ガチで感動するコピペ貼ってけ

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 08:08:41.04ID:dBl+wssE0
小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、
仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、
体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」
と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。
あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに
「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、
弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰りました。
翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、
そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。
854 おさかなくわえた名無しさん sage New! 2007/01/24(水) 14:33:25 ID:8Vfwz3Tz
あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、
トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに、丁重に埋めてあげました。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。
毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:24:39.68ID:659EqgAh0
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:25:47.68ID:659EqgAh0
36 :素敵な旦那様:04/10/02 07:58:47
嫁の日記を盗み読みしたら
いつも昼飯は、納豆ご飯やお茶漬けしか食べてないって分った。
友達とファミレスに行くのも月に一度と決めてるらしい。
俺に美味しい料理を食べさせたいからみたいな意味のことが
書いてあった。昼飯けずって夕飯にまわすって。
しかも、すげー明るく書いてあんの。
「今日は○ちゃん(俺)の好きな牡蠣を買うのだ~」とかさ。
俺の文句とかも書いてあるけど、文句書いてるくせに最後は俺を庇ったこと書いてるし。
マジで泣いた。もっと俺に甲斐性があれば昼から寿司でもなんでも食わせてやるんだけどな。
給料少ないのに専業で居てくれって言ったの俺だし。
金のことで責められたこと一度もないし(タバコ減らせとは言われるが)
節約も楽しいよーとか言ってたし。
盗み読みは良くないことだが、結婚してよかったってつくづく思った。
こんなに俺につくしてくれたのって親以外で初めてだし。
何もしてやれんから、浮気だけはしないと誓うよ。
ま、浮気しようにももてないからできない俺だがな。
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:30:59.15ID:659EqgAh0
12年前に死んだおじぃの部屋から、
当時小学6年だった私と一緒に折った紙飛行機が見つかった。
「懐かしい」なんて手に取ったら
紙が茶けててボロボロ、破れた隙間から何か文字が見えた。
広げて見ると、おじぃが当時の私に書いたものだった。
「かなこや、おまえはかわいい
わ(わ→私)のたからじゃき だいじに だいじに
おおきゅうなるまっで じいちゃが だいじにしたるきな
じいちゃは かなこがだいすきじゃ
おまんが じいちゃのこと いらんゆうとも
さみしいけんど じいちゃは かなこがだいすきじゃきな
あんま きらわんとってな かなこが・・・(ここから先読めない)」
当時の私はおじぃが好きになれなくて平気でおじぃの前で「いらん」「死ね」って言ってた。
こんなに愛されていたなんて、こんなに大切にされていたなんて
全然知らなかった。 ごめんなおじぃ・・・。
長文ごめんなさい。
27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:36:30.43ID:659EqgAh0
俺が働きもしないでダラダラと過ごしていた10年ほど前、ばあちゃんが入院した。
ばあちゃんとは、別居だったが、歩いて数分のところにじいちゃんと住んでいた。
でも、なんとなく、顔を出すのも照れくさく5年、いや10年以上も顔を見せていなかった。
病気の容体があまり良くない事は母から聞いていたのだが、お見舞いに行っても、ずっとご無沙汰
だったので、何を話していいのかも解らないし、お見舞いに行くのをズルズルと引き伸ばしていた。
それを母親に怒られ、強引に連れられ、母親と一緒に病室に見舞いに行った。確か10年ぶりぐらいに会った んだと思う。
「ああ、○○(俺の名前)大きくなったなあ」と、ばあちゃん。
俺は、何と言っていいのかもわからないし、近くに住んでいるのに、大きくなったなあって言われるのも なんだか違和感を感じていたし、何より20歳を越えた人間にそんな事を言うばあちゃんに当惑した。
見舞いに何を言って良いのか、長いブランクで何を話していいのかも解らなかった。たいした事も言えずに、その場の空気を苦痛に感じて、俺は、色々と世話を焼く母親を残して、5分ぐらいで病室を出てしまった。
帰ろうとする俺をばあちゃんが呼びとめて、
「○○、よく来てくれたなあ。こづかいやるから待ってろ」と言い、ガマ口を出した。
俺は、「いいってばあちゃん」と断ったが、半ば無理やりに俺にこづかいをくれた。
ばあちゃんは500円玉を俺に手渡した。ばあちゃんの体温でやたらと生暖かくなっていた。
俺は「昔、よくばあちゃんに、こんな生暖かい100円玉を貰ってアイスとか買いに行ったな」と思った。
一人、その500円玉を握り、暗くなった病院から出た。
「ばあちゃん、20歳過ぎた孫に500円のこずかいは無いよなあ…ばあちゃん、俺が何歳だか解ってたの かな?まぁ、だいぶ会ってなかったから、解らないのも無理無いか…でも500円…子供じゃないんだから…」
と思い、なんとなく、自分のサイフにその500円玉を入れられずに、ずっと握りながら帰った。
そんな事をずっと考えながら、暗い道を家まで帰った。知らない間に、ボロボロ泣いていた。
ばあちゃんは、退院すること無く亡くなった。
今でも無駄使いしそうになると。あの500円の生暖かさを思い出す。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:39:27.15ID:vGWnfv6N0
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:41:45.82ID:659EqgAh0
今日さ、母さんの事を思い出しよ。
田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、
笑顔を絶やさなかったよな母さんは。
肝炎になり、もって4.5年と言われてから親父に中国に連れって行って貰った時に 、
夜、国際電話を掛けて来て「電話代が掛かるから」と俺が言ってるのに 、
初めての海外旅行で嬉しそうに30分も話していたっけ。
あの時電話代幾ら掛かったんだよ(w
肝臓癌になって入院してから祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、
子供の様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿はとても見ていられなくて 、
見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。
まったく年甲斐も無く(恥
「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」
と俺が言うと、
