久々に泣けるコピペください
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/27(水) 18:03:11.40ID:ISe/z3kD0
こういうの欲しい
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
510 名前: 投稿日: 2006/03/27(月) 13:52:48
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
865 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 14:26:35 ID:eRNXPqx/
自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。
が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらど-してくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。
604 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/07/29(火) 13:06:13 ID:NJRpOhWp
小学校6年くらいの時の事
親友と、先生の資料整理の手伝いをしていた時、
親友が「アッ」と小さく叫んだのでそちらを見たら、名簿の私の名前の後ろに『養女』と書いてあった。
その時まで実の両親だと思っていたので心底衝撃を受けた。
帰り道、どんな顔で家に帰っていいか分からず、
公園のブランコに座って立てなくなった私に、親友はずっと付き添っていてくれ、
「よし、じゃあ私と姉妹の盃を交そう」とか言って、
カバンからメロンのアイスの容器(メロンの形のやつ)を出して、水道の水をくんで飲んだ。
一体何のテレビを見たのか、「盃の契りは血のつながりより強いんだよっ」なんて
メロンのカップ片手に言う親友がおかしくて、思わず泣きながら笑いあった。
十数年たって私が結婚する事になり、結婚直前に二人で酒でも飲む事にした。
『あの時はありがとう』と、驚かそうと思って、あの時もらったメロンのカップを
カバンにこっそり忍ばせて飲んでたら、突然親友がポロポロ泣き出して
「あの時、あの時、気付かせてしまってごめんね」と。
『養女』の文字を隠さなかった事をずっとずっと悔やんでいたと泣いた。
そんな事、反抗期に親に反発しそうな時も、進学の学費面で親に言えなくて悩んだ時も、
机の上でメロンのカップが見守っていてくれたから、
あなたがいてくれたからやってこれたんだと伝えたかったのに、
ダーダー涙流しながらダミ声でドラえもんのように「ごれ゛ぇ~」とメロンのカップを出すしかできなかった。
親友もダーダー涙流しながら「あ゛~ぞれ゛ぇ!」と言って、お互い笑って泣いて、酒を酌んだ。
もちろんメロンのカップで。
もうすぐ親友の結婚式があるので思い出した。
844 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2008/07/25(金) 21:00:39 ID:ss2rQLS+0
お前らただいま。
今日、美容院でシャンプーしてる時に
店員「凄く綺麗な顔してますよね、彼女いるんですか?」
俺「いないです・・・」
シーン
洗い終わって頭上げたら、隣のイス担当の店員の声だった。
845 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2008/07/25(金) 21:02:00 ID:ss2rQLS+0
美容院で髪洗ってもらってるとき
シャワー浴びてるのと勘違いして、小便もらしたことがある
837 :本当にあった怖い名無し :04/11/05 21:57:17 ID:7ZRzBvsY
俺の友達の話しだけど。
俺の友達は、古風に言えばヤンキーだった。
高校もろくに行かず、友達と遊び回っていたそうだ。
先生達は皆サジを投げていたそうだが、友達の担任の教師だけは、そうじゃなかった。
かなりの豪傑だったらしく、何事にも熱心に取り組む先生だったらしい。
幾度となく留年の危機に瀕した友達を叱咤激励してくれたそうだ。
友達はその分、反抗もしたみたいだけど。
先生のおかげか、そいつの頑張りかは知らんけど、友達は高校を卒業してとある土木会社に就職。
そして、去年の10月頃、やつは不思議な夢を見たらしい。
高校の教室、辺りはぼんやりとしていて、何人かの生徒の姿が見える。
教壇には、ニカッと笑った先生の姿があった。
その先生は突然、黒板に「自習」という字を書くと
「明日から休みになるが、宿題がある!」と叫んだ。
友達が「えーっ!」と声を上げると、先生は笑って
「俺からの最後の宿題だ。幸せになれ」と言ったという。
目が覚めた後、何となく変な感覚があったと友達は言っていた。
