいにほとんどの期間日本国内で事務方に勤めてたのもいればずっと戦場で苦労したのもいたんだね
ま、階級が違うけど
>終戦してからは階級とかは関係なくなるから、食べ物はない。
うちは戦後も食べ物に困ってないみたいよ(甘い物以外)、普通の人は困ってたとは聞いたけど
NHKの特番でやってたよな、こんな感じなの
爺ちゃんは台湾に出兵して太って帰還した。
敵が来ない、そもそも銃の弾が一発も無い、ということで農家の仕事を手伝ってお礼に食べ物を分けてもらい、食うに困らない平和で豊かな日々を過ごしたらしい。
蛇食ってみたら意外と旨かった言ってた。
特高に拷問されて血塗れになった人が家の前を引きずられていったとか内地の話は痛ましかったな。
じいちゃんが逃げの名人ってところから永遠の0スレだと思ったのに…。
うちの爺ちゃんは満鉄の監査役で住んでた家の廻りが特公の官舎だったという…
終戦後は満鉄の戦勝国への引継ぎとかやって帰国が遅れた。
なにやら色々歴史の裏を知ってそうな爺ちゃんだった。
毛利さんの直系は普通にいるはずだが、>>1は苗字毛利なんだろうか?
てか毛利直系東京在住だろ?どうして片田舎の鳥取にいるんだww
直系って、毛利公爵家?
だとしたら、それはない。
あそこは維新以降、ずっと東京。
傍流の子爵家、男爵家もあるけれど
鳥取にいた一族ってのはたぶんない。
「毛利一門」だったらありえるけど。
爺ちゃん自慢くらいしてもいいだろ
先祖は凄いのにお前らのゴミ屑ときたら
コメ欄で批判しか出来ないクズの多さwww
おじいちゃんは自分がちっちゃい時に亡くなって
おばあちゃんは気付けばボケてたから話しがあやふやなんだけど
二人して戦争中は朝鮮に行ってたらしい
終戦年に父が生まれて、荷物全部置いて日本に帰還
置いてきた荷物はいつか受け取りに行くんだとか言ってたそうな
おじいちゃんは帰ってきてから警察官になったという話を聞いた
今になって興味が沸いたりしても、もう昔の話を聞けないは寂しいよな…
おれっちのじーちゃんは、普通の陸軍の兵隊でとくにこれといった活躍をするでもなく、
南方戦線に送られる途中(?)でサイパン沖だかで船を沈められて戦死だな。
ばーちゃんが戦争未亡人ってことで恩給もらい続け、オレのお小遣いが安泰だったwww
ありがとうじいちゃん!
爺様の写真の目モザイクいれてるけど
>>神戸市弁護士会の会長に就任する
そこからは、昭和か平成か忘れたがけど兵庫県知事の推薦で叙勲を貰う
天皇直々に叙勲を貰う
これで簡単に本人バレするのが解らんのかね。
爺様は優秀だったが孫はアホだな。
まあうちは水飲み百姓で戦争に行ってないから普通に天寿を全うしたが。
仕事柄たくさんの年長者と話す機会がある。直近の戦争の生き証人。
女でも軍服着て馬に乗り中国で戦った人もいたよ。
その人は国からは何の恩赦もなかったけど、たくましく生きてる。
今になってあかるみになる事実もあるから情報チェックするおじいさんもいる。
日本を住みやすい国にする努力をしないとじいちゃんばぁちゃんの苦労が無駄になってしまうね。
うちのじいさんも元近衛兵だったな。
実家に近衛なんちゃら除隊記念だかって徳利があって正月には使ってた。
母方の曽祖父は戦時中、どこぞの士官だったらしい。今でも勲章が山のように残っている。まあ、無造作にポリ袋の中に入ってるだけだが。
昔は、日本刀?軍刀?と38式だかなんだかがあったがいつのまにやらどっかいったらしい。
父方の曽祖父が地元の大地主。今でも、市長選や県知事選になると来客が多くなる。絶対黒い事やってただろ・・・って言いたくなるほど。
父方の祖父も戦時中は士官待遇だったとの事。後方待機を命じられていつの間にか終戦。
うちの父方はもともと平壌?(北朝鮮の首都)にいて徴兵時盲腸になったから免れたとか言ってたな。
終戦後日本にあった土地を国に取られて貧乏になったからあんまり日本が好きじゃないって言ってた。日本人なのに。
昔はあの半島もいいところだったらしくて死ぬまでにもう一度生きたいな…ってつぶやいてたのが印象的だった。怖かったけど。
日本海に灰を流したから着いてるといいなぁ…
家のじいちゃんとひいひいじいちゃんも教科書に載ってたの知った時は何かの間違いかと思ったお(´・ω・`)イマワシランガ