「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。
あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したり心配掛けたのに。
本当かよ?と思ったよ。
そうそう、そっちで見てると思うけど…、
病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。
俺が親になったんだよ。
娘は母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。
親になり我慢しなきゃならない事も有るけど、
母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:51:49.64ID:659EqgAh0
この前近くの神社まで散歩したんだ。
絵馬がたくさんあって、あまりいい趣味じゃないなと思いながらも
他人のいろんな願い事を見ていたんだ。
「大学に合格しますように」「○○と一緒にいられますように」…
そんな中で、一番小さく安い絵馬板に、たぶん小さい子供と思われる字で、
「 おかあさんの びょうきを なおしてください 」
事情はもちろんわからない。
どんな子なのかも、どんな病気かも知りようが無いし。
けど、この子のお願いが叶うように祈るよ。
本当に心から祈るよ(´Д⊂ヽ
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 09:55:52.93ID:659EqgAh0
俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…
って言ってた
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった
今日はデイサービスで居ないが
帰ってきたら優しくしようと思う
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな
34:1/2:2011/05/01(日) 09:57:02.67ID:659EqgAh0
177 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2008/06/26(木) 22:26:29 (p)ID:SS6FJz9B(2)
和めるかはわからんがうちのじいちゃん(元米兵)の話。
昔昔、まだ日本に米軍がごろごろいた頃、休暇だかなんだかに街に繰り出した時に、
配給を配ってたばあさんに一目惚れして、居ても立ってもいられずばあさんに
会いたいがために脱走したことがあるそうだ。それも何度も。
ばあさんは「鬼畜米英」を教え込まれていたのでものっそい不審がって逃げ回ってたそうだが、
それでもばあさんに会って、できれば恋仲になりたいと願い続けて、
日本贔屓の上司にどうやったら日本の女性と付き合えるのか聞いて、
日本語で恋文をしたためたり、貸してもらった和歌集から恋歌を抜粋して送ったり、
積極的にいくと日本の女性は怖がると聞いたら遠巻きに立って
「ここから一歩も近づきません!」と
宣言してそこから一所懸命恋文や恋歌を投げたりしたんだそうだ。脱走して。
贔屓とはちょっと違うかもしれんが。
35:2/2:2011/05/01(日) 09:58:34.96ID:659EqgAh0
188 :177 :sage :2008/06/26(木) 23:22:43 (p)ID:SS6FJz9B(2)
じいちゃんは毎週ばあちゃんのもとに通って、へったくそな日本語の恋文と恋歌の写しを投げて、
ばあちゃんが拾うのを確認して一礼して走り去る、とやってたんだが
じいちゃんが投げた恋歌の中に、ばあちゃんが好きな歌が入ってたのがきっかけで
ばあちゃんから「この歌が好きなんですか?」と話しかけたらしい。
そこでじいちゃんが全く日本語ができない(「ここから一歩も近づきません!」は
日本贔屓の上司に教えてもらった唯一の日本語)ということが発覚して、
じいちゃんが滞在中ずっとばあちゃんが日本語を教えてたんだそうだ。
そのお礼として米軍配給の缶詰だのを渡してたんだそうだが、上司の入れ知恵で
同じ隊の他の人に事情を話してちょこっとずつ缶詰だのを分けてもらって
「ご近所の皆さんで分けてください」と箱一杯に差し入れたのがきっかけで
ばあちゃん一家に受け入れられて、アメリカに帰る時には一緒にご飯を食べたんだって。
その時に、もうアメリカに帰ったらばあちゃんに会えないかもしれない、と思って
「普段味気なく食べている配給も、あなたと食べるとごちそうのように美味しかった。
そんなあなたともう会えなくなるのは生きている意味を感じられないほど悲しい」と
言ったら、ばあちゃんも「とても優しいあなたと会えなくなるのは私も悲しい」と返したので、
じいちゃんは自分の所属部隊と名前と階級を書いて渡して
「もし私とまた会ってもいいと思ったら、残っている米兵にここ宛に手紙をください」
とやって、米軍が完全撤退するまでしばらく文通してたんだと。
そのあとじいちゃんが日本にきて、ずっと独身だったばあちゃんと結婚。
以上です。文才なくてスマン
37:1/2:2011/05/01(日) 10:05:25.22ID:659EqgAh0
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
38:2/2:2011/05/01(日) 10:06:48.23ID:659EqgAh0
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:09:23.83ID:T6rbsuNQO
【お前ら!生きろ!死ぬ気で生きてくれ!】
http://blog.livedoor.jp/blog_ch/archives/50370781.html
http://ryu.boy.jp/2ch/Impression/ganba.htm
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:14:32.37ID:dBl+wssE0
>>40
懐かしい( ; ; )
43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:28:17.81ID:1W0STpmE0
245 :いい気分さん :2006/03/32(土) 21:59:12
春一番が吹き荒れた日。
本当に物凄い強風で店の看板が倒れたり、その日は朝から
トラブル続きでずっと落ち着かず、疲れ切っていた。
そんなとき、若いカップルのレジをしたら男のほうが
「駐車場の段ボールが飛び散って迷惑なんですけど。あのままにしておいていいんですか?」
と少し怒りながら言ってきた。こっちも疲れ切ってイライラしていたので
「申し訳ございません今すぐ片付けます」
と適当にその場を収めて嫌々強風の吹き荒れる外へ出て駐車場を見たら見事に段ボールが一面に散らばり舞っていた。
片付けるにもその最中も強風が吹き止むはずもなく気の遠くなるような作業だった。
もうこのまま放っとけばどっかいくだろ。なんて思いながら掻き集めていたら後ろから
「すみません、これ・・・」と、さっきのカップルの彼女の方が私より遥か多くの段ボールを抱えて立っていた。
くるくる綺麗に巻いた髪がボサボサになっていた。
ひらひらの綺麗なワンピースを着ているのに、汚い段ボールを胸いっぱいに抱えていた。
その後ろには彼氏が、段ボールをたくさん抱えて立っていた。
とても自分が恥ずかしくなった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
カップルから段ボールを受け取って深くお辞儀をすることしかできなかった。
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:29:27.45ID:659EqgAh0
高校生1年になってすぐ母が肺がんで入院した。
親父と相談の結果、告知はしなかった。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、病気の劇的な進行とともに
母ももうこの病気は治らないことに気づき始めた、と思う。
そして年末、危篤状態になった。
でも12月30日、意識を取り戻した。
母:今日は何月何日?