そして、その日のお昼頃、そいつは突然、先生の死を知らされたそうだ。
原因は俺は知らないけど、急死だったらしい。
この間、飲みの席で「俺の先公の命日だったんだ」なんて話しから、その話しを聞かせてくれた。
いつも強気で口調の荒いそいつが、声を殺して泣いているのを見て、
先生の最後の宿題を、こいつはちゃんと続けているんだなぁ、って思った。
623 :水先案名無い人:2009/11/08(日) 21:23:32 ID:nFGQFULx0
自分でも理由は分からないが、気が付けば仕事やる気を無くして会社を欠勤し、
それが数日続いたある日の夜、怖面ての上司が自宅に来た。
最後通告かな、と思いながら、上司の行きつけらしいショットバーへ連れていかれた。
案の定、会社に出て来ないオレを気に掛けてた様子で、
オレはなぜかやる気が出ない事を正直に話した。
辞めようか悩んで居るとも。
ヤクザ顔の上司から意外な言葉が返ってきた。
人間は自分で思ってるよりもギリギリのバランスで生きてるんだよ。
走れば走る程、それだけバランスを崩し易くなる。
周りが見えなくなる。
少しだけ運が悪かったり、少しだけ考えが及ばなかったり。
体の痛みや疲労は分かっても、精神の痛みや疲れは分かりづらい。
他人の事なら尚更だが、自分の事は我慢してしまう。
お前は今少し心が疲れてるだけだ。
治るまでゆっくり休め。
いつか治った時、痛みを知ったお前は少し強くなる、その分人に優しくなれる。
痛みを知った者が、次に傷付いた者を癒す薬になれるんだ。
だから今は休め。いいから。な?
んで、いつかオレが疲れ果ててたら助けろよなwww
オレ泣いた。
890 名前:彼氏いない歴774年 投稿日:2009/11/02(月) 16:46:04 ID:4T/3VYWa
TSUTAYAの入り口にて
小さな女の子と若い母親がいて、ぐずる我が子を招き帰ろうとする母親
女の子は声こそ出していないものの、涙で顔ぐしゃぐしゃwで、ひっくひっく言ってる
するとそこへ水野真紀風のキレイめお姉さん入店
お母さん「さなー、ほら、おいでー」
女の子「ずびっ、ぐしゅ、うぇっうぇ…ぶびっ」
お姉さん「おっ!お嬢ちゃん泣いてるねぇ!(と、女の子の頭に手を置く)」
女の子「!?(゜д゜)」
お姉さん「今お外行くと良いもの見られるよ!」
と言ってお姉さんはお母さんに会釈して文庫コーナーの方へ
見知らぬ人間の登場にすっかり泣き止んだ我が子の手を引き、
お母さんは「なんだろーねぇ」って言いつつ外へ
雑誌コーナー(入り口の真横)にいた自分も妙に気になりそそくさと後を追う
するとまぁ空に見事な虹がかかっていた
駐車場では女の子よりお母さんがはしゃいでいた
きっと女の子が泣き止んだから
虹がかかったんだよ
うわぁ俺キメェ
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
>>90
やっぱこれ泣けるわ
ぶわああああああああん
ばあちゃん・・・
790 名前:スペースNo.な-74[sage] 投稿日:2009/11/02(月) 03:48:00
米国の4歳の女の子が愛犬の死を受けて、神様に手紙を送ったと
いう話が米ニュースサイトの ニュースバインで紹介された。
このエピソードは、女の子の母親から送られてきたメールを見た記者が
「伝えずにはいられない」と思い、紹介したもの。
それによると、この母親の家ではアビーという14歳になるメス犬を
飼っていたが、先月、病気で亡くなってしまったそうだ。
ずっと一緒に生活を送っていた4歳の娘メレディスちゃんは涙を流し、
「どんなに寂しいか」を母親に訴えていたという。
そして、アビーへの愛情を忘れられないメレディスちゃんは、母親にこんなことを言った。
「神様に手紙を書いたら、アビーが天国に着いたとき、
神様はちゃんと『アビーだ』ってわかってくれるかな」。
母親はメレディスちゃんが話す言葉を書き留め、手紙をしたためた。
その中身は「神様、アビーがいなくなり、とても寂しいです。
どうか天国でアビーと遊んであげてください。 アビーはボール遊びと
泳ぐのが好きです。神様がアビーを見つけたとき、すぐに私の犬だと
分かるように、 写真を送ります」という内容。
幼いメレディスちゃんの精一杯の愛情が込められた手紙だ。
手紙と写真を入れた封筒には「天国の神様」とあて名が書かれ、
ポストに投函された。
791 名前:スペースNo.な-74[sage] 投稿日:2009/11/02(月) 03:50:22
手紙が届いたか心配する娘に、母親は「きっと届いたよ」と励ましていたそう。
すると10月27日、家の玄関前に金の紙で包まれた「メレディスへ」という小包が置かれていた。
中には「ペットが死んだ時」という本。
そして、そこには“神様からの手紙”が添えられていた。
「親愛なるメレディス。アビーは天国につきました。写真が
入っていたので、すぐにアビーと分かりましたよ。 もうアビーは
病気ではありません。アビーはあなたと居るのが好きでした。