じいちゃんみたく成るぞと意気込んで現在浪人とかわろえんが
祖先が優秀なのにお前らときたら…
男の価値が『逞しさ』から『女にモテること』に変わって容姿悪い奴が輝けるこ
めんどくせーから読んでないけど
じーさんばーさんって想像を絶する人生を割りと皆歩んできてんだよな
うちのじーさんばーさんもボケーっとしてるけど昔の話を聞くと面白い
人に歴史ありだわ
俺にはないけどな
かっこいいジジババは最強
かっこいいジジババは最強
俺のじいさんは乗ってた輸送船が3回撃沈されても帰還したw
2回目の時は小隊でじいさんだけ生還したそうだ
物資輸送で寄った基地に置いてあったチハ戦車を悪友と乗り回し、ぶつけて破損
翌日、その基地の戦車部隊のやつらが上官にこっぴどく制裁受けてるのを無視w
俺の祖父
海軍に志願する
特設水上機母艦(潜水母艦)に乗り組む
トラック島で空襲を受けて船が沈没、祖父は島にいたので無事
以後島に取り残されて終戦まで基本畑仕事
機関銃の部隊にいたうちのじーさん、
掃射の時は1mに3発の間隔で撃つんだと
恐らく今後の人生では役立たないであろうが
実に実戦的な知識を教えてくれた
じーさんのひ孫、つまり俺の子供には
じーさんの名を一字もらった
池上彰なんぞ宣伝するんじゃないこの無知者めが
何がすごいのかよくわからん。
アメリカの戦闘機に勝てないから初めから戦わず逃げてたらそりゃ死なないよな。
てゆーか戦時下の貴重なガソリン返せ
文才なさ杉
萌え二次2の日本軍ルートで飛燕の擬人化娘がいたと思うけれど、あれは的を射た表現だったと思う。初作の頃と比べて硬派度がだいぶ和らいだのは良いのか悪いのか。初作ではタイトル詐欺も良いところであったが、次第に萌えを理解してきた結果と言えよう。嬉しいことだと思う。
……んれ? なんのはなしらっへ?
孫アホだが、じいちゃんはマジ凄かったんだな!
じいちゃんのじいちゃんは維新十傑。
じいちゃん華族候爵家直系。ばあちゃん自身も公爵家直系。
華族制度崩壊後の駆け落ちカップルってお話だが、出身藩同じ、家格も華族同士だし、十分な素養があったうえでの結婚なんだね〜。
世が世なら、糞エリートじゃん。親戚に総理やらいるし華族だらけ。
その血と職能頂点のエリートでさえ敗戦直後は虫と尿で口を凌いだって話は、社会崩壊の混乱、悲惨さを痛いほど実感するよ。
庶民はどんだけ大変だったんだろうね?
戦中も悲惨だが平の復員兵の社会復帰は相当大変だったよね。
おれのじいさんは、お江戸魚河岸→赤紙陸軍・上海→南方で終戦→製鉄所工員。
死ぬまで決して戦争の話をしなかったらしいよ。
若い頃、映画好きで銀座をぶらつくスマートなモボ(リア充)だったらしいが、
俺の印象では、無口で働きもん、いつもどこか寂しそうな陰の射すじいちゃんだったよ。
この孫さんのじいちゃん、それでも混乱終結後に法曹界を選択して新時代の職能エリートに転換できるだけの実力と柔軟性も兼ね備えた本当に凄いじいちゃんだね。
そして孫は、情報革命社会の貴族Theニートへと道を着実に歩む。
これが帝王学がなせることなんだね!
あと、毛利宗家なら東京在住。
ばあちゃん鳥取いたなら宗家じゃないっ批判されていたが、
維新後の毛利家当主は代々貴族院の議員やっていたから、
現在の国会議員と同じで仕事先が国会だから東京に住むが、
あくまでベースは地元長州=鳥取一部も旧藩領。
ましてや戦中、戦後すぐなら女子供は疎開で地元にいるっしょ。
統制経済の配給制度も崩壊して、法律守ったら餓死する裁判官いたくらい都市部=東京に食料はない。なにより空襲被害でインフラなし。
終戦まもなく華族解体で、貴族院解散=東京に職なし。
長州=山口県のほうがベースだが、瀬戸内海側は海軍基地と軍需工場が点在してたから空襲ひどく、被害のほとんどない(空襲死者100名以下)鳥取にいたんでしょ。
原爆&空襲で、広島の次に山口も凄まじい被害だったからね。
そこから、一昔前のJAPAM as No.1の日本を創りあげた俺らのじい・ばあ様たち。やっぱ偉大!
経済戦争に負け、次に金融戦争で負けたら新たな戦後だね。
玉音放送も近いね。
中央銀行の中身は紙クズですってね。
笑えない。