俺:12月30日だよ。
母:そうかい、ウチはねぇ、この町で3代愛されてきた八百屋だよ。
俺:うん、そうだね。
母:だからね、町の人に迷惑かけちゃいけないんだ。
俺:どういう意味だい?
母:せめて「さんがにち」が明けるまで、不幸は出しちゃいけない。
あたしなんかのためにみんなに正月早々やな思いをさせちゃいけない。
そう言ったきり、母は年が明けて1月4日の明け方まで眠り続け、そして旅立って行きました。
我ながらすげぇ母親を持ったもんだと、誇らしかった。
やっぱね、もう、だめぽ、と思った時には母のことを思い出します。
そうすると、まぁ、なんとかなる、うん。
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:34:05.57ID:659EqgAh0
370 名前:水先案名無い人 投稿日:2007/08/04(土) 12:42:25 ID:oXvKqjwa0
昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな
でも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて
そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・
ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ
でも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど
試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね
そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ
敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってた
んで、サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が
「すげえよ○○!大逆転だ!!」
皆それに続いて「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた
相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:40:32.37ID:659EqgAh0
837 名前:サポート終了[sage] 投稿日:03/05/21 01:13 ID:A3xGmowF
ばあちゃんがボランティアで点字の翻訳やってるんだが
ある日PCでできるみたいだから教えてほしいと言い出した
どうやら↓が使いたいらしい
http://homepage2.nifty.com/winb/
当然俺がフルサポート
ぼろいノートを一台渡して
面倒くせーと思いつつも週一ぐらいで2時間みっちり講習
マウスの持ち方からフロッピーへの保存の仕方まで説明し
時には「そんなのyahooで調べりゃいいじゃん」なんて言い方もした
・・・という生活が4ヶ月続いたが先週それが突然終わった
入院しろと医者に言われてたらしいが
「○○(俺の名前)がパソコンを教えてくれるから」
といって最後まで聞かなかったそうだ
ばあちゃんは命を削っても俺のサポートを受けたかったのか
孫との2時間が嬉しくてしょうがなかったのか
などと考えると正直涙が止まらない
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:44:12.65ID:659EqgAh0
仕事帰りに乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。
ある夜、駅ロータリーでいつものように客待ちをしていると血相を変えたリーマン風の男性が「〇〇病院まで急ぎで!」とタクシーに飛び乗ってきた。
男はどこかに電話をかけているようだが、相手が受け取らないようだ。
ヒーヒー言いながら男は平静を保っていた。しばらくすると男の携帯が鳴った。
男「もしもし!母ちゃんの様子は?…。
そうか、頼みがあるんだけど受話器を母ちゃんの耳にあててあげて!…。」
優しいが芯のある声で男が勇気づけるように語りだした。
男「おいおいいつまで寝てる気だよ、 朝散々人のこと叩き起こしてたくせによ。
今せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、」
「おれまだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!おれが手握るまで息してろよな」と言って切った後、男は黙りこくっていた
しかし病院までの道のりはかなり遠い、男の苛立ちを背中でヒシヒシと運転手は感じ、信号を避けるため裏道など利用し最善を尽くした。
しばらく走ると再び男の携帯がなった
男「もしもし…そうか…わかった…もう着くよ」そう言い電話を切ると男は黙りこくった
そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い病院の中に消えた
私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言った
「覚えていてくれたんですね。これはあの時払えなかった運賃です。ありがとうございました。」
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:45:57.07ID:659EqgAh0
日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三。
国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきた。
1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れた。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。
『日本の金栗がただ今ゴール。
タイムは55年…。
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:52:46.55ID:kseHcWV30
俺は今まででコピペでいいなって思ったの一つしかないな
りょーたのやつが一番好きだ
53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:59:54.48ID:dBl+wssE0
>>51
貼ってくれ
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 11:03:42.65ID:ImW6XY/e0
>>51はサガ2の思い出でフラッシュ見たほうが泣ける
57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 11:12:39.91ID:kseHcWV30
>>53
スレチで悪いが>>54の言ってるとおりフラッシュもいいからそっちを張らせてもらう
http://blogs.yahoo.co.jp/yes_sa1017/24077275.html
23:1/5:2010/08/28(土) 12:58:27.74ID:PxvH7x9DP
91 :えっちな21禁さん :04/01/29 00:42 ID:shSY/WKT
Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。
俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。
んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。
んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、
なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。
26:2/5:2010/08/28(土) 12:59:18.15ID:PxvH7x9DP
92 :えっちな21禁さん :04/01/29 00:47 ID:shSY/WKT
んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。
俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。
そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、
「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。
でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、
仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。
それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、
色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…
28:3/5:2010/08/28(土) 13:00:09.70ID:PxvH7x9DP
93 :えっちな21禁さん :04/01/29 00:48 ID:shSY/WKT
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」って
そのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。
それから何回もお見舞しに行こうと思った。
…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ
30:4/5:2010/08/28(土) 13:00:59.60ID:PxvH7x9DP
94 :えっちな21禁さん :04/01/29 00:48 ID:shSY/WKT
病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。
「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、
って言われた物があるのよ」 と言って俺にそれを渡してくれた。
借してあげたゲームボーイとSaga2だった。
俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった
32:5/5:2010/08/28(土) 13:01:46.62ID:PxvH7x9DP
95 :えっちな21禁さん :04/01/29 00:50 ID:shSY/WKT
もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。
パーティー四人の名前がこうなっていた。
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがと」
「バイバイ」
…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 10:54:44.70ID:659EqgAh0
役員「では自己紹介を手短に」
剛田「はい。ハーバード大学院経済学修士課程から参りました、剛田たけしです」
役員「では、アピールポイントを3分で」
剛田「はい。2点あります。一つはリーダーシップ、二つ目は体力です。
リーダーシップに関してですが、小学校の頃にジャイアンズという野球チームを
立ち上げ、何度ものメンバーチェンジ、選手交渉、トレードを経てNYヤンキース
に勝利するまで育て上げました。
体力に関してですが、先に申した野球を始め、サッカー、アメフト、柔道など
幅広いスポーツをこなしました。体力なら自信があります。
またMorgan Stanleyで事務のアルバイトを経験し、不眠不休でエクセルの表を
作っていました。」
役員「では学生時代に頑張ったことは?」
剛田「先ほど野球チームとアルバイトの話をしたので、アイビーリーグの学生をまとめて
大規模なビジネスコンテストを主催した経験について話します。
ハーバードの院に入った年から活動し始めたのですが、GE、P&G、AT&T、IBM、
Merrill Lynch などの企業の役員にアポを取ることから始め、スケジュール管理、
各大学への訪問などを繰り返し最終的にアメリカの5000人もの学生を集めることに
成功しました。延べ一年半を費やしてようやく実現にいたりました」
役員「いやあ、君は優秀だね。なんだっけかな・・・君と出身小学校が同じ子が面接に来たんだが
奇妙奇天烈な学生でね。選考には進ませなかったんだが。」
剛田「その学生・・野比という名前では?」
役員「ん、まあ名前は言わないけど。“無能”な子だという印象を持ったよ」
剛田「・・・・謝れ」
役員「なんだって?」
剛田「謝れと言っているんだよ、俺の友人に」
役員「内定あげようと思ったのに」
剛田「こんな会社の内定なんていらない。 だから野比に謝れ」
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 11:51:03.12ID:659EqgAh0
俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パチ〇コとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ
66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:08:50.30ID:659EqgAh0
J( 'ー`)し
自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。
悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。
苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。
今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。
今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。
アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも
大事です。
68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:18:09.47ID:SGRzvtI90
私が財布から紙幣を出していると、表のガラスドアが開いて、五、六歳くらいの
女の子が入ってきた。顔を赤くし、必死の面持ちで、
「あのう、すいません」
と言った。私の相手をしていた女性がはい、と言って女の子の方に向き直ると、
彼女は、
「あのう、チーズケーキはひとつ何円でしょうか」
と丁寧な口調で尋ねた。店員は女の子の必死の気配がおかしかったのか、
「四百三十円です」
と笑いながら応えた。女の子は漫画のついた自分のガマ口を開け、二百円、三百円・・・、
と声を出してお金を勘定していたが、
「ああ、ないー」
と悲しそうな声を出した。そして、
「どうもありがとうございましたー」
と泣きそうな顔で言うと、ガマ口も閉めず一礼してガラスドアの方へ向かって駆け出した。
すると彼女にとっては厄日だったか、ドアの前で人と衝突し、ガマ口からお金をばら撒いて
しまった。
子供にぶつかるとはなんという不注意な人間だろうと思って衝突相手を見ると、私の友人だった。
御手洗もさすがに悪いと思ったらしく、急いで屈み込むと、
「ああ、ごめんね」
と言いながら、女の子と一緒にお金を拾い集め出した。
「二百円、三百円、四百円・・・・・、あれえ、ほら、四百八十円あるじゃないか、チーズケーキが買えるよ」
と私の友人は、拾ったコインを女の子の小さな手に渡しながら言った。
「あれえ、本当だー」
と女の子は言った。
「駄目だよ、きちんと数えないと」
と、御手洗は笑いながら言った。女の子は嬉しそうにコインを握りしめ、私の横に戻ってきた。
どうやら女の子はチーズケーキを買うことができるようだった。
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:19:06.99ID:8cJpIN020
ボランティアに言った病院で難病の子供が言った言葉です。
「○○くんはいつも教科書や本を読んで勉強しているね?
大きくなったら何になるの?」
「僕は大人にはなれないんだ。僕の病気は治らないから。」
言葉継げずにいると、
「でも勉強がしたい。せっかく生まれてきたから、いっぱいいろんなことを知りたい。」
わずか、11歳の子でした。
私はこの言葉を思い出すと、今でも自らの浅学が恥ずかしくてたまりません。
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:30:54.57ID:sOMRrG8J0
二次元に恋し、喪のまま結婚する事無く八十数才になった俺
近所からは危ない老人、キチガイ老人と若い頃と同じく迫害され続ける俺
訪れる人といえば市の職員が死んでねーか?と来るくらい
ある日風邪をこじらせた俺の家の玄関をダンダン!と叩く馬鹿がいる
ブチ切れた俺は「誰だ!フォルァァ!」と扉を激しく開ける
そこには50年以上前に心の底から愛し恋い焦がれたあのキャラの姿があった
彼女は何ら変わらぬ優しい笑顔で俺に手を差し伸べ
「お待たせ!さぁ一緒に行こっ」
震えた、涙が止まらなかった
それから数日後、俺の家を訪ねた市の職員は玄関先で倒れた俺を発見する
すでにこと切れていた
警察や役所は風邪をこじらせた独居老人の孤独死と結論を出す
しかし色んな孤独死を見てきた市の職員は不思議に思っていた
これ程の満面の笑みで亡くなった老人を彼は知らない
最後の最後でこの孤独な老人にいったいどんな奇跡が起きたのだろうか
71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:34:39.67ID:dBl+wssE0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。 紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。
金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。 今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父が また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:41:46.34ID:659EqgAh0
その時付き合っていた男に暴力を振るわれてた妻に(その時は友人同士)
俺「病院行くまで殴られてもまだ一緒にいたいのか!」
妻「・・・それは・・・あの人が私を愛してくれてたから・・・」
俺「俺と結婚しろ」
妻「は?」
俺「俺が暴力抜きでお前を幸せにしてやる。暴力がなくても幸せになれると、俺の一生かけて証明してやる」
妻「・・・・本気で言ってんの?」
俺「え、お、おう」
妻「や、うーん・・・・うーーーーーーーん・・・・」
俺「え、何?」
妻「私が自分の力であの男と別れられたらもう1度言ってください」
思考回路を変えねばと言ったのが、プロポーズだった・・・
暴力が怖いと泣いていた弱虫な妻は、今や立派な鬼嫁ですorz
73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:44:46.95ID:659EqgAh0
637 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2007/08/29(水) 13:21:23 ID:8X2E6LDc
昨日頭が痛くて頭が痛くて、明るいうちから布団に入って朦朧としてた。
4才の娘、完全放置。ご飯も買ってきた納豆巻きをテーブルにおいただけ。
「かーさん、口開けて。一個だけでもね、食べたらね、元気になるんだよー」
と言いながら、ちょっとお醤油をつけた納豆巻きを私の口に入れていった娘。
ちゃんと歯を磨いてパジャマに着替えて、居間の電気も消してから、
「よーし、○○も一緒に寝てあげるからね」ともぐり込んできた娘。
「なっとまき、まだ残してあるからね。後で起きたら、
きっとお腹空いてるから食べるんだよ?」って言ってから眠りについた娘。
ちょっと泣いた。
夜中だいぶ回復して起きたら、テーブルの上に納豆巻きが無い。
あちこち探してみたら…冷蔵庫の野菜室の中に、
輪ゴムでぶきっちょに封をした納豆巻きのパック。
冷蔵庫は最近買い替えたばかりで、
普通の冷蔵室には手が届かなくなったから、
どこに仕舞ったらいいか娘が一生懸命考えている様子を想像してまたちょっと泣いた。
今朝目覚めて最初に「おかあさん、もう頭痛くない?」って訊いてきた娘。
ああ、私が産んだ子なのに、なんであなたはそんなに優しいのだ。
毎日可愛い可愛いと思ってるけど、昨日から何というか、
可愛いというより愛しくて泣けてたまらないのです。
74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/05/01(日) 12:45:27.90ID:659EqgAh0
270 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 05:11:13 ID:U+6mtiNa0
49 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2008/05/29(木) 09:08:29 ID:???
wikiで調べたところ画太郎先生がやたらババアを描くのには泣けるエピソードが隠されている。
271 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 13:31:46 ID:GgslFWtp0
>>270
ほんとだ、これは泣けるわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AB%E2%98%86%E7%94%BB%E5%A4%AA%E9%83%8E
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:39:36.73ID:Dy1tXAiH0
アメリカの、とある地方に野球観戦の大好きな、でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。少年はその選手へファンレターをつづりました。
「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。
しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」
少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。
そして、その試合、ヒーローの最後の打席。2ストライク3ボール。テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで 固唾をのんで見守り、少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
ピッチャーが投げた最後のボールは・・・、大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きな溜め息が漏れようとした、その時、スタジアムの実況が、こう伝えました。
「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:41:58.70ID:Dy1tXAiH0
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)く〇に友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:43:45.36ID:Dy1tXAiH0
あるベトナムの村に宣教師たちの運営する孤児院がありましたが、爆撃を受けてしまいました。
宣教師達と2人の子供達が即死し、その他の者も重傷を負いました。
重傷になったものたちの中でも8才の女の子は最も危ない状態でした。
無線で助けを求めると、しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。
大量に出血したことにより危ない状態にあり、早く手当をしないと少女は命を落とすことになります。
輸血が必要でした。しかしどうやってそれを行うことができるというのでしょうか。
言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、
誰かが血液を提供することが必要であることを伝えようとしました。
沈黙の時間がしばらく続いた後、一本の細い腕が恐る恐るあがりました。
ヘングという名の少年でした。
急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。
少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。
しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。
医師がどこか痛いのかと尋ねるとそうではないようでした。
しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。
医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。
ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。
明らかに何かが間違っているようでした。
すると別の村からベトナム人の看護婦が現れました。
医師はその看護婦にヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。
すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。
すると看護婦はアメリカ人の医師達に説明しました。
「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助けるため、全ての 血液を提供しなければいけないと思ったようです。」
すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。
「そうであればどうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」
すると少年は単純に応えました。
「あの子はぼくの友達なんです。」
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:45:09.44ID:Dy1tXAiH0
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:46:01.28ID:Dy1tXAiH0
うちのババァが大事にしてる
オレより年下に写ってるジーサンの軍服姿の白黒写真を
ババァが出掛けてる隙に、スキャナーで取り込んで元の場所に戻してから
仕事から帰宅して睡眠時間削りながら
4日間掛けてフルカラーにコラしてヤったwww
んで、写真屋でプリントアウトしてきて
ついでに地味目の写真立てを購入し
白黒写真の隣に飾っておいたら大泣きされ
不覚にもオレ貰い泣き
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:48:11.67ID:Dy1tXAiH0
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:49:06.78ID:jMU6wK0o0
某所に手のつけられない荒くれの死刑囚がいて看守達もほとほと手を焼いていた。
そこで、神父様が呼ばれた。
その神父様、なかなか良く出来た人で、彼と独房で会う時に、
聖書の中に小さな紙切れをしのばせていた。
最初は「声を出すな。お前を救う作戦がたっている」とか言う感じで。
彼はそれを見て、神父はグルだと思って、自分のボスが助けてくれる
と確信していた。
会う度にメモが増えていった。「作戦は順調」とか「もうすぐだ」とか。
そして最後の日に渡されたメモにはこう書いてあった。
「作戦決行は、最後の瞬間」。
彼にとってこの世で最後の日。最後の夕食を食べ、神父に最後の祈りを聞いてもらい、
看守に引き連れられて電気椅子に向かい、最後に顔の前にカバーがかけられる瞬間まで
彼は笑顔だった。
彼の死後、一体荒くれだった彼をどうやって大人しくさせたのか、と問われた神父は
その看守に答えました。
「私は彼に『希望』を与えたんです。」
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:51:09.35ID:PxvH7x9DP
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:54:58.74ID:Dy1tXAiH0
小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。当時60歳くらいだった
ばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに俺はばあちゃんが憎くて、
「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」
といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。ばあちゃんその日は寂しかったろうな。
んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
そしたらこれが以外に面白い。夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、
「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・(山形弁)」
俺はゲームに夢中で「もういいから!入ってくんな!!」
そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。
でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れてその日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。
布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。
ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。
急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。
ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:56:30.41ID:PxvH7x9DP
中学校1年のときのこと
授業中に隣の席の女の子がおしっこ漏らしていました
女の子の席は一番後ろのはじだったので他には誰も気がついてない様子
僕はおもむろに席を立って無言で廊下へ
先生が後から追いかけてきたけど無視して手洗い場でバケツに水を汲むと教室に戻り
その女の子にぶっかけました
教室中大騒ぎになり、学校に両方の親まで呼ばれました
うちの親は相手の親に平謝り
なぜそんなことをしたのか問い詰められましたが
僕は結局最後まで口を割りませんでした
家に帰る途中で女の子が事実を親に話したらしく
お礼を言いにうちまで来ていました
時は過ぎて今その女の子は僕の奥さんです
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 12:57:24.84ID:Dy1tXAiH0
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。
両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、
周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。
母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、
好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」
父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。
母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。
25:1:2010/08/28(土) 12:59:12.53ID:Dy1tXAiH0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
27:2:2010/08/28(土) 12:59:43.17ID:Dy1tXAiH0
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 13:00:37.08ID:Dy1tXAiH0
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 13:04:49.34ID:Dy1tXAiH0
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。
「若、ご立派になられましたな。」
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/28(土) 13:06:57.98ID:Dy1tXAiH0
なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。
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>>1に感動する>>1の品性を疑う
馬鹿「人をボコした事を誇りに思う(キリッ」
ただの猫が好きなDQNじゃねぇかもっと平和的にやれ
48がよくわからん
いつの間に時間が飛んだんだ
48わかった…失礼
あのさ、ページのトップにある
エプロンした犬?の画像って元ネタなんだっけ?
どっかで見たことあるように思うんだが・・・。
※2※3
お前らみたいなのが弱い動物を虐待したりするんだろうなw
人間様にも打ち勝てよクズw
たぶん作り話も混じってるんだろうけどこういうコピペもいいね。
いろいろ考えさせる。
年取ったな涙が出てくる
嘘って美しいね
>>6 「象の背中 旅立ちの日」
この手のスレは身内に不幸がある話が多いけど、それを感動に結びつけるのはだいぶ飛躍してると思う。
後味の悪さばかりが残る。
人が死ぬ話は確かに泣けるけど感動ってのは違うだろ
いろいろな考えの人が居るのはわかるが、素直に感動している俺のような人間がコメント欄を見て急に寒々とした現実に引き戻されるってことも考えてくれ!
批判的なことを言う人はおかしい!というわけでもないんだけどさ…
俺なんか酒飲みながら読んでてボロボロ涙出てきたよ…普段はひねくれた性格してるけど、ばあちゃん子だったもんだから思い出してさ…
涙がとまらねぇ・・・
あと※6 「象の背中」これも泣ける
33毎回泣くわ(;ω;)
サガ2と癌が治る薬は何度見ても涙ぐんでしまう
※12
※13
ゴミみてえなところにずっといるとこういうひねくれた性格になるんか
ゲスいなお前ら
それでも俺はこのスレ読んでしっかり時間を無駄にしないで生きていこう、って思ったよ。
死ネタばっか
やっぱり「A君とN先生」は出色だな
ちょっとまえパクられたよね
明日予定あるのに泣き続けてしまったorz
目パンパンだ
途中まで我慢してたがやはり無理だった…。涙腺緩くなったな
生まれた時から治療と手術を繰り返して子供も作れない体の子供を持ったせいで心が壊れた母親を持って お約束のように登校拒否児になり 中学の時に両親を一度になくし 縁を切っていた祖母が思春期の高校生から一人で風呂にも入れない小学1年生までの5人の子供を引き取って 立派に嫁に送り出してくれた。 そんな私のつまらん人生をゲラゲラ笑って過ごす毎日に変えてくれた祖母の話をいつかしてやる。
>>1は普通に感動できねえ
怪我させるとか最悪じゃねえか
家族の話は正直キツイ
>>49
みたいな長い年月を経て報われたって話にたまらなく弱い
よかったな…ホントよかったなって思って泣くしかなくなる
悔しい
>>49の場合なんか不特定多数にもかかわらず一致団結を見せた
周りの人間の優しさも胸に突き刺さるわ
個人的に33が凄い好き
※18
ゲスですまんねw
人が死ぬ話は悲しくて涙でるけどそれを感動と勘違いしてる人多過ぎだろ。
人の身内が死んだ話に感動できるってのがよくわからん。
じいちゃんが帰省のたび少ない年金から3万くらい小遣いくれた
だが帰りにパチスロで全部すってた
今思い出すと死にたくなる
※6
たぶん犬じゃなくて象。
旅立つ日みたいな名前の短編アニメの。
いい話だけど悲しい話が多いね
身内なくして間もないうちは読む気力がでないや
あれ・・・・画面がかすんでみえるが気のせい・・・だ、よな?
東北地震で父親が被災地の彫刻直しに行くの誰かしらない?
探してるんだけどみつかんない
B'zのミエナイチカラ聴きながら
ユトリロのコピペ見たら号泣余裕でしたwwwwwwwwwwww
どっかで読んだ「国境を越える傘」っていうのが良かった
反吐が出るぜ!
暴れん坊将軍のじいは「上様」って呼び方で一貫してるから
>>33が見たのは多分暴れん坊将軍ではないな
このコピ前も何度か出てたでしょ。
この見ながら酒飲むけどいつもの飲み方と変わって
グウィグウィと流し込むように飲むためいつもの倍以上飲んでる。
翌日お化け顔になっててびっくりする。
泣きまくりながらの深酒のおかげで腫上がっているからアイスノンで冷やす。
また明日も冷やさなあかん。
いま焼酎三合目過ぎてる
母ちゃんものと年寄りものはホント外れがないなあ…。
読んでないけど泣いた
1は初めて読んだけど猫好きにはくる
死は卑怯だよ
うぅ
なんで見たか聞いたか忘れたけど、原付免許を何十回も落ちた知恵遅れの人の話って
誰か知らない?
涙が止まらない
個人的に若とじぃの話が好き
金栗のゴール実況は
「日本の金栗ただいまゴール、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会、全日程が終了いたしました。」
で、これはマラソンの世界最長タイム。
本人のコメントがまたいかしてて、
「長い道のりでした、この間に孫が5人できました。」
だとさ。
妻にケーキでも買ってくるか
目ぱんぱん
たまにはこう言うのも良いな
寝れなくなった
朝には会社いかなきゃいけないのに
タヒれば良いストーリー
タヒれば良いストーリー。総評するならゲームのシナリオライターぐらいにはなれるんじゃない?
今の世の中、怒ること、嘆くことは多くても、
泣くこと、笑うことは少ないとおもわへん。
ワシここ好きやわ。タオル湿ってもうた。
びっくりした。27は俺が10年ぐらい前に書いたやつだ。
ばあちゃんの見舞いにいけと怒った母も、去年末鬼籍に入った。
見舞いには毎日行った。
ばあちゃんのときにほとんど見舞いにいけなくてごめん、とは言えなかったけど、毎日いけるだけ病院に行けた。
あのとき、母をなくした母の事をもっと気遣ってやればよかった。
天国で、お母さんのお母さんにいっぱい甘えていてほしい。
千の真実より一つの嘘って誰かが言ってた
1回見たのばっかなのに破壊力がやばい・・・・。
涙腺ゆるゆる
トム、よかったね
※18
お前こそ荒み過ぎ
口調もゲス過ぎ
改めましょう
>>1って普通に飼ってた猫が死んだってだけじゃねーか
飼うきっかけがDQN丸出しで感動もクソもねーわ
2ちゃんの泣けるコピペほど手軽にカタルシスを感じられるものはないな。
音楽や映画よりよっぽど優秀
みんな平々凡々な人生送ってんな
こんなんみてもなんとも思わないぞ
痴呆症になるかあちやんのコピペが無いことに、絶望した
こういうの見ると、親とか大事にしなきゃなぁとは思うんだけどねぇ…
親孝行はいなくなってからは出来ないからな。
俺も親父死んでしまって母と2人暮らし
できることをしてあげたいです。
全部感動する話ばかりで凄い。涙が出て止まらん。
動画作ってニコニコ動画に上げるべき(笑
頭ガンガンする程泣いた自分に笑った
1ページで読むの断念した
>>1でいきなり読んで損したww
33がとても好き
28で泣いた
幼い28の必死でレべ上げしてる様子がいじらしくて
勝手に大往生にしてるが
病気しなければ猫は15年くらいは普通に生きる
20年超える猫もそこそこいるから
まあ人間の80歳が16~18年位の感覚でいいと思う
12年はちょっと短め、50歳くらいの感じですな。
オススメアニメブログ
http://d.hatena.ne.jp/Gauss
http://izayoi315.blog98.fc2.com/
「リョータ」
「いろいろ」
「ありがとう」
「バイバイ」
がフラッシュで出たときに鳥肌がMAXになった。
親に優しくするわ
おばちゃんが予備校行くお金くれた話、「頑張りんさい」って三河弁っぽいけど、「××やで」って三河の老人は使わない。創作か
73で号泣。
冷やして寝るか
泣かせるな
明日祖父に会いに行きます。アルツハイマーの祖父が細菌感染で高熱を出して一週間。意識が朦朧としていつ危篤になるか分からない状態。 祖父は家族や自分、みんな忘れてしまった。でも私はおじいちゃんを覚えているからね。明日、祖父に会ったら何て言おう。
このまとめを読んでどうしても吐き出したくなった。
ほんとの話か作り話かはわからないのですが、いっぱい泣きました。
死ネタや家族ネタが多いので、余計泣いてしまったのかもしれませんが、こういう話を読んで、泣ける人のままでありたいです。
涙が止まらなかった
いいコピペを
有難う
今年初めて涙を流した
嘘だろうが作り話だろうが関係ない
俺は俺の100%を出して生きたいと思った
涙腺が刺激されて途中までしか読めなかった…やっぱりこういうの弱いわ…
>>25>>27読んでて、最後の行で涙出た。
おいまめ速管理人、あんたのまとめブログを一番贔屓にしててよかったわ。
文字の色まで一緒にするなんて。
星型のニンジンのお弁当の話がない
>>1はいい奴だがネコいじめの味方に付く奴がいっぱいな社会に絶望した
>>1の何の抵抗もできない小動物に爆竹の計とか水につかせるとか頭のネジ足りねえんだろうな
感情が欠落してるのか
感動する以前に腹がたってしょうがないんだが
「かんごふ」
「さんにこ」
「ろされる」
「たすけて」
かなこに宛てたおじいの手紙が苦しすぎてしゃくりあげて泣いた
自分自身の祖父はDV傾向だったから大嫌いだけどな
こんなんあかんやん・・・
あかんやん・・・
涙腺緩くなったんかなぁ。涙がボロボロ出てくるよ。
>>70 >>52 ワロタ
泣きすぎて死んだ
ばあちゃん・・・ありがとう・・・ごめん・・・
21が大好きだわ
この手のスレは変に文才ある奴が書くより
文章下手で思いが詰まってるような感じがするほうが生々しくてやばい
つまんね
>>48
がわからん
※97
お前の方がつまんねーよ、ゆとり
>>1
それでいいと思います。嘘でも本当の話でも(嘘でもって失礼ですが)感動しました。
えー、感動全くできませんが(w
昔の話です。
俺が小1の時、富山ライオンズクラブというサッカークラブに所属していた。
その中で俺より何年か上の女子でサヨリだったっけな。サヨリだったっけな。
そいつが、サッカークラブで初めてできた女友達だったわけだよ。
俺は練習の時もそいつの真似してコーチにしかられてた。
そんなある日、俺はそいつを好きになってしまった。意外と優しかった。と、いうか、かなり優しかった。そして、俺はその後何故かサッカークラブをやめた。
「もうサヨリ(だったっけ)に会うことはない。」そう思い残して俺はクラブをやめた。
そして、俺がサッカーをやめて1年後くらいたったある日、アルペンマラソンというマラソンが町の大会で行われた時だ。横のチームなどを見ていた俺の視界に何か懐かしい人物が目に入った。
「気のせい・・・か・・・。」と思ってもう一度見ると、あのサヨリ(だったっけ)が居た。
しばらく見ていると、サヨリ(だったっけ、やっぱ名前が思い浮かばない)も気がついたようで、こっちに手を振る。別に感動とかはしなかったけど、やっぱ可愛いと思った。
あれからまだ3~4年しか経っていない。だが、そのマラソン以来、もうみかけることもなかった。
顔ももう忘れてしまった。だが何故か好きなんだ。もう、記憶にはない、青春がまだ、記憶の奥で眠っている。今はもう外に好きな子も出来た。しかも両想いと絶好調w
でも、もう一度だけ会ってみたいな。
長文すみまみせん。
>>1を叩いてる奴はキチガイか何かだろうか
平和的に解決しろとかまだ物心もつかない消防時代から
小動物虐待して殺そうとするゴミにまともな話が通じるかよ
殴られた被害者様()は少年院にパクられなかっただけマシだな
クラスの友達の言葉がキッカケでおれの考え方、生き方、すべてが変わった
友達が俺のすべてを変えてくれた
マジ感謝です
21の、漏らしてしまった女の子に水をかける話が
中学の時の道徳の教科書に載ってた。
その教科書では、他人目線からの光景だったけど、本人たちは今じゃ夫婦なんだね。
すごく胸が熱くなった。
「僕は公立高校に行きたかった」
僕の家はあまり金持ちではない…
でも、中3の夏から塾にいかせてもらった。でも勉強嫌いで勉強をしなかった。そんな僕に塾の先生は優しく公立高校に行きたいなら勉強しよう!まぁ普通の言葉だろ。僕にはすごく心を動かされた。なぜならいつもどんな時でも怒っている(怖い)先生に言われたからである。優しかった。嬉しかった。そして最後の成績は5上がった。怖い先生に見せにいった。よく頑張った。やればできるじゃないか。嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。公立の試験にいった。結果は不合格だった。怖い先生に怒られる。と、思い恐る恐る先生のとこにいった。そしたら、先生は泣いてこう言った。ゴメン本当にゴメン。僕も泣いた。止まらなかった。先生は僕に怒らず自分をせめた。そして先生は一週間後亡くなった。先生は僕手紙を残してくれた。(僕の名前)へ。努力は無駄にならない。その一言だった。そしてそれから僕は勉強をいっぱいやりいい大学にはいれた。努力は無駄にならない。確かにそうだと思った。公立高校に落ちた僕は努力なんてと心では思ってたことを先生は知っていたのだ。努力は無駄にならない。この言葉のおかけでいい大学に入れた。努力は無駄にならない。僕の宝物だ。
500円はやめろ
やめろ
病気とか死ネタは、最初の頃は感動できたが
後味の悪さが鼻につくようになったなあ
感動ってのはもっと幸せなカタルシスだろ
>>49みたいなのがいい
感動した。
1 には失望した。
何事にも愛情を持つこと。・・
愛は地球を救う。・・
泣かせやがる…
俺の話なんだけど、半年以上も前の話。
その頃約、一年半付き合ってた彼女がいたんだけど、初めて出会ったのは高校に入学した時で、まぁ俺の一目惚れ。でも自分から話しかけたりアドレス聞いたりあんまできない性格でさ、とりあえずチャンス待ってた訳。したら知らない女からメールがきてさ、まさか!!って思って期待したんだけど全く違う女。んでまたなんとなぁくすごしててさ、教卓の上に席順で名前書いてあってさ、へー佐藤(仮)って名前なんだー。でも下の名前が明らかにそのままの読み方したら人の名前にならないような漢字でさ、読めなかった訳。んで何日か後にそのメールしてきた女が、ひらがなで、○○にアドレス教えていい?って来てさ、誰だか分かんないし、佐藤○○って子にしか興味なかったから、う~んどおしようかなぁってなったんだけど、一応席どこの人って聞いたら、廊下から二列目の一番後ろだよってきてさ、ん!?まさか!!ってなった訳。んであの意味不明な名前を漢字で送ったら、あーあれ○○って読むらしいよ!!ってきた訳。もうそんときは名前なんてとりあえず二の次で、速攻許可してさ、んでなんだかんだやり取りして付き合う事になってさ、これがまたすっげー性格がいい子でさ俺はもうゾッコンですよ!!んで、だいぶ月日がたって俺がだんだん慣れてきた頃に俺んちで会う約束したんだけど、彼女はきっちり時間通りに来たみたいたんだけど、俺ねちゃっててさ、起きた頃には3時間以上過ぎてた訳。ただでさえ彼女の家から俺の家の最寄り駅まで、約1時間。そこから家まで歩いてあいつの歩く速度だと約1時間。
・・・よくやった
最初の猫コピペ気持ち悪い