辞世の句や遺言、自殺に関する名言教えて
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:13:26.56ID:urDgcJ6t0
俺が好きなのは芥川の遺書
僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。しかしその中でも大事件だつたのは僕が二十九歳の時に秀夫人と罪を犯したことである。僕は罪を犯したことに良心の呵責は感じてゐない。唯相手を選ばなかつた為に(秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔してゐる。
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:14:38.42ID:EiTgfb7Hi
おもしろきこともなき世をおもしろく
まあ高杉晋作本人作の句ではないって言われてるけど
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:15:49.88ID:ZXAXMxGA0
悠々たる哉天壌。遼々たる哉古今。
五尺の小躯を以って此の大をはからむとす。
ホレーショの哲学竟に何等のオーソリティーに価するものぞ。
万有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲観は大なる楽観に一致するを。
正直、何言ってるのかよくわからん。
1903年(明治36年)5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺。ホレーショとはシェイクスピア『ハムレット』の登場人物を指すと言われている。
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:17:23.10ID:urDgcJ6t0
>>5
藤村操って当時はやっぱすごかったんかな
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:15:53.30ID:8g03n4N00
シャドウゲイトでググレ
『シャドウゲイト』(Shadowgate)は、1987年にアメリカ合衆国のICOM Simulations社がパソコン用ソフトとして開発したアドベンチャーゲーム。さらにそのゲームに登場する城の名称でもある。日本語版のこのゲームの特徴として、「ざんねん!わたしのぼうけんはここでおわってしまった!」(ゲームオーバー時)、「ホップ ステップ ジャンプ!……かーるいす!」(炎に飛びこんだ時)など、主人公の独特な叙述が挙げられる。それゆえに、パロディに用いられる機会も多い。
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:18:47.27ID:asqHyvVO0
何を惜しみ 何を恨まん もとよりも このありさまに 定まれる身に
陶 晴賢(すえ はるかた)は、戦国時代の武将で、周防大内氏の重臣である。 弘治元年9月21日(1555年10月6日)、晴賢は自ら1万の大軍を率いて、安芸厳島に侵攻し、毛利方の宮尾城を攻略しようとした。しかし毛利軍の奇襲攻撃によって本陣を襲撃されて敗北し、毛利元就に味方する村上水軍によって大内水軍が敗れて、退路も断たれてしまい、逃走途中で自害した。享年35。なお、晴賢の遺骸は、桜尾城で首実検の後、洞雲寺に葬られた。
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:19:53.57ID:myfX94ADO
三日とろろ美味しゅうございました
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。メキシコシティ五輪の開催年となった1968年、年明け間もない1月9日に、円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺。27歳での夭折だった。
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:22:25.53ID:uoN6p33Y0
>>11
なんか胸に来るものがあるな
誰の最後のやつ?
もっと光を!
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:40:11.32ID:1H5gKthv0
>>14
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:55:26.34ID:uoN6p33Y0
>>33
自殺した時の遺書読んで目から汗が出そうになった
12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:21:00.38ID:EiTgfb7Hi
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
細川ガラシャ / 明智 珠(明智 玉)(ほそかわガラシャ / あけち たま、俄羅奢、永禄6年(1563年) - 慶長5年7月17日(1600年8月25日))は、明智光秀の三女で細川忠興の正室。関ヶ原の戦いが勃発する直前の慶長5年(1600年)7月16日(8月24日)、夫が徳川方につき上杉討伐のため不在となったすきに、大坂玉造の細川屋敷にいた彼女を、西軍の石田三成は人質に取ろうとしたが、ガラシャはそれを拒絶した。その翌日、三成が実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだ。キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なため)。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:21:28.74ID:Lmw5ZNWA0
私死にましたの、知らせ、いりません。
もし人が尋ねましたならば、
はあ、あれは先ごろ亡くなりました。
それでよいです。
あなた、子供とカルタして遊んで下さい。
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年9月26日)は、新聞記者(探訪記者)・紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。
