硫黄島からの手紙見るから硫黄島の戦いの豆知識教えてくれ
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:13:58.23ID:CllhH5xx0
無ければ太平洋戦争、第二次世界大戦の
トリビアでも良い
『硫黄島からの手紙』(いおうじまからのてがみ、Letters from Iwo Jima)は、2006年のアメリカ映画(戦争映画)。『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)に続く、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品である。劇中の栗林忠道陸軍大将の手紙は、彼の手紙を後にまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』(栗林忠道・著 吉田津由子・編)に基づいている。
硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい。Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名は「デタッチメント作戦(Operation Detachment)」。

14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:20:24.21ID:AOMHnE420
戦後に米軍に鹵獲された戦艦長門は
核実験の的に使われたが原型を保っていた
軍艦 長門(ながと)は旧長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の1番艦である。第二次世界大戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後は米軍に接収され、原爆実験に供され沈没した。

15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:22:32.76ID:qUy8Reu00
日本人なら「いおうとう」と読め
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:03:02.22ID:WZvSoZ240
ちなみに、正しい読み方は”いおうとう”
IMEじゃ変換されないけどな
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:06:23.94ID:qUy8Reu00
>>62
GHQが変えさせたんだっけ?
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:10:26.98ID:WZvSoZ240
>>66
米軍兵士間での呼び名がイオウジマだった
生還しその後退役した軍人連中がイオウジマで読み方を決定させた
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:23:07.58ID:/KH47M/g0
これだけ見てもダメだぞ
姉妹作の『父親たちの星条旗』も見ないと
『父親たちの星条旗』(ちちおやたちのせいじょうき、Flags of Our Fathers)は、2006年公開のアメリカ映画。監督はクリント・イーストウッド。ジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズによるノンフィクション本『硫黄島の星条旗』(原題 Flags of Our Fathers)をポール・ハギスらが脚色。製作にはイーストウッド率いるマルパソ・カンパニーの他、スティーヴン・スピルバーグ率いるドリームワークスも参加している。第49回ブルーリボン賞および第30回日本アカデミー賞最優秀外国作品賞受賞作品。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:27:36.34ID:TWroL99c0
海上からKAMIKAZEするときに使われたボートはベニヤ板でできてる
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:39:03.19ID:wXyqSvCv0
全滅ではない。
少しの人は生き残った
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:40:40.52ID:WZvSoZ240
>>41
硫黄島守備隊は補給も援軍もなく、
最後の一兵になるまで戦い玉砕したとされる
実は生き残りが何名かおり、ゲリラとなって米軍を悩ませた
戦後4年、ボロボロの布を体にまとった日本人が白旗を掲げて
米軍に投降した
投降のきっかけは、米軍が投げ捨てた雑誌の
日本人女性と米兵が仲睦まじくしている写真だったという
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:43:17.56ID:6Z0yQlfeO
>>43
酷い話だ
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:40:16.93ID:UeUsMxFk0
硫黄島と小笠原諸島は結構近い
硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島の南端近くに所在する、東西8 km、南北4 kmの島である。行政区分上は東京都小笠原村に属し、東京都区部からは、南方におよそ1,200km に位置する。島内の最高峰は、摺鉢山(標高169 m)であり、硫黄島は周囲の島々と合わせて火山列島(硫黄列島)と呼ばれる列島を形成している。 硫黄島は太平洋戦争の激戦地(硫黄島の戦い)として知られるが、現在は海上自衛隊と航空自衛隊の基地が置かれている。硫黄島へは旧島民らの慰霊や基地施設の工事などの例外を除いて、一般民間人の上陸は禁止されている。

45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:42:13.31ID:bBS9YisDO
硫黄島の戦いはペリリュー島の戦いを参考にした戦いだった
ペリリュー島の戦いは米軍は数日でペリリュー島は落ちると予想していた。
しかし実際は日本軍の決死の組織的な戦闘により、1個師団が全滅判定を受けるなど米軍は予想外の苦戦。結局島の占領まで二ヶ月半も要してしまった。
このペリリュー島の戦いの教訓が後の硫黄島の戦いに活かされたのだ
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:33:39.46ID:sg0ds4gOO
戦車連隊の西中佐が戦死した後にその愛馬も死んだとかなんとか
他に戦争映画で名作って何かある?
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:35:51.10ID:CllhH5xx0
>>33
個人的にはパールハーバーの
日本兵が奇襲仕掛ける時逃げろーて所が
好き
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:44:21.04ID:SV33onSY0
バロン西
西 竹一(にし たけいち、1902年7月12日 - 1945年3月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人、華族(男爵)。最終階級は陸軍大佐。通り名はバロン西(バロン・ニシ、Baron Nishi)。この硫黄島での戦闘で西は戦場に遺棄されたアメリカ軍の兵器を積極的に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して勇戦したと伝えられている。戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れたという逸話も残っている[2]。また上記の『硫黄島からの手紙』でも描かれた、負傷したアメリカ兵を尋問ののち乏しい医薬品で出来るだけの手当てをしたというエピソードも証言として大野芳などの著作でも触れられている。

49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:46:53.63ID:WZvSoZ240
硫黄島での戦闘も収束に向かい、、全土の8割を米軍に支配された硫黄島に
千葉館山飛行場より、1機の一式陸上攻撃機が飛来した
制空権もない中、米上陸軍へ単機爆撃を敢行し被害を与えた
そして驚く事に、この一式陸攻は、無事生還した
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:50:30.68ID:WZvSoZ240
米軍は硫黄島攻略戦で23000名余りの死傷者を出した
だが、占領した硫黄島の飛行場のおかげで25000名のB29搭乗員が助かっている
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:52:48.31ID:WZvSoZ240
現在の硫黄島の航空写真
上陸艦艇の残骸
大きな地図で見る
http://maps.google.co.jp/?ll=24.776361,141.292784&spn=0.007218,0.012317&t=h&z=17&brcurrent=3,0x60eea9a2ceb02dd5:0x4c7a5d0324341669,1,0x60f4269c63f22175:0x9dcf3fdf1f8d08a
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:57:27.04ID:L4B7tNht0
>>55
まだ残ってんのかよ・・・
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:55:50.57ID:WZvSoZ240
米戦車には歯が立たなかったと言われている日本軍47mm速射砲だが
硫黄島の戦闘では数十両の米戦車を撃破している
一式機動四十七粍砲(いっしききどうよんじゅうななみりほう)は、1940年(昭和15年)前後に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。俗称は一式機動四十七粍速射砲(いっしききどうよんじゅうななみりそくしゃほう)。

61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:02:32.72ID:PbOIlX6I0
最近やってた太平洋の奇跡って映画も硫黄島だっけ?