天国では体を必要としないので、 写真を入れておくポケットがありません。
だから、あなたがアビーを思い出せるように、この本と一緒に写真を
返します。 素晴らしい手紙をありがとう。それから、手紙を書くのを
手伝ってくれたお母さんにお礼を言ってください」
ニュースバインの記事の最後は「誰が答えたかは分かっていません。
でも、米国郵便公社の配達できない手紙を扱う部署には、美しい魂があります」と結ばれている。
俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。
俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。
俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。
俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい
第14期陸軍特攻第77振武隊 相花伸夫小尉が母にのこした遺書
昭和20年5月4日沖縄周辺洋上にて特攻戦死
母を慕いて
母上お元気ですか?
長い間本当にありがとうございました。
私六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最期までお母さんと呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さん と
もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に陸軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、
部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)
終戦迎えて内地に帰って…じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、ばあちゃんはいつも
「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」
って泣きながら笑い飛ばしてた。
しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、
2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」ってばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…
ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…
ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…
晩年、ばあちゃんが
「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」
って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…
スレチやけど、ふと思い出した
携帯から長文スマソ
167 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:20:15.41 ID:/SOqYFy60
イヴの夜に両親不在の実家に妹の彼氏が来て
空気読んで「俺予定あるから」って言って外に出て
当然予定もないし、友達いないし
漫喫で泊まろうと思ったら財布無くて
財布とりに家帰ったら
鍵かけられてて、家の電気消えてて、妹と彼氏が確実にギシアンしてて
大して厚着もしてないのにこの寒空の下、とにかく朝になるまで時間つぶしたくて
でもリア充、DQN共の巣窟の駅前には行く勇気も金も行動力もなくて
誰にも見つからないように近所の小山を歩き回って、職質受けた挙句
結局、事後であろう午前3時頃に家に帰ってきて
妹と彼氏がギシアンして満足したであろう我が家の庭のエアコンの室外機に寄り添って
人が作り出した文明の利器の暖かさに触れて
昨日初めて優しくされた気がしながら夜を明かした、イヴの夜
199 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [] 2009/12/25(金) 09:47:08.75 ID:/SOqYFy60
晩飯は妹と外食するつもりだった
それに両親不在だったので昨日は少量のお菓子以外にまともな飯も食ってない
腹すいたときは昼に食ったハバネロの粉が爪の間に残ってる気がして
一人で指チュパしながら山の中徘徊してた
203 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします [sage] 2009/12/25(金) 09:48:47.98 ID:S0YCb6CS0
>>199
もういい・・・・・・っ!
休め・・・・・・っ!