15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:23:13.70ID:urDgcJ6t0
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
ああ、やはり彼は孤高の天才だった
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。1927年(昭和2年)7月24日、田端の自室で雨の降りしきる中、芥川龍之介は服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:24:52.27ID:X3LLRXjRO
人生という喜劇を演じ終えた私に拍手をおくってくれ
アウグストゥスは、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。紀元14年8月19日、急に体調不良になりナポリはポンペイ近郊のノラの町で肺炎が原因で76歳で死去したと後のスエトニウスが書いた皇帝伝に記録されている。最期の言葉は「この悲劇の世界で私は喜劇を演じきった。だから私を喝采で送ってくれ」であった。
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:28:02.83ID:urDgcJ6t0
強い意志のない正義感は薄っぺらなものになり、変質したのである。
森 恒夫(もり つねお、1944年12月6日 - 1973年1月1日)は、連合赤軍中央委員会委員長。1973年元日、拘置所の独房で首吊り自殺しているところを発見された。発見時まだ心臓はかすかに動いており、ただちに蘇生措置が講じられたが、心臓は間もなく停止、死亡した。
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:29:13.20ID:Sn8k36ZBO
葬式無用
戒名不要
(白洲次郎)
白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 - 1985年11月28日)は、日本のオピニオンリーダー、実業家。80歳まで1968年型ポルシェ911Sを乗り回しゴルフに興じ、また、トヨタの新型車(ソアラ)のアドバイスなども行っていた。しかし1985年(昭和60年)11月に、正子夫人と伊賀・京都を旅行後、体調を崩し胃潰瘍と内臓疾患で入院。同年11月28日死去。83歳没。夫人の正子と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあった。実はこの遺言書のフレーズは、次郎の父親が死去した際に残した遺言の内容とまったく同じであった。
20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:29:57.01ID:ZAQ5JpdhO
五月雨は つゆか涙か 時鳥
我が名をあげよ 雲の上まで
足利 義輝(あしかが よしてる)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年 - 1565年)。父は第12代将軍の足利義晴。永禄8年(1565年)5月19日、久秀と三好三人衆は主君三好義継(長慶の養嗣子)とともに足利義栄を奉じて謀叛を起こし、二条御所を軍勢を率いて襲撃した。義輝は奮戦したが衆寡敵せず、最期は寄せ手の兵たちが四方から畳を盾として同時に突きかかり、殺害された。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:30:50.66ID:EiTgfb7Hi
家康の辞世の句はなんかやりきった感があるよな
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:36:21.12ID:F/JfHHsb0
>>21
嬉しやと 二度さめて一眠り うき世の夢は 暁の空
だっけ?
太閤の辞世の句への返歌なんだっけ?
徳川 家康(とくがわ いえやす)は、日本の戦国武将、江戸幕府初代征夷大将軍。徳川氏の祖で、いわゆる三英傑の一人とされる。死因は、鯛の天ぷらによる食中毒説が有力であった。近年では、諸症状からみて胃癌が死因であるとも考えられている。辞世の句として『東照宮御実記』に以下の二首を詠んだと伝わっている。
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:39:35.57ID:EiTgfb7Hi
>>27
返歌なのは初耳だ
露と落ち 露と消えにし我が身かな
浪花のことも夢のまた夢
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:40:58.95ID:ATgHhy8y0
>>31
秀吉だな
豐臣 秀吉(とよとみ の ひでよし / とよとみ ひでよし)/ 羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代(室町時代後期)から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。尾張国出身(現在の愛知県西部)。慶長3年(1598年)5月から秀吉は病に伏せるようになり日を追う毎にその病状は悪化していった。そして、自分の死が近いことを悟った秀吉は同年7月4日に居城である伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び寄せて、家康に対して子の秀頼の後見人になるようにと依頼した。8月5日、秀吉は五大老宛てに二度目の遺言書を記し、8月18日、秀吉はその生涯を終えた。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:35:25.23ID:o7ADZG0V0
国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
栗林 忠道(くりばやし ただみち、1891年7月7日 ‐ 1945年3月26日)は、大日本帝国陸軍の軍人。3月26日、数百名の将兵と共に、自ら指揮を取り米軍陣地に対し最後の攻撃を敢行し、戦死したと推定される。満53歳没。