面白かった?
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:04:08.60ID:CllhH5xx0
>>61
サイパン?
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:10:52.75ID:PbOIlX6I0
>>63
サイパン島だったか、サンクス
硫黄島で掘り出された噴進砲が靖国神社に奉納されたんだよな
78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:17:34.56ID:WZvSoZ240
>>71
【硫黄島戦跡収集品】
http://www.iwo-jima.org/ihin/sensekishuushuuhin.html
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:05:32.99ID:WZvSoZ240
>>61
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:14:53.79ID:7kMug9fd0
一億特攻の魁となれは違ったっけ
90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:38:43.96ID:eIpeJ45o0
>>74
それは大和が出撃する時だな。
実は
硫黄島戦で死んだ米兵の数>>硫黄島にいた日本の守備隊の人数
ちなみにこの映画は突っ込みどころ満載の1.5級の戦争映画
92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:40:04.91ID:WZvSoZ240
>>90
死者は守備隊のほうが多いぞ
死傷者でカウントすると米軍の被害のほうが大きくなる
草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争の主要な部隊で参謀長職を歴任した海軍中将である。剣道家でもあり、一刀正伝無刀流剣術第4代宗家。天一号作戦が決定した時、草鹿は戦艦「大和」の第二艦隊司令部を訪れ、伊藤整一司令長官に作戦命令の伝達と説得を行っている。水上特攻の命令に実行を渋る伊藤に対し、「一億総特攻の魁となって頂きたい」と述べて説得した。

103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:46:48.53ID:WZvSoZ240
劇中の日本軍守備隊は汚いながらも一応軍服を着て戦っているが
地下壕内部を蟻のように動き回って神出鬼没に戦ってた兵は上半身裸が多かったそうだ
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:17:49.93ID:SV33onSY0
栗林中将のお孫さんが国会議員やってるのを最近知った
75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:15:46.07ID:WZvSoZ240
栗林大将(当時中将)は、米上陸軍を水際迎撃する事を禁じ、
心血を注いで構築した陣地奥深くまで誘い込んでからの攻撃を厳命
勝ち目があった訳ではない
1分でも、1秒でも長く、米軍を硫黄島に釘付けにするために
硫黄島での足止め期間が長くなればなるほど、本土で死ぬ国民が減るから、と・・・
81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:23:15.55ID:sg0ds4gOO
>>75
海軍の市丸少将は水際防衛を主張してたんだよな
そーいえば海軍の中には連合艦隊が壊滅したのが信じられない人も居たらしいね
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:32:09.47ID:Zm8vV0Bw0
>>75
上陸して500メートル引きつけてから攻撃したんだよな
87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:34:25.67ID:WZvSoZ240
>>86
本当はもっともっと引き付けて、野砲陣地と共同で高密度火力迎撃するつもりだったらしい
だが、野砲陣地がフライングして米軍に位置バレして殲滅された
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 17:55:12.38ID:sg0ds4gOO
米軍の準備攻撃を本格的上陸と誤認して反撃したせいで硫黄島最大の要塞摺鉢山砲台と海軍南砲台の位置が米軍にばれて集中砲火を受ける羽目になった
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年(明治24年)7月7日 ‐ 1945年(昭和20年)3月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。位階勲等は従四位勲一等(旭日大綬章)。長野県埴科郡旧西条村(現:長野市松代町)出身。 小笠原兵団長(兼第109師団長)として陸海軍硫黄島守備隊を総指揮(小笠原方面最高指揮官)、硫黄島の戦いにおいて激戦ののち戦死した。

77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:17:19.01ID:qLV/HGYhO
前に見た後ググって出てきた手記読んだら映画どころじゃない地獄で号泣した
82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:27:28.58ID:WZvSoZ240
>>77
ここも読んでみてくれ
【祖父の硫黄島戦闘体験記】
http://www5f.biglobe.ne.jp/~iwojima/index.html
101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:45:25.94ID:qLV/HGYhO
>>82
ああこれだ、ありがとう
94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:41:16.36ID:Ox5NoBaAO
連合艦隊司令長官山本五十六
この人も謎が多いよな
95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:41:46.43ID:iCXENFgA0
>>94
新潟県長岡市出身しかわからんわ
山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、新潟県出身の大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。ソロモン戦線で米軍の攻撃によって戦死するまで太平洋戦争(大東亜戦争)前半の日本海軍の攻勢作戦、中でも真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たったことから海外でも太平洋戦争の日本を代表する提督として広く知られる。

107:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:48:39.83ID:k3fWVwwpO
現地の兵士たちは飲み水さえまともなものが無かった
ある日重傷の兵士に水を飲ませたところ、みるみるうちに唇が腫れ上がった。