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰って
しまいたいというのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を私に差し出し、
「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。
駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。
「あなたの中の最良のものを by マザー・テレサ」
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。けり返されるかもしれません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
カーチャンに善い行いをされても次の日には忘れてました。カーチャンがおれのために作り上げたものを壊してしまいました。
カーチャンに助けて貰っても恩知らずの仕打ちをしてました。カーチャンがくれた最良のものを蹴り返していました。
それでもカーチャンは気にすることなく、最良のものを与えつづけてくれました。ありがとう。カーチャン。
>>118
一度でいいから心からカーチャンに「ありがとう」って伝えたい
今年から職が決まったから母の日に花プレゼントしたら大事に置いてあった
カーチャン…
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、以前に見たドキュメンタリーを思い出す。
サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、
親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。「
障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。「 子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。
だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、
親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。
最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
しずかちゃんのお父さんの名言(ドラえもん)
あの青年は
人の幸せを願い、
人の不幸を悲しむことの
できる人だ。
それが
いちばん人間にとって
だいじなこと
なんだからね。
(のび太と結婚してうまくやっていけるか心配するしずかちゃんを諭す、しずかちゃんのパパの言葉)
748 いやあ名無しってほんとにいいもんですね 2010/08/26(木) 20:43:34
一昨日の昼に友達二人とこういうファミレスに行ったとき混んでたから名前書いてもらって待ってたら
暫くして「三名様でお待ちの フ、フリーザ様」って呼ばれて
小声で「こういうの書く奴必ずいるよな」って言ったら、友達がいきなり
「さぁ!行きますよ!ザーボンさん、ドドリアさん!!」って立ち上がった。
>>133
これ好き
でも、泣けるとは思えないがw
>>135
「誰がドドリアじゃ」って言ってる書き手を想像すると泣ける
253 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2007/07/09(月) 04:28:27 ID:eOXZyVUH
何年か前、一人暮らしをしてた時、部屋に小包が届いた。一緒に入っていた手紙に
『○○様 お元気ですか、○○が家を出て半年がたちました。家の中は火が消えたようです
じちゃんも、○○の事をしんぱいしています
早くりつぱな看ご婦さんになって帰って来て下さい。
ばちゃんも元気だから、しんぱいいりません。
○○が元気でりつぱになるやうにばちゃんは毎日仏だんにおがんでいます。
気をつけて、また今度かえって来て元気な顔を見せて下さい。
ばちゃん より』
手紙には、折り目が付いた1万円が同封されていた、農家の嫁の少ない年金で、生活も楽じゃ無いのに…
読みながら、届いた漬物をかじったら…
急に帰りたくなって、婆ちゃんに甘えたくなって、わんわん泣いた。
死ぬ気で勉強して働いて、看護婦になって地元に帰った。
今もその手紙と一万円は大切に残している。
嫁が風呂に入っているときに携帯を見てしまった。
おれが送った「今から帰る」みたいなくだらないメールばかり。
でもフォルダがあって、そこにメールが一杯たまってた。
彼氏から彼女に送るような甘い内容のメールばかり・・百通ぐらいあったかも試練。
感情的になってしまい、風呂からあがってきた嫁に問い詰めた。そしたら
「自分が送ったメールなのに、忘れてしまったのですか?」
といって嫁は笑った。さっぱり気づかなかった。
言われて見れば、差出人がおれの昔の携帯の番号だった。忘れていた。
そうこうしてる間に嫁の携帯の電池が一つになってた。もう何年も前から同じ携帯だ。
機種変しないのか?と聞いたら、メールが消えるのが嫌だったからだと。
なんだか携帯盗み見た自分が恥ずかしくなった。
謝ると、嫁は笑いながら「こんな私を貰ってくれる人なんて貴方以外にいません」といっておれを抱きしめてくれた。
今週末嫁の携帯を機種変しにいってきます。おれの自腹でOTL
家に帰ると嫁は夕食の準備中だった。着替えて顔洗って戻ると、もうテーブルの上には夕食が並んでいて
今日あったことなんかを話ながら夕食を取った。その後二人で食器を洗いながら
「○○(嫁)の料理はいつも美味いな、毎日食えておれは幸せだ」って言ったら
「褒めたって何もでませんから」なんて言いながらも嫁は嬉しそうだった。
ここでなんだか我慢できなくなって、不意打ちで頬にキスした。そして勢いに任せて
「○○、愛してるから。これからもずっと一緒に暮らそうな」って言った。嫁はちょっと笑いながら
「ほっぺにキスしてくれるなんていつ以来かしら」なんて言った。
予想外の反応になんだか恥ずかしくなってしまったOTL
その後、コーヒー飲んでまったりしながら、帰り道で貰ってきた携帯のカタログを二人で眺めてたら、