国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ 口惜し
仇討たで 野辺には朽ちじ 吾は又 七度生れて 矛を執らむぞ
醜草(しこぐさ)の 島に蔓る 其の時の 皇国の行手 一途に思ふ
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:38:49.94ID:ogpxqgAo0
井伏さんは悪人です
太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日・本名:津島修治(つしましゅうじ))は、昭和を代表する日本の小説家である。『人間失格』『桜桃』などを書きあげたのち、1948年(昭和23年)に玉川上水(当時・東京都北多摩郡三鷹町)で、愛人・山崎富栄(1917-1948)と入水を図った。
戦後になって、太宰は井伏に複雑な感情を抱いていたようであり、遺書に「井伏さんは悪人です」と書き残していたことは話題になった。両者の確執にはさまざまな説があるが、本当のところは分かっていない。
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:40:46.31ID:urDgcJ6t0
>>30
あれって一種のジョークだとおもってた
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:45:13.13ID:ogpxqgAo0
>>36
ジョークだとしても井伏はたまったもんじゃねーよな
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 22:00:58.22ID:rdHYbqHD0
姉さん。
僕は、死んだほうがいいんです。
姉さん。 だめだ。さきに行くよ。 僕(ぼく)は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。 生きていたい人だけは、生きるがよい。 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:39:55.78ID:QFADsmoJ0
私は正義を愛し、不正を憎んできた。
だからこそこうして流刑のうちに死ぬのだ。
グレゴリウス7世 トスカーナの教皇
グレゴリウス1世(Gregorius I, 540年? - 604年3月12日)は、ローマ教皇(在位:590年9月3日 - 604年3月12日)。問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)、大聖グレゴリウスとも呼ばれる。
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:40:13.21ID:/BwXnJOS0
石川や浜の真砂子はつくるとも 世に盗人の種はつくまじ
石川五右衛門(いしかわ ごえもん、生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日))は、安土桃山時代に出没した盗賊。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で一子と共に煎り殺された。処刑される前に「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」(たとえ砂浜の砂が無くなるようなことがあったとしても、盗人は世の中からは消えないだろう)と辞世の句を詠んだという。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:41:48.57ID:EiTgfb7Hi
>>34
茹でられる前にこんなん言えるとかかっこよすぎwww
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:40:36.23ID:hYXnHz0M0
音楽が終わったら明かりを消してくれ。
アドルフ・ヒトラー(独: Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。オーストリア出身。遺書をタイプした後の午前2時、長年の愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げた。そして4月30日、毒薬の効果を確かめるため愛犬ブロンディを毒殺した後、午後3時に妻エヴァと共に総統地下壕の自室に入り、自殺した。
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:42:14.05ID:ccBnnVR7I
私の頭の中には素晴らしい証明があるが紙が小さすぎてかくことができない
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:54:35.78ID:m+FjrCkX0
>>39
フェルマー?遺言じゃないと思うけど
これで良い
ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat、1607年末もしくは1608年初頭- 1665年1月12日)はフランスの数学者。「数論の父」とも呼ばれる。ただし、彼は実際には弁護士を職業としており、数学は余暇に行ったものである。1665年 - 死去。
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:43:11.62ID:EiTgfb7Hi
さよなら天さん
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:49:35.64ID:urDgcJ6t0
考えに考えたすえ、妻キャシーを殺すことにした。
1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
考えに考えた末、妻のキャシーを殺すことにした。今夜、電話会社に迎えに行った後で殺すつもりだ。妻のことはとても愛している。自分にはもったいない女だと思う。どうして彼女を殺すのか、その理由は判らない。単なる我が儘なのか。これからの自分の行動が引き起こす騒ぎに巻き込ませたくないからなのか。それすら判らない。今、最もはっきりしていることは、この世は生きるに値しないこと。そして、愛する妻にはこんな世界で苦労させたくないということだけだ。なるべく苦しませずに死なせてあげよう。そう思っている。 同じ理由から、母の命も奪わなければならない。可哀想なことに、母は彼女にふさわしい人生を送って来なかった。横暴な夫の犠牲になった、同情すべき女性なのだ