潜んでいた洞窟内に水を貯めていたんだが、硫黄島の地熱で沸騰寸前まで温度が上がっていたらしい
あそこには多くの英霊達の骨が埋まっている。
硫黄島自体が墓なんだ、今すぐ滑走路をひっぺがせ不敬者
って言いたい
108:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:50:38.99ID:/LNqZF/50
>>107
むしろ何もない墓地にされても英霊たち無念だろ
110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:51:27.25ID:CllhH5xx0
>>107
守った意味が無くなる
111:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 18:53:36.75ID:WZvSoZ240
>>107
滑走路を剥がして遺骨収集するっぽいよ
113:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 19:03:11.30ID:k3fWVwwpO
そういえば青山繁晴が硫黄島に行った際
滑走路に土足で立つのが申し訳なくて靴脱いでたな
本当は足をつけることさえしたくなかったそうだが
あの人はガチだ
テレビに出てるジャーナリストで唯一真面目に話聞ける
114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/12(金) 19:08:13.23ID:EWQl44NcO
大空のサムライ坂井三郎も硫黄島にいた
相当に視力が落ちてたこともありあまり活躍は出来なかったが
硫黄島からパイロット達が撤退するときに輸送機のパイロットが居ないと言われて
飛行機に違いないんだから俺が操縦してやるて言い張ってぶっつけ本番で飛んだらしい
坂井 三郎(さかい さぶろう、1916年(大正5年)8月26日 - 2000年(平成12年)9月22日)は、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員(パイロット)。戦況の悪化、絶対国防圏の重要な一角であったサイパン島への米軍上陸を受け、海軍航空隊の総本山であった横須賀航空隊にもついに出撃命令が下り、1944年(昭和19年)6月22日、坂井を含めた零戦27機は、大村空で教官をしていた坂井を、横須賀空へ引っ張ってきた、ラバウルでの飛行隊長でもある中島正少佐の指揮下、硫黄島へ進出。ラバウル以来の久しぶりの戦地、右目の視力を失いつつも、最前線に戻ることとなった横須賀空の坂井は、硫黄島防衛に加え、マリアナ沖海戦に勝利したばかりで、マリアナ諸島沖に展開の米海軍機動部隊(第58任務部隊)を攻撃することも視野に入れつつ、三沢基地で練成中だった第252航空隊他と共に、零戦の他に艦上攻撃機天山、艦上爆撃機彗星他も含めて急遽編成された「八幡空襲部隊」の傘下に入る。

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「十七歳の硫黄島」読め。
栗林中将がアメリカ赴任時から硫黄島最期の時までに家族に送った手紙を全て載せた
「玉砕総指揮官の絵手紙」を読んでおくとより楽しめる
劇中でも絵手紙を娘に書いてるシーンがあったっけか
そういえばしゃべくりで渡辺謙がゲストで出たとき名倉は「いおうとう」って言ってたな
今の正確な読み方は「いおうとう」だよ
そのあたりの経緯は硫黄島wikiにも詳しく書かれてる
パールハーバーは糞映画だからな、注意しろよ
坂井三郎氏の伝説の一つだね、硫黄島の出撃談。
マリアナで片目を負傷して視力と視界が落ちているにもかかわらず、2機撃墜のうえ、15機のF6Fヘルキャットに包囲され(原因は視力低下のせいで敵機を味方機と誤認したためだが…)しかもかすり傷一つ追わず帰還してる。
坂井三郎氏の証言ではやばかったという話をしていたけど、このときの米軍側パイロットの証言だと、たった1機相手に防御陣形を取らざるを得ないほど圧倒されたのだとか。
ところで、少々メタな話をすると、中村獅童は硫黄島での組織戦闘が終結してから10日後には、大和で沖縄へ出撃しなければならないのだなw
この映画結構面白かったよな、アメリカ視点から観れる父親たちの星条旗もオススメ。
両軍の兵士が不憫でならない、まあ実際はもっと酷かったんだろうけどね
>>55
あれは上陸艇じゃなく
米軍が廃船沈めて岸壁つくろうとしただけ
上陸した海岸は反対側だね
ちなみに硫黄島は隆起が激しいから今も岸壁作られてない
米37にいらっとした
あれ、パールハーバーが日本公開されたときに追加された、
日本人向けのご機嫌どりのシーンだろ
パールハーバー自体は、映画史に残る駄作
すぐにメディアに影響される頭の悪い弟がパールハーバー観てから、日本人って汚い、大嫌いとかマジで煩かったな
栗林中将の手紙読みました。
涙無しでは読めません。
また、渡辺謙さんは海外の役者からも監督からも人柄が好評で、そういうチームワークからこの映画が成立したのだと思います。
また、このスレを観て、硫黄島からの手紙を再度鑑賞。トリガラの様な西郷さんって、ジャニーズの方だったのですね。(グループは知らん)
芸能人にとんと疎いので気が付かなかったけど、、、結構いろんな人が出ていて。
>>※8
>>55をレスした張本人です
適当な事書いてすみませんでした
今の日本の現状を見ると何だか悲しく、そして申し訳なってくるな
『硫黄島からの手紙』懐かしす
擂鉢山のシーン全般が印象的だった
※欄もマメ知識溢れてるな。
坂井三郎氏の伝説も凄いが、写真の笑顔がまた素敵だ。大変な世の中でも。
地上波で放送する時は毎回
ラスト出撃前のナベケンの力強い演説がざっくりカットされちゃうんだよなー
万歳シーンがいかんのか知らんがもったいな過ぎるわ。
じいちゃんとひいじいちゃんが技術者とその息子でついてったらしいけど激化する前に赤痢で本土に強制送還したんだって聞いた。
映画の人の役名かなんかの本人を何人か覚えてたらしい
いつもはガンコ色ぼけじじぃちゃんだけど笑って語ってる姿は歴史を感じた。
あの有名な硫黄島の星条旗の写真は2回目に掲げ直した方。
そっちの方が綺麗に取れたのでそっちが有名になった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%98%9F%E6%9D%A1%E6%97%97
九八式臼砲とか使用されてアメリカ軍を一時とは言え膠着かさせた武器は映画では出てこなかったな~。
大火力兵器の一種で爆発範囲大きく重量約300kg・中径330mmと大型で細長い弾体をもつ九八式榴弾、アメリカ軍は決戦の際戦艦や大型砲の無い日本軍がこれ程の巨弾を発射して攻撃してきたのも驚いたが、弾道から発射されたと思われる地点を捜索するも、大型の砲台や発射する施設もなかった。
ひとえに特殊性で弾体と発射台だけで構成された砲身のない迫撃砲。
攻撃範囲が直径250mもあり運搬に関しても人力で行い、設置等には1時間程度で出来るほど。まぁロケット花火似てるがロケット花火の先を打ち上げ花火で火筒ごと打ち出してる様な物で台座は檜で作られていて5発程度で壊れてしまう。硫黄島では20機用意され全ての弾を撃ち出した後敵陣に挺身斬込を敢行し玉砕している。
武器としては大型砲台の無い地から突如として大型弾が降ってくるという事でアメリカ軍に恐れられた武器。見つけても檜の台座だけで何に使うかわからなかったらしい。
ほいよ.いいからだまってこれを最後まで見なさい.
とりあえず,最後までみなさい
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6679816
米13
今は形が違えど、シナ南朝鮮と戦争しているようなもんだ。
正直、南朝鮮の侵略にあっていると認識している人が少ない。
とくに50代から70代。ここら辺がやばい。
侵略されて完全降伏してると思うと申し訳なくなる。
パールハーバーが上映された年、雑誌ROADSHOWでの人気投票で
1位に選ばれて、あまりにも失望したので購読をやめた
なぜそんなに人気だったのか今でも分からない
俺も近所のじいさんから零戦乗りたちの
写真を数枚もらったが、どれもみんないい笑顔で写ってるんだよな
ムービープラスで全部見たな
アメリカ側、日本側、2つの作品を見て詳しいことはよくわからないが硫黄島からの手紙は日本に最大の敬意を示して作られた作品だと思う
識者が言うには細部にところどころ違うらしいが
>>21
一番の問題は文化交流と文化侵略の違いがわかってないことだよな。
文化交流は互いの良い物を交換、文化侵略にも2種類あって一つは意図せず他国で人気が出て、それを他国が大量輸入することによって生じる軋轢。
この場合は日本の文化特にコンテツ系で良くあるドラマやアニメ等。
2つ目は今回の様な韓国文化だな、他国の文化を紹介するだけならば問題もないが、韓流は押し売りと取れるような戦略で攻めてきている。
TVや新聞が主流の時代ならば韓流が流行していても気にはならないがネットが主流になると流行も作れなくなったマスコミの強引な誘導が目に余るようになったからな。
> 少々メタな話をすると、中村獅童は硫黄島での組織戦闘が終結してから10日後には、大和で沖縄へ出撃しなければならないのだなw
まあ、メタな話で悪いが、中村獅童は米軍の捕虜になって数日以内に硫黄島を脱出し、その上海軍に転籍した上で数日で大和に乗り組み、沈没後も他の乗組員を救助しつつ、最終的には2000年代まで生き延び大往生して死んだってことだよな
どんだけ化け物染みてんだよwww
パールハーバーは公開前の宣伝がすごかったんで映画館に行く気でいたんだが
当時アメリカに住んでた知り合いに感想聞いたら「金をドブに捨てた」と言われたんで結局見るのやめた
イーストウッドの方はそこそこ評判いいらしいな
昨年、小笠原村主催の硫黄島訪島事業で慰霊祭参加・島内見学してきた。
島内いたるところに戦争の爪痕が残っていて、当時使われた機関銃や大砲もそのまま残されていた。
栗林中将のいた兵団司令部壕や病院だった壕も見学したり、擂鉢山も見てきた。
案内してくれた自衛隊の人の話で印象的だったのは、硫黄島返還後、硫黄島で生き残った旧日本兵の方がどうしても訪島事業に参加したいということで、再び硫黄島に上陸を果たしたが、その方は擂鉢山から投身自殺されたそうです。
多くの戦友が亡くなった中、自分だけ生き残ったことに申し訳なくなったのではないかとのことです。
硫黄島の上陸艦艇の残骸グーグルさんのトラップかと思ったらマジ本当にそのままなの?!。
グーグルビューでも見える?けどyahoo地図では近づけない?。
硫黄島の手紙は内地の描写も
アメリカ映画にしてはリアルだったからな
真珠湾の糞映画とは比べるのも失礼だわ
ここまで舩坂無し
>>※8
>>55をレスした張本人です
適当な事書いてすみませんでした
日本軍を戦後完全に否定された敗戦日本と、今もバリバリ世界を股にかける米軍を持つ先勝国アメリカじゃ
戦争映画一つ作るにしても広告的なプロパガンダの意味は全く違うんだろうな
日本人には軍の存在は過去のことでも、アメリカ人にとっちゃ今でも自国のヒーローで在り続けなきゃいけないわけだし
パールハーバーは反日で有名なウォルト・ディズニー生誕百周年記念のためにバブル期、日本企業にハリウッドが賠償されそうになったことを恨んでる関係者が製作させたもの。日本軍に関する資料がしっかりなされていないために、零戦の戦闘シーン以外はクソだった。
硫黄島からの手紙はハリウッドでは初めての日米両視点における大平洋戦争関連の映画。これに踏み切ったイーストウッドに思わず感心した。
あと硫黄島戦に関する豆知識だが俺の地元にあった日本軍の浜松基地から援軍として一式陸攻が出撃し、米軍陣地を爆撃した。
アメリカ視点ならpacificだな。ペリリュー島で海兵隊を壊滅させた日本兵すげーけど、
それでも占領しちゃう海兵隊もキチガイじみてる。
※28です。
米軍が岸壁を作ろうとして座礁させたコンクリート船
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up52713.jpg
大阪山砲台
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up52714.jpg
硫黄島に常駐している大手建設会社が掘り出した品々
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up52715.jpg
アメリカ軍が上陸してきた浜。奥が擂鉢山
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up52716.jpg
擂鉢山山頂からの風景
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up52720.jpg
米25
裏で糸引いてるのが国家でだからねぇ。
しかも国家予算に組まれているって恐ろしい話。
圧倒的少数なのに、駅の構内でハングルが書かれているとか異様でしかない。
米35
物量がねぇ。
日本の物量が3倍くらいあったら結構ちがっていたかな?
3倍くらいじゃどうにもならんかねぇ。
同じものを両方の視点で一本ずつ描くってのはよかった
「ジャップ」も「ヤンキー」も「ナチ」も「ロスケ」も一人一人は父や子や兄や夫だってことを案外忘れる
冷静に考えれば当たり前の事だけど外から見る人には意外とそこまで実感できない
>>9の栗林忠道の孫って、こないだ韓国鬱陵島に行った自民党の新藤義孝議員なのな。
坂井三郎氏がなんとか輸送機を操縦して内地に帰ってくると、
基地の中は特に緊張感もなく、この戦争も間も無く負けて終るだろう
って空気があって、硫黄島とのあまりの状況の違いに呆然としたらしいね。
絶望感が凄まじかった。実際の戦場はもちろんあんなものじゃなかったんだろうが。
これは兵士も犠牲者だったというテーマで作られた(らしい。父親のほうは国の都合で兵士が切り売りされているという話だからそっちも見ると分かりやすい)から日米どちらかを賛美・批判する意図がなくていい映画
真珠湾のは米賞賛・日批判抜きにしても、ヒロインを筆頭に主要人物に同情すらできないアホ映画
有名な星条旗を掲げている写真があるけど
あの前には日本軍守備隊が日章旗を掲げるために戦っていて、一度星条旗を落として、日章旗を掲げることに成功したが、その日章旗は血で染まっていたっていう話は割りと知られていないと思う。
そういうバックボーンがあるからこそ、海兵隊の中で大事なものだと思われてるんだろうな
一式陸攻ときいて高橋淳を思い浮かべる人も多いはず
超々低空飛行の写真は度肝を抜かれる
坂井三郎氏の著作は女も読むべき。私は5冊くらいは読んだぞ。
山本五十六については、坂井氏の著書にも記述があるが、結構キツい事を書いているよね。
航空機乗りの不遇は山本五十六の不明によるもの、という感じで。
時代遅れの指揮官だったという印象しかないわ・・・
とにかく戦争は経済力、人数、物量が優っているほうが最終的に勝つということの証明だな
将棋だって手駒が多いほうが勝つもの
日本人軍人だって開戦当初から別に米国に勝てると思っていなかったし
不利なのはわかっていたけど仕方なく開戦に及んだわけだ
パールハーバーなんぞより、トラトラトラのが断然面白いよ
米軍が島に撃ち込んだ爆弾や砲弾の総量を鉄に換算すると、島全体を1mの厚さで覆いつくせるほどの量になるとか。
擂鉢山は上陸前夜の砲撃で東側側面が山容が変わるほどに抉れて吹き飛んだこととか。
硫黄島の遺骨が収納されてる洞窟に、天皇陛下は靴を脱いで
一例してから入った場所に小沢一郎と管直人は土足でそのま
ま踏み込んで、小沢は帰国後に謎の発熱で入院したとか何とか。
ちなみに管が無事だったのは直前にお遍路行ってたんで助かったそうな。
まとめ乙
全部超まじめに読んでしまったわ
やはり過去があって今があるわけで、過ぎたことを学ぶ事はけして無駄ではないと思うね
>>日本人女性と米兵が仲睦まじくしている写真だったという
普通にいい話じゃないのか…
それを見るまで戦いを捨てられなかったという…
読みが「いおうとう」ってのは、35年前(俺は今年で43歳)に読んだ戦記で記憶してる。
硫黄島の戦記記述で他に覚えているのは、
・陣地構築で地面を掘ると、いたる所でガスが出るので遅々として進まない
・ガスが吹き出している所に芋を置いておくと、数十分で食べれるように成る
・死体に混じり潜んで、近づいて来た米兵を撃つ
※米軍側も「生きてる奴が混じっているので気を付けろ」と注意するように成った。
・米兵の軍服を着て、英語で「味方だ撃つな」と言った奴を撃つ
て辺りで、
火山性で、水が殆ど無い・飲めないってのは、当時8歳だったので理解出来ていなかった。
小学校に有った戦記は片っ端から全部読んだなあ。
加藤隼戦闘隊が、速度が遅いので「操縦席背面の防弾版を外してくれ」とかの記述、
マレー沖海戦、珊瑚海海戦、とかの海戦名、
オーストラリアとも戦った、
とか断片的に覚えてる。
※45
手駒が多い方が勝つ?
将棋やったことないんか
※45 仕方なくではない。
最後の最後まで多くの人間が反対したままで、何とか
不可避の状態にならないように尽力していたではないか。
軽々しくコメントするな。
岡本喜八の沖縄決戦見とけよ
名作だからよ
米52
あるよ
じゃああんたは
向こうには王将、金、銀、角、飛、が備わっており数も優勢
あんたのほうには歩兵と王将と銀しか無い。数も少ない
で勝てるのか?
追加。
最初に同じ条件と言う将棋の正式ルール上の話じゃなくて
将棋の世界でも数と手駒に不利な条件をつけられた中で対戦すると負けるからなという話のたとえだからな。
山本五十六は父親が56歳の時に生まれたから五十六。日露戦争で日進に乗艦、その時に左手の指を失っている…有名か。米44時代遅れだったとは思えないのだが。
車を飛び越えるウラヌスの写真も有名だな。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Imperial_Baron_Nishi.jpg
※53
>最後の最後まで多くの人間が反対したままで、何とか
不可避の状態にならないように尽力していたではないか。
その状態で開戦することを仕方なくという言葉に集約したんですが
あんたの思い入れはあんた以外の人間にとってはどうでもいいこと
あんた一個人の思い入れを理由に喧嘩腰に突っかかってこられてもね
ヒステリーうんざりです
もうしつこく構わないでね
これ以上変なの相手しないからさ
色々と伝説すぎるというか伝説めいてるというか・・・凄い
将棋に例えるからわかりにくくなるんだよ 馬鹿だな
※57
じゃあ、将棋に例えるなよw
朝鮮人が率先して米軍に投降し、米軍に陣地の位置を案内して回った。
朝鮮人が洞窟を指さし、直後に火炎放射器で焼き払われる様が、米軍の記録フィルムにハッキリ撮影されている。
鹿児島の硫黄島(いおうじま)には、いおうとう と勘違いした観光客が度々くる。
米国に物量で負けたってのは戦争物のコメントでよく見るけど
実際には戦術 後方支援 技術力等すべての面で劣っていたんだよな
星条旗立てた後も何度も交互に奪還戦が続いて血染めの日の丸が立てられたとか
栗林中将が戦死した後も随分長い間戦闘が続いたとか
塹壕に潜む日本兵にガソリン責めやら海水責めがあったんだっけ。
※6
オレの読んだ本だと囲んだのはF4Fとあった。
囲まれても一度に攻撃してくるのは一機だけなので大したこと無かったと述べてる。
それよりも被弾して負傷して翼が損傷してたとき方が辛かったんだと。
凄すぎw
お陰さんで子どもの頃読んだ本の内容をいきなり思い出せて楽しかった。ありがと。
※63
米軍の諺に弱い軍隊を作りたければイタリア兵を使え、強い軍隊を作りたければ日本兵を使えってのが有るくらいだから全てでは無いだろうね。ま、この諺がホントにあんのかどうか確認した事はないけどな。
硫黄島でいうと水源地がないことだろうな。
これは硫黄島防衛にとって死活問題だった。
旧大戦のトリビアだと、石油だね。
ミッドウェー海戦で第一艦隊、第二艦隊、第一航空艦隊、第二機動部隊(アリューシャン攻略部隊)と、全力出撃した結果石油備蓄量が激減してしまった。
それが遠因となってガ島戦に全力出撃ができなくなってしまった。
特に南方で石油資源をほとんど陸軍が制圧したこともあって、海軍の油槽船はなかなか石油を融通してもらえなかった。(海軍の油槽船に石油を入れると陸軍に怒られる)
※63
米国は本当のチート。
ぶっちゃけ国力で換算すると当時から1国で殆ど世界中を相手に戦争出来るレベル。
例えドイツと日本がどんなに上手く頑張っても絶対に米国本土占領には至れない。
戦争しながら兵站を完全にやれるのなんて今でも米国ぐらいしかない。
そんな国を相手に(例え一時とは言え)堂々と喧嘩やれた爺様達は充分凄いよ。
米国と日本のわかりやすい経済格差
鳩山一族VS生活保護受給者一人
向こうはお小遣いが一か月五千万よw
※66>米軍の諺に弱い軍隊を作りたければイタリア兵を使え
もしもシリーズ
もしイタリア軍と組まなければ・・・(くだらねえ血液型占いなんかを根拠にしやがって)
もしナチスが原爆開発技術を米に盗まれなければ・・・
もしやっぱハルノート受け入れたふりしてアメリカさん側についてれば・・・
もしハルノートを拒否した後向こうからの開戦を誘導しとけば・・・
追加
もしも朝鮮と組まなければ・・・・・
>朝鮮人が率先して米軍に投降し、米軍に陣地の位置を案内して回った。
朝鮮人が洞窟を指さし、直後に火炎放射器で焼き払われる様が、米軍の記録フィルムにハッキリ撮影されている。
天皇陛下というと、有名なのが幽霊の話だよな。
硫黄島は幽霊が出るのでとにかく有名だったのだが、天皇皇后両陛下が訪れ、慰霊をされたら、出なくなったという話を聞いたことがある。
どこまで本当なのかは知らないけど、本当にありそうと思えてしまう。
戦後に擂鉢山から投身自殺された方は、
硫黄島の最後の生き残りの2人のうちの1人だね
戦いが終わっても3年半潜んで生き延びていたという…
ちなみにその人をモデルにした小説「硫黄島」は芥川賞とってる
硫黄島には畑作りのために全国の農学校から集められた少年軍属もいたらしい
ちょうどいいから貼っとくわ
ttp://news.nicovideo.jp/watch/nw100165
「やっぱり死んだ戦友に申し訳ない。今の日本を見ていると特にそう思います。こんなはずじゃなかった、と。私たちの世代は、若い時は“若者は死んでください、国のため”、今は後期高齢者とか言われて“年寄りは死んでください、国のため”です。なんか自分たちの世代は生きているのが悪いみたいでね……」
そう言われると若い世代が先に死んでいくのと年寄りの世代が先に死んでいくのと、
果たしてどっちが健全なんだろう、って考えてしまうのだが…
流石に二つの時代でマトにされた方の心中は察することすら出来ないがな。
クリントイーストウッドの映画(日本版)は描写が綺麗過ぎる。硫黄島の戦いはあんなもんじゃない。ここで言ってもしょうがないが、スレ主は津本陽さんの『名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録』を読むべきだわ。凄惨であまりに壮絶・・・。
若者が死ぬ時代の方が狂ってるに決まってる
何故なら、その時代を作ったのはその時代の老人達だからだよ
逆に、原因となった老人達が下の世代に迫害されたとしてもそれは自業自得というやつさ
父親達の星条旗と対になってる映画だから星条旗から見ないと意味無いよ
両軍の一兵士の視点から戦争を対称化してる映画だから
よくあるハリウッドほど米軍マンセーでないところは評価できる
逆に政治的な細かい開戦原因やら成り行き的なものは全部端折ってあるのは気に入らないが
学校の教師はネットと違い旧日本軍叩きまくりだった
戦争観て千差万別だから、やっぱり体験談に勝るものなんかないと思う
経験してない人間があれこれ言っても、声がデカイ奴ほどきな臭くて胡散臭い話になる
いや、年寄りには死んで欲しいが、戦前~戦中の人にはそんな事は思わんよ。
問題の世代は戦争は経験しなかったが経済成長の美味しい時代に遊び回り
(しかも、それを自分達の力だと思ってる。実際は親の世代とかのおかげ)
そのツケや不景気を後の世代になすりつけてる奴らね。
戦争の話は、疲れるね。
そんなこといっちゃいけないんだろうけど・・・
思想が入ると、何にも見えなくなる
実は真珠湾攻撃は奇襲ではなく手紙出したけど大統領がゴルフしてて後回しにしたとか
ペリリュー島の戦いが起こる前から
すでにゲリラ戦用の地下道を作り始めていたら
教訓を生かしたわけじゃないよ
井上中将と栗林中将の考えた事が同じだっただけ
日本軍は水際作戦で尽く負け続けてたから
別の方法を考えたら内地に引きこんで倒した方が良いって事には
現地の指揮官なら誰でも行き着く考えだったって言われてる
大本営の馬鹿は栗林中将が水際作戦はもう使えないって言ってるのに
水際作戦をしないと物資を渡さないとゴネるから
仕方がなく水際作戦とゲリラ戦を両方行う事になったけど
結局水際作戦用に作った陣地は空爆と艦隊射撃で全て使えなくなった
水際作戦用に使った物資を摺鉢山護衛に使っていたら
4日で山頂が落ちる事はなかったと言われてる
※6
揚げ足取りで申し訳ないが、坂井氏が右目を負傷したのはマリアナではなく、ガダルカナル上空。
連日の出撃から来る疲労で判断力が低下していて、SBDドーントレスの密集編隊をF4Fの編隊と誤認し、攻撃せんと後から接近してしまい、後部旋回機銃の集中砲火を浴びたために負傷。
被弾した際に目に入った風防の破片を摘出する際に、虹彩筋を切られてしまったため、視力が大きく低下したとか…。
なお、氏は負傷治療のため内地へ帰還することになった際、士官エースの笹井中尉から「虎は千里を走り、千里を戻るという。坂井、必ず戻ってこい」という言葉とともに、ベルトのバックルを受け取っている。
GLAYのsay your dreamのPVがいい感じ
http://www.youtube.com/watch?v=qsK-X7PEhLI
終戦記念日にいいまとめ記事みれた。ありがとう。
米欄の方たちも。
正午だ黙とうする。
硫黄島からの手紙では描かれてない事が沢山あり、タイタニックのように大作にするべき作品。
なぜクリントンイーストウッドが監督になったのか疑問点もある
当初、日本人監督を起用したいと言っていたのに…。
メリケンの政治的圧力があったのか?
非常によい作品とマスコミ、メディアも取り上げたが
批判もある
渡辺謙演じる栗林中将の天皇陛下万歳!は不自然なくらい背筋が曲がっている。当時あんな姿勢で天皇陛下万歳をしたら非国民と言われると思う。
メリケンの政治的圧力はここにある
日本人監督が手掛けたら、そんなシーンはない
メリケンもいおとうと呼ぶべき
15年ぐらい前だったと思うけど、週刊少年ジャンプで
バロン西を主役に描いた読み切り漫画が載ってたな。
ロス五輪でメダル取ってから硫黄島で戦死するまでの話。
青山繁晴はテレビでは一見まともに見えるが
Uストなんかの生中継で見るとただのヒステリーの人格障害者だった
硫黄島は仕事でよく行くこともあって、昨日は靖国へ参拝してきました。
枢軸国は補給戦前で苦戦。
結局ニノって生き残ったんだっけ?
酷い話だな
この頃から日本の女は軽かったのか
なんとも情けない
もう男尊女卑でいいわ
それ以外有り得ない
※94
まぁそう言うな
みな生きる為に必死だった時代なんだ
「玉砕」って全滅って意味じゃなく、軍隊が組織として機能しなくなった状態ってことらしいな
それにしてもこの映画はひどかった
※96
それ全滅の意味だよ。
国や時代や編制方針、戦術ドクトリン等によっても違うが、
中隊:4割の損耗で全滅
連隊:3割の損耗で全滅
師団:2割の損耗で全滅
な感じ。
玉砕は当時から凄く定義が曖昧だけど
大体は殲滅(部隊消滅)の意味で使われてる。
>>43は何が言いたいの?バカだからわからん
また「女はすぐに掌返すプライドのないクズ」って言いたいだけなの?
それとも「どんなプライドも性欲の前には叶わない」って言いたいの?
とりあえずソース出せよカス
硫黄島で車ですれ違う時は手を挙げて挨拶する。
これ豆知識な。
※98
自分が女たち(象徴として)を敵の脅威から守っていたはずなのに、
その女たちと敵が仲むつまじくしてる。
そういった状況に陥っていない自分には想像しかできないけど、
戦う意思を失うには十分な事実だったんだろうな。
43だけ見たら
外国人は鬼畜と吹き込まれて負けるわけにはいかないと戦ってたのに
そんな写真が撮れるくらい平和に扱われてたから投降したんだと思ったんだが…
負けたら守るべきものが虐げられるという気持ちで戦ってたからこそ一番効いたんだと解釈するだろ普通
守りたいって気持ちより嫉妬や失望を先に想像するってのがなんか浅ましいな
写真の真偽が気になるところだけど
政府の話より酷くなかったのは確実だろうし
>日本人女性と米兵が仲睦まじくしている写真だったという
昔から日本女はこんなんだった
確かパンパンてんだよな
米国人の次は朝鮮人
次はなんだw?
最強の軍隊はアメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官と兵という冗談があるが、多国籍な傭兵たちの間ではこれはあながち間違っていないそうだ。
個人的にはこれにイタリア人のコックをつけたいところだがw
硫黄島守備隊は2か月程度の備蓄食糧弾薬が無くなるまで全滅するまで戦ったということは、目的を達したのかな?
映画では、日本軍の戦い方が人間模様の感情が中心でいまいち戦争の中身が分からなかった。実際には人間爆弾とか、死体に偽装して戦ったとか、すり鉢山の攻防とか、神風特攻隊とか・・・生々しいことがあったのに。手榴弾自決は確か負傷兵が主に行ったと思ったのだが。
まさに、ベトナム戦争というか世紀末というか、そんな戦いが表現されてなかった。視点が違うのかもしれないが。
真珠湾奇襲映画はパールハーバーよりトラトラトラがいいというのは同感
これだけの壮絶な戦いがあった場所なので アレ がよく出る。
そんなもん信じねーよ!とか言ってる人も帰ってくるまでに考えを改めるほど。
工事のためにやってくる民間業者の、背中に彫り物が入ってる系の人の前には特に出る。
特にその彫り物が不動明王とかだったりすると
救いを求めて来る幽霊達が大挙訪問してくるので夜寝られないそうな。
そこで、寝る時は部屋の前にコップ一杯の水を置くという対策が取られた。
水不足に苦しんでた兵隊達に水をあげる事でいったんお帰りになってもらうわけ。
このコップ一杯という点が重要で、
ペットボトル一本をドンと置いとくとたくさんのお仲間を引き連れて来てしまい、
もの凄い事になってしまうそうだ。
具体的にどうなるかは教えてもらえなかったんで不明。
苦笑いしてどうしても教えてくれなかった。
ここはまだニッポンか…?
母方の祖父は、硫黄島で戦死した。
マラリアで最後の病院船で父島へ戻れたのに、補充が来ないのに
治療してる場合じゃ無いと乗船を拒んだと言う。
玉砕する半年前頃には軍事郵便も届いていて
釣り道具を送って欲しいという内容だった。
石だか土だかの入った骨箱が届けられたと親から聞かされたなぁ。
先日NHKのラジオで硫黄島の生き残りの衛生兵の栗林さん(隊長とは関係ないそうだ)が証言していた。
大本営は気楽な命令一つで実に多数の英霊を作ったもんだよ
体質は今も全く変りゃしない
水木先生のおかげで旧軍はお偉いさんが逃げ回ってた悪い印象持ってる人がいるけど、普通に考えれば最前線で一兵卒と共に司令部レベルの人が戦死するほうがよっぽどおかしいんだけどな。
だって軍隊なんだぞ。何の為に階級があるのかと。
上の人が先に死んじゃうと組織的に投降する事すらおぼつかなくなる。
それこそ職務放棄なので絶対やっちゃ駄目な事なんだけど。
てか、将官や佐官クラスで日本軍ほど戦死してる軍隊も例が無いんだけどね。
それこそ各国のどの軍隊と比較しても圧倒的w
びっくりするするぐらい。
つまり、責任感じて兵と共に苦楽を共にしたり死ぬ事を選んだお偉いさんがいかに多かったかって事なんだけど。
新書「十七歳の硫黄島」、まだ読んでいない人は絶対に読むべき本だ。
硫黄島で奇跡的に生き残った筆者(通信兵)は、あまりにも過酷な白兵戦を
誰にも話せずにいた。その後、両親の死を区切りに体験を後世に伝えるために
硫黄島での体験をまとめている。この本、硫黄島の略図がついてて
戦闘を時系列に説明しているので、硫黄島での玉砕戦がどのように行われたのか
、どのような結末を迎えたのか、解りやすい。
本当に過酷な戦争体験に胸が痛む。
お勧め。
なるほど…、
とにかく戦争は良くないと
>>110
艦長が船とともに死ぬなんてよくあったらしいから
部下を戦死させてから一緒に死んでくれる将校と 部下の犠牲を最小限にするよう考えてくれる将校とかいろいろいるらしい
さすが自殺率世界一の日本、自決を美徳と思っているのは引いた。
立派に戦うより立派に死ぬことしか考えていない日本人を恥ずかしく思いました。
特攻隊とかいい例ですね。
日本の侵攻から始まった戦争で結果大敗するという結末…歴史の汚点。
日本の侵略から戦争が始まったことってイマイチ授業では濁してるよね。
親からこの話しを聞いた時はショックだったね…。
今の北朝鮮な感じだったのかな?
>>110
ノモンハン、インパール、牟田口、辻 とかで検索した事あるか?
責任所在は連隊師団長に押し付けられ
軍の上層部は料亭通い。
前線兵士は補給もままならない中で絶望的な戦いをしたのを知ってるのか?
↓見てこい
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=heishi
量に対して質で対抗する。
必死の体当たり攻撃とはそういうことだと俺は思っている。
ID:2qbxGGF90の御仁は、自分の命だけが大事かな?
自分の命よりも大事ななにかがあると信じて戦った人を愚弄するんじゃないよ。
反戦だろうが反日だろうがかまわんが、半笑いで遠くから英霊を侮辱するようなマネだけはやめてくれ。悲しくなるから。
>>110
そんな水木先生も、今村均大将はべた褒めしていたりする。直接話をしたこともあったそうだが温和そうな人だったらしい。戦後は戦犯として日本で収監されていたが、部下たちを守るためにあえてマヌス島(アドミラルティ諸島)の収容所へ移動している。
その後、インドネシアでも戦犯裁判にかけられるが事実無根として無罪。
そんな今村大将を攻撃しまくってた司馬遼太郎だが、占守島の守備隊長はべた褒めしてた。
日本軍というブランドイメージには悪感情を持ってたが、直接知り合った高潔な軍人には素直に認めていたってことかもしれん。
東部ニューギニアの責任者だった安達二十三司令官は、戦犯裁判で終身刑が下ったあとに「部下たちを失った責任」として自決している。
肥大化した組織には不祥事や無責任な人間も出るが、ちゃんとした人材もいたことを忘れてはいけないと思うね。
あと、今のNHKは結論を固定化させて番組作るから差し引いてみたほうがいい。「女性戦犯法廷」なんて番組つくってたぐらいだしな。
学研で出してる「歴史群像」には、旧日本兵のかたがたのインタビュー記事が毎回載ってるので、興味のある人は読むといいよ。男性向け雑誌コーナーだよ。
日本に勝ったアメリカにガチで勝ったベトナムこそアジア最強かもしれんね。
戦争は日本の侵略ではじまったとか言う人もいるが、大東亜ではなく二次大戦で言えば、戦端を開いたのはドイツなんだよな。
まぁ日本で議論する内容で「戦争」という単語がさす意味は大東亜なんだろうが、そういう人に限って、その辺を濁したり、二次大戦と誤認してたりするんだよな。
※116
正確に教えれば教えるほど、日教組的に不味い事実が出てくるからだよ
※120
ソ連との直接戦闘を避けるって名目で変なルールを自らに課していた米相手とはいえよく頑張ったよなぁ
戦争の善悪論なんざ屁のツッパリにもならんが一言だけ
大東亜戦が日本の侵略で始まったと言う人は、「ハル・ノート」でググって欲しい
出来れば、当時の日本の経済状態や国際情勢なども勘案したうえで
戦の勝敗、事の善悪はともかく、散華した先人たちには感謝しかできない
彼らが戦い、そして死んだおかげで、今の私たちがこうして在るのだから
いや、ハル・ノートは最後通告でもなく交渉のたたき台でしかないぞ
それを日本の外務省が「これを元に交渉しよう」という最初の一文を削って訳したのが大問題なわけで
2次のトリビアです。 日本は実はアメリカにはめられたと言ってもおかしくありません. アメリカは当時イギリスを助けるためにドイツと戦いたかったのです。しかし、アメリカがドイツと戦う理由はないのです。
そこで、日本と戦いイギリスを助けようとおもっていたのです。そこで日本を不利にして戦わし同盟国ドイツも戦争へひきずりこみイギリスを助けたのです。
ペペロンチ~ノタベタイ~ノ
米115は本気で言ってんの?だとしたら最低だな。あの方々の犠牲の上に生きてるということを忘れて、歴史の汚点だとか人かよ、ホントに。英霊の方々が何のために戦って、何を守ろうとしたのかよく考えろ!
戦争の時代に生まれなくて本当に良かった
星条旗が掲げられてから、少なくとも3度は日の丸にすり替えられたことがある
布に血で〇を記したような粗末なものだったけれどそれを確認した人がいて生き残ったあと話をされている。
意味なんてないし、誰がやったのかもわからない。そんな命令ももちろんなかった。けれども、それを見たときは「ああまだ戦っている仲間がいるんだな、頑張ってるんだな」と勇気づけられたと泣いたと言ってた。たぶんぐぐればでてくる
生き残った兵士は食べる物がなくて 炭を食べてて飢えを凌いだりしていた
一つだけはっきりしている事、朝鮮人を味方につけない、ヘタレガイジを見つけ次第刹処分しろ、Kの法則から免れるために。
非韓三原則を徹底しろ。