いきなり嫁から「私も愛してます、ずっと側にいさせてください」なんて言われた。
「いさせて下さいって、散々頭下げて結婚迫ったのはおれだぜ」なんて笑いながら言ったら、嫁がぎゅって抱きついてきて
そのまましばらく無言で抱き合ってた。んで一緒に風呂入って一緒に寝て終わり。
後半はいつもどおりの日常だったけど、愛してるって言葉に出したのは久しぶりで緊張したわ。
次はもうちょっとシチュエーションを考えて挑んでみる(`・ω・´)
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。
それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して
空が明るくなりかけた頃、彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。
●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。
50:おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 03:00:46 ID:QAt0Hee6
ところでさ、一人暮らししてる人は年に何日実家に帰ってる?
俺は仕事が忙しくて夏休み3日正月休み3日の、計年間6日位なんだけどさ。
俺のカーチャン今50歳で、考えたくないけど
女性の平均寿命から考えてあと30数年とするわな。
単純計算すると、あと180日位しか会えないことになる。
冷静に考えてみたら、もう半年しかないんだぜ?
おまえらも数えてみ?
あと何日カーチャンに会える日がある?
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・
http://〇〇〇.com
471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。
じいちゃんは五年前から寝たきりだった。生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。
それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。
じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。
俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。そんな程度しか思い出せない。
じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。
出会えますかこの野郎。
俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。
「天国のあなたへ」
娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。
32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。
おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。
あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。
そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。
力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。
うちの娘3才は難聴。ほとんど聞こえない。
その事実を知らされたときは嫁と泣いた。何度も泣いた。
難聴と知らされた日から娘が今までとは違う生き物に見えた。
嫁は自分を責めて、俺も自分を責めて、まわりの健康な赤ん坊を産むことができた友人を妬んだ。
ドン底だった。
バカみたいにプライドが高かった俺はまわりの奴等に娘が難聴って知られるのが嫌だった。
何もかもが嫌になった。
嫁と娘と三人で死のうと毎晩考えていた。
ある晩、嫁が俺に向かってやたらと手を動かしてみせた。
頭おかしくなったんかと思ってたら、喋りながらゆっくり手を動かし始めた。
「大好き、愛してる、だから一緒にがんばろう」
手話だった。
そのときの嫁の手、この世のものじゃないかと思うくらい綺麗だった。
それで目が覚めた。何日もまともに娘の顔を見てないことにもやっと気付いた。
娘は眠ってたが、俺が声をかけるとニタッと笑った。
あれから三年。
娘の小さな可愛い手は上手に動いてる。喋ってる。
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。
(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
素子は私の顔を見てよく笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし一緒にお風呂に
入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時はお前のお母さんか
叔母様に私のことを聞きなさい。写真帖もお前のために残してあります。
お前が大きくなって父に逢いたいときには九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば
必ずお父さんの姿が心の中に浮かびますよ。
・・・父は常に素子の身辺を守っております。素直な、人に可愛がられる人になって下さい。
海軍少尉 植村真久 レイテ沖にて護衛空母スワニーに突入戦死。
植村素子さんは父と同じ立教大学を卒業した後、日舞の名取となり、靖国神社に日本舞踊を奉納している。
父の魂を慰めるため、母と叔母、父の戦友が見守る中で踊り終えた素子さんは
「お父様との約束を果たせてうれしい」と語った。
その言葉に父の戦友たちは顔を見合わせ微笑んだ後、みな声を噛み殺して男泣きに泣いた。
653 :おさかなくわえた名無しさん :03/07/31 10:19 ID:Vc1FzEoD
実家が港町で蟹が取れるので、季節になると度々母が蟹を送ってきてくれていた。