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:51:46.75ID:urDgcJ6t0
人間は潔く、意志的に死なねばならない。
影山 正治(かげやま まさはる、1910年(明治43年)6月12日 - 1979年(昭和54年)5月25日)は日本の右翼活動家、思想家、歌人である。1979年(昭和54年)5月25日、元号法制化を訴え大東農場にて割腹の後、散弾銃により自決。68歳没。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:55:13.91ID:Uh9FxGTm0
ながらえば ありづる程の 浮き世ぞと 思えば残る 言の葉もなし
寛文12年4月、京都三条橋の下で20歳あまりの乞食女の遺体が発見された。死因は自害で、かたらわには辞世の句が残されていた。これが都で評判となり、ある貴族もこれに対して歌を詠んだ。「言の葉は 長し短し 身のほどを 思えば濡るる 袖の白妙」(新著聞集)
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/23(月) 21:57:07.30ID:EiTgfb7Hi
君がため 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄みわたる空
岡田以蔵の句は悲しい
岡田 以蔵(おかだ いぞう、天保9年1月20日(1838年2月14日) - 慶応元年5月11日(1865年6月4日))は、江戸時代末期の土佐藩郷士。「人斬り以蔵」と呼ばれた。諱は宜振(よしふる)。以蔵は拷問に屈し、自分の罪状及び天誅に関与した同志の名を白状し、慶応元年(1865年)5月11日に打ち首、晒し首となった。
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辞世の句なんてのがあるの日本だけなんかね
我が生涯に一片の悔いなし
円谷遺書はいつ見ても泣ける
織田信孝のが好き
昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前
和歌なればこそって感じだよね。
伊達正宗
曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く
身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
吉田松陰
割れ厨が逮捕される直前に残した「もうだめぽ」
どれもこれもあんまり後悔ない感じでいいなw
俺なら
「死ぬ死ぬ死んじゃう! あ」
とかで死にそうw こんだけ生きる意味なくしてるのにw
米1
エピタフなんか近いんじゃない?
でも、短い文でキッチリまとめるようなのは少ないかも
結局遺作とかなんとかに相当する文化だしね
遺書なら朝倉泉で決まりだろ!
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/9776/izumi/isyo/i_isyo.txt
京都の乞食の辞世ってのが気になるな
もとは身分も教養もある人だったんだろうか?色々想像させられる
厳密には辞世の句じゃないけど西行はやっぱ素敵
願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ
人類と真理のために生命を捧げようとしながら、私はついに何一つなし得なかった。
しかし、死ぬときは人間バンザイ!と言いながら死のう
菅季治
最強の者を王に
天国ってきっとすごくいいところなんだね
前に行った人達が誰一人帰ってこないんだもの
※1
辞世は東アジア独特かも
遺書・遺言なら諸外国でも普通だけど、どうしても辞世っていうには長すぎちゃうしね
>>14のもっと光を はゲーテ
これからは「東京電力絶対許さん」ってのばっかになるんだろうな。
旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け巡る
松尾芭蕉
江藤淳だね
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る。
東電に病んで夢は枝野をかけ回る。
第六潜水艇 佐久間艇長の遺書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E5%8B%89
たらいから たらいへうつる ちんぷんかん
小林一茶
吉野山 風に乱るる紅葉葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ
吉村寅太郎
東海道中膝栗毛の作者の辞世の句は軽快で粋。
『この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の煙とともに はい(灰)さようなら』
「もう おこった ぷん ぷん ぷん」
豊香さゆり
ゲーテの「もっと光を!」は「暗いからカーテン開けて」だったという説もある。マジで
>彼を看病していた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」という下の句をつけたと言われて
蛇足感が強いな
>ながらえば ありづる程の 浮き世ぞと 思えば残る 言の葉もなし
>ある貴族もこれに対して歌を詠んだ。「言の葉は 長し短し 身のほどを 思えば濡るる 袖の白妙」
金も時間もあるんなら、もうちょい気の効いたもの詠めないものかね
岡田以蔵のは切ないながら清清しいね、雨上がりの雲から刺す太陽の光みたい
夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす
柴田勝家の辞世の句が好きだ
すめらみこと いやさか
正直単に古い文体だからかっこよく見えるってとこもあるよな。
太宰の斜陽の遺書はとてつもなく厨二心をくすぐる
死ぬ権利があって良い
石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ
石川五右衛門
夕暮れや
雷鳴響く
俺の腹
まったく、いい人生だった
ブルータス! お前もか!
おやじ、涅槃で待つ
信長の「人生50年ゆめまぼろしがごとくなり」っていったい誰が伝えたんだろ?
本人は死体も残ってないのに。
>私の頭の中には素晴らしい証明があるが紙が小さすぎてかくことができない
フェルマーの定理って、元々余白に書いてあったメモらしいけどね。だから、スペースが無いといってるんだよ。まあ、本当に本人に答えがわかっていたかどうかはわからないけど、それから100年以上数学者を悩まし続けた。
※36
それは幸若舞の『敦盛』の一節であって信長オリジナルの言葉ではないです。
信長公記に信長が桶狭間で出陣前に敦盛を舞った、ちゅう話が残ってます。
俺は一休さんのがシンプルで好きだ
『死にとうないなぁ』
死ぬ理由もないけど生きる理由もない
強いて言えば疲れた
女子高生天才だと思った
逝く空に桜の花があれば佳し
三波春夫
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮き世の月に かかる雲なし
忠臣蔵、大石内蔵助の辞世の句。
もう思い残すことはないって満足してる感じがよく出てる。
錆びつくより今燃え尽きる方がいい
カートコバーン
八墓村のモデルに成った奴の遺書が出てないなー。
さらばなり有為の奥山けふ越えて彌陀のみもとに行くぞうれしき 陸軍大将東條英機
カート・コバーンかっこいい(^^)
ヤバいね☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
色んな最期があるなぁ…
一度遺言書を書いてみたことがあるが、今にでも死にそうな気がして捨てちゃったな
こんなご時世だしまた書いてもいいかな
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る。
核に病み 夢は枯れ野に 砕け散る
ピューリッツァー賞とった人の奴
井伏さんは悪人ですわろた
臨終に 大観衆の 声もなし ただ幕引きの 急げ急げと
by パリアッチョ
高杉晋作は本当は
おもしろき
こともなき世を
おもしろく
とまでしか言ってないんだぜ?
これ豆な
生きてなきゃ辞世の句も出てこない
こうやって死にたかった
ゴッホ
この世を過ぎ去るにあたり、イエス・キリストの苦しみを記憶せよ
ミケランジェロ
もはや夜明けも近づいた、死にましょう
都井睦雄
心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ
明智光秀
>>47はカントだな。
「Es ist gut. (これで良い)」
間際に食べたスープがお気に召したとか、諸説あるけど、満足したまま逝けるっていいよな。
岡田以蔵のって。
「死してまた、地獄の鬼と、一戦」じゃ無かった?
俺は
「生きては遠家を守る忠として、死しては曹家を呪う鬼と成す」
が好き。
これ好きだ
此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら
十返舎一九
あれなんだっけ?
夢は野原を駆け巡る
ってやつ
この人の句が好き
葬式の類は一切無用のこと。弔問、供物の類はすべて固辞すること。
生者は死者のためにわずらわさるべきにあらず。
梅原龍三郎
屍(かばね)をば 岩屋の苔に埋みてこそ 雲居の空に 名を止むべき 高橋紹運
夏の夜の 夢路はかなきあとの名を 雲居にあげよ 山不如帰 柴田勝家
この二つが好き!
CRIMINALS ARE MADE, NOT BORN
アンドリュー・キーホー
和泉式部
「あらざらむ このよのほかの 思ひ出に 今ひとたびの あふこともがな」
ちょっとスレの主旨とは違うかな?
「是非も無し とんがれとんがれ エスパルスの大榎」
機動紳士ファーザー
蒲生氏郷
「限りあらば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」
早世の無念さがにじみ出てる
※59
芭蕉の
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
じゃないの?
ところで、藤村操のあれは「好きな人に婚約者がいた。そんなことも知らず1人で熱くなってた俺って……」
という気持ちを難しく言っただけで、深い意味とかないと思うんだけどどうか?
ちなみに藤村が勝手に失恋した相手の夫になったのは美濃部達吉(天皇機関説の)
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「願わくば 花の下にて春死なん その望月の如月の頃」 西行
「ババ(大)したい」 六代目笑福亭松鶴 (最後の言葉)
死に際に言葉残すのは、映画やドラマだけ。
津山三十人殺しの犯人、都井睦雄が死ぬほんの数分前に書いた遺書とか、胸に何とも言えない感情が込み上げてくる。
隠国の 泊瀬の河の
上つ瀬に 斎杙を打ち
下つ瀬に 真杙を打ち
斎杙には 鏡を懸け
真杙には 真玉を懸け
真玉なす 我が思ふ妹
鏡なす 吾が思ふ妻
ありと 言はばこそよ
家にも行かめ 国をも偲はめ
あまりメジャーどころではないけど好きなやつ。
これ詠った後に死んでしまうんだよなぁ…
※69
親御さんの死に際には間に合いますように
「退屈だからおさらばするよ」ジョージ・サンダース
かっこいいと思った
以蔵のって澄みわたるべきじゃないっけ?空ではなかった気がする……
辞世の句って生前詠んだ句の中から適当に誰かが選ぶんじゃなかったっけ?
上杉謙信
極楽も地獄も先は有明の 月の心にかかる雲なし
四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒
>>16はどっちかっていうと
「拍手を。お芝居は終わりだ」の方が有名じゃないか?
良い具合に厨二心をくすぐるよな
逝く空に桜の花があれば佳し……三波春夫、既出だったね……。
まさに、桜の花が大好きな日本人らしい辞世の句だと思う。
「引き連れて 死出の旅路も 花盛り」
親が天狗党だったから処刑された17才の女の子が詠んだそうだ
3才の幼児もみんなみんな処刑される中でこんな鮮やかな歌が読めるってすごい
※34
今井wwwww
血尿垂りモルヒネ中毒となり 死を待つ特攻隊員たりしわが末路
「辞世千人一首」に載ってた、昭和27年に亡くなった若木規夫と言う人の辞世。
名前の他は未詳。時期的に享年30歳前後だと思うけど、この歌からこの人の戦後を
思うと何かつらい。
「不忠不孝渡邊登 罪人石碑相成ざるべし因自書」
遺書と言うか、書。だから文字だけだとピンとこないかも。
実物はこんな感じ。
http://alp.eshizuoka.jp/e680353.html
大ばくち、身ぐるみ脱いで、すってんてん
甘粕正彦
家康や秀吉、大内義隆とか北条氏政の辞世が好きだけど、
最後の言葉でどれか一つって言われたらこれかな
これでおしまい 勝海舟
今敏の遺書は名文。
http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
柴田勝家の句は市の辞世の句とセットにしてほしいなぁ
夏の世の 夢路はかなき後の名を 雲井にかけよ やまほととぎす
さらぬだに うちぬる程の夏の世の 夢路を誘う ほととぎすかな
個人的にすきなのは 高杉晋作の辞世の句
俺的最高は勝海舟の
「コレデオシマイ」だな
余計なものが何も無いのがいい
円谷幸吉については、沢木耕太郎の敗れざる者たちを読むといいよ。
川端 康成なし
堀口大学の辞世の詩
「水に浮かんだ月影です つかの間うかぶ魚影です 言葉の網で追いすがる 百に一つのチャンスです」
辞世の句というとこの詩が頭に浮かんだ。
遺書的なもので名文と言えば、文天祥の「正気の歌」だろう
アインシュタインの最後の言葉は「不明」
今際の際にドイツ語(だと思われる)で何か言ったんだけど、側にいた看護婦が英語しかできなかったんで聞き取れなかった
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。
「すいません、こんな姿になってしまいました…」
今監督の遺書でこの一文がいろいろと篭っていてショックだった…
①「やめて!とめて!とめった!!」
②「いれぇ~! ほんろにいれぇ~!!」
③「あべし!!」
④「ひでぶ!!」
⑤「お前ほどの力があれば、何でも手に入る! 神自身にも成れる! きっときっと後悔するぞ~!!」
己滅我幸有 我忘己営 我姫共幸有事 己過日幸有
以蔵の句が一番好きだな
死に化粧 なぞる唇 紅の朱 ただ冷たきは母の亡骸
俺は今日も、
時が経ってゆくのを、
「傍観」
するだけだ
つまらない。
秀吉の句はカッコ良すぎて本当に本人の作ですかと確認したくなる