ある日、母に「蟹は身を取るのが面倒でねー」と何気なく言ったのだが、その後送ってきて
くれた蟹は、見事にほぐした後の蟹の身パックだった。
驚いて母に電話してみると、「ほぐすのが大変だっていうから、一晩かけてほぐしちゃったよ(w」と笑っていた。
その電話で「その荷物の新聞紙にいいものが張り付いているから、ちゃんと見てね!」とも言われた。
良く新聞紙を見てみると、張り付いた一万円札が…。
いつも娘のウケを狙う母親だった。荷物に空瓶入れてタイトルが「○○(田舎の名前)の空気♪」とか、
留守番電話に入れる最後の言葉は「バイナラ」だったり…。
去年母が亡くなって、こういう凄い些細な馬鹿思い出が、私の中でホローリとくる思い出に変化した。
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたためおばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。
お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して
「こんな変なお弁当つくらないでよ」
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。
今私は結婚し、子供にも恵まれました。
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。
大好きです。
976 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/10/05 21:11 ID:fWts+Ezo
前、実家帰って、帰る時のこと。
俺は母子家庭で仕送りもらってるくせに
冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃ちょうだいと母にせがんだら
「何言ってんの!うちもキツキツで生活してるのに、自分で払いなさい!」
と怒鳴られた。
俺も腹立って、電話でタクシー呼んでそのあとは一言も母とは口聞かなかった。
しばらくしたらタクシーが来て、俺は何も言わずに家を出てってタクシーに乗り込んだ。
ちょうどその時、母が財布もって慌てて外に出てきたけど、
その時ちょうどタクシー発進。
俺は自分の情けなさと母ヘの申し訳なさと感謝の気持ちと後ろめたさに
振り向くことができなかった。
タクシーの中で涙こらえるのに必死だった。
後味の悪い帰省だった。
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。
年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。
イマイチ、実感が沸かなかった。
もうすぐお別れなんて考えられなかった。
弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん
私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。
喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた
心無しか目が潤んでるように見えた。
手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。握っても、握り返すことは出来ないらしい。
でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。
その時、初めて実感できた。
この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。
死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。
帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた
「これが最後になるかもしれないのに」とも。
おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。
出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。
夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。
涙をこらえて、「またね」と言った。
今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。
夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。
せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。
俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が「お前さぁ、目見えねぇんだろ?素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、その子は「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。
そしてきっとその子の家までだろう。片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!
小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、
仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、
体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」
と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、
気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。
あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに
「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、
弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰りました。
翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、
そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。
あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、
トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに、丁重に埋めてあげました。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。
毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う
>>161
こんなにかっこ良い奴がいるとはなー
幸せになって欲しい
524 :名無しさん@明日があるさ :04/05/08 23:53
今日、近所の交差点で車に乗って信号待ちをしていると、前方の右折車線でジリジリ前進している車がいた。
明らかに信号が青になった瞬間に曲がっちまおう、っていうのが見え見え。
この道路は主要幹線(って言っても所詮田舎のだが)で交通量も多い。確かにこのチャンスを逃したら、右折信号が出るまでの数分は足止めを食らうだろう。
俺は「ほんの数分も待てねーのかよ。やらせっかよ、このDQNが」と毒づきながら、信号が変わる瞬間を待っていた。
当然譲る気は無い。昼飯前の空腹感と暑さが俺を少々苛立たせていた。
すると、いきなり、俺の左の車線の車から中年の男性が降りてきた。自分の車を放っておいて。その車には誰も乗っていない。
もうすぐ信号が変わる大通りで信じられない出来事。
そのおっさんは、俺の車の前に背を向けて立ち、『止まっとけ』のサインを出しつつ、右折しようとした車に『早く行け』と手を振った。
右折車が結構なスピードで右折していく。しかし、俺の目にははっきりと見えた。
苦しそうな顔の女性が。助手席の窓にまで達した大きな腹。明らかに妊婦。
俺は、咄嗟に助手席の窓を全開にし、小走りで車に戻ろうとしていたおっさんに叫んだ。
「ありがとう! 全然気づかなかったよ!」
おっさんは、ちょっとびっくりしたような顔をすると、
「仕事が交通整理なんでな!」
と、笑いながら言い返してきた。その顔の誇らしげなこと。とても眩しく見えた。
後続車の猛クラクションの中、俺たちは慌てて発進した。ハザードを2回焚く。多分、隣の車も。
結果的に俺は何も出来なかった訳だが、あそこで「ありがとう」と言えた自分に感謝したい。
素直な感謝の気持ちをそのまま言葉にする。
自分が本当に思っていることを口にして言うだけなのに、それが恥ずかしくて出来なかった、愚かな俺。
いままで、本当に言いたいことも言えず、へらへら生きてきただけの自分を後悔する毎日だったから。
それがちゃんと出来ることを教えてくれたおっさん、本当にありがとう。
そして、あのときの妊婦さんが、元気な子供を生んでくれることを、心からお祈りします。
Λ,,Λ
(´・ω・)
.c(,_uuノ
おかーさん。なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?
おかーさん。なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?
おかーさん・・・。なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?
>>164
なにぐずぐず言うてんの。よう聞きや。
世の中どうしようもない事があるねん。いちいち愚痴言わんといて。
よう考えてみぃや。かーちゃんとあんたらは目ぇが二つ、耳も二つ、鼻は一つで同じや。
お口かて一つで中も同じような形してるがな。体かて同じようにぬくいやろ?
同じ様にできてるんや。
死ぬ時っちゅうのは、たまたま早いか遅いかの違いで、かーちゃんもちゃんとそっちに行きます。
心配性な子やな。誰に似たんやろ。
あんたらはかーちゃんの子やから。いつでも、いつまでも、かーちゃんの子やねんで。
不足言わんと、もうちょっとええ子にして待っといてちょうだい。
いいなあ暖かいなあ羨ましい
昨日残業して2時頃帰ったら、リビングに行き倒れ状態の嫁と娘が。
嫁の手にはクラッカー、娘の手には「ぱぱおにんじょびおめでと」のカードが。
部屋はお誕生日パーティの飾りが、冷蔵庫には食べかけの
俺の大好物のラザニアとケーキ(どちらも普段は太るからと、めったに
食卓には上がらない)とシャンパンまで・・・
残業だから先に寝てろって言っといたのに。泣きながら布団かぶせたら
嫁が起きて、「ごめん、1時までがんばったんだけど・・・」
その声で娘も起きて寝ぼけ眼で「パパあけましておめでとう」
また泣いた。
お前らは本当にバカだな
むかしカーチャンに反抗しただろう? それ以来カーチャンはお前に気を使ってんだぞ
誕生日か母の日を一度でもすっぽかしたことがあるだろう? カーチャンはすげー楽しみにしてんだぞ
連絡せずに夜遅く帰ったことがあるだろう? カーチャンは心配しながら待ってんだぞ
「生んでくれなんて頼んでねえ!」って言ったことがあるだろう? カーチャンはその言葉に、半年は苦しんだぞ。一生の傷になるぞ
家事の手伝い、最近してないだろう? やってもらうのは当たり前じゃねーぞ。カーチャンはさも当然のようにやってくれるが
お前らはバカだ。だが、救いようのあるバカだ。
俺は救いようがない。孝行する相手がいないからな
なあお前ら。とりあえずパソコンを離れて、今すぐカーチャンに電話でもしろよ。近くにいるなら会いに行け。「育ててくれて有難う」くらい言ってみせろ。カーチャンは「何だい急にw」って言うだろうが、見えない所で泣いて喜ぶぞ
矮小な恥ずかしさなんか捨てて、小さな親孝行してきな。お前らが受け取ったものに比べれば、まだまだちっぽけな愛だがな
ドンパチやりあうときじゃない
929 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 19:16:25 ID:???
その時、とつぜん砲撃がはじまったんで、おれたちは慌てて手近な塹壕に飛び込んだ。
するとどうだ、そこには先客がいたんだ。
ドイツ兵が五人。こっちはたぶん四人か五人だったと思う。
最初のうちは戦おうなんて気はこれっぽっちも起きなかった。
……そのとき、向こうはライフルを持ってるし、それはこっちもおんなじだって気がついたんだけど、
そこへ砲弾が落ちてきだして、おれたちは塹壕の端にへばりついて、ドイツ兵もおんなじことをしてた。
それでどうなったかって言うと、砲撃が小やみになったとき、
おれたちは煙草を取り出してそいつらに回して、仲良くいっしょに吸ったんだ。
あのときの気分をどう言っていいかわからないが、ともかくいまはドンパチやりあうときじゃないって感じだった。
……向こうもこっちとおんなじ人間だし、おんなじようにびびってたんだ。
戦争における「人殺し」の心理学より、第二次大戦に従軍したアメリカ空挺隊員。シチリアにて。
923 :Mr.名無しさん :04/10/28 19:56:58
11年前の8月1日の俺へ
こんにちは。11年後の君です。
儲け話いっぱい知ってるし、彼女になる女の子も知ってます。
でも君には教えてあげません。その代わりもっと大事な事教えてあげます。
明日、君の弟死にます。高3なのにくも膜下出血なんてジジィみたいな死にかたで
風呂の中に浮いてます。まあ今の時点で避けられないだろうから、
せめて君が最初に見つけなさい。母さんを第一発見者にするな。
あとせめて弟に言ってあげなさい「俺もイケメソでモテモテのお前が自慢だ」って。
君の弟は「俺はバカだけど俺の兄貴は大学生でこの後大学院行くんだぜ!」
って無邪気に自慢していたことを、葬式に来た弟の友だちに知らされます。
君は内心弟を恥じていますね?バカな弟と。でもバカは君の方です。
避けられない別れなら、せめて弟に言ってあげなさい。
「お前は俺にとって自慢の弟だ」と。
270 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 05:11:13 ID:U+6mtiNa0
49 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2008/05/29(木) 09:08:29 ID:???
wikiで調べたところ画太郎先生がやたらババアを描くのには泣けるエピソードが隠されている。
271 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 13:31:46 ID:GgslFWtp0
>>270
ほんとだ、これは泣けるわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AB%E2%98%86%E7%94%BB%E5%A4%AA%E9%83%8E
ヘタレプログラマーは,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わあ」女の子は言った。「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は,黙って自分の部屋に行った。
しばらくして,父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。たぶん,娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに,今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,娘の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・ほら。お前の10ドルだよ」
女の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」女の子は答えた。そして,10ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
「パパ。私,20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
>>172
久しぶりに見たが、今見ると結構来るものがあるな
この娘かわいすぎる
29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/09/09(日) 14:13:27
その時付き合っていた男に暴力を振るわれてた妻に(その時は友人同士)
俺「病院行くまで殴られてもまだ一緒にいたいのか!」
妻「・・・それは・・・あの人が私を愛してくれてたから・・・」
俺「俺と結婚しろ」
妻「は?」
俺「俺が暴力抜きでお前を幸せにしてやる。暴力がなくても幸せになれると、俺の一生かけて証明してやる」
妻「・・・・本気で言ってんの?」
俺「え、お、おう」
妻「や、うーん・・・・うーーーーーーーん・・・・」
俺「え、何?」
妻「私が自分の力であの男と別れられたらもう1度言ってください」
思考回路を変えねばと言ったのが、プロポーズだった・・・
暴力が怖いと泣いていた弱虫な妻は、今や立派な鬼嫁ですorz
役員「では自己紹介を手短に」
剛田「はい。ハーバード大学院経済学修士課程から参りました、剛田たけしです」
役員「では、アピールポイントを3分で」
剛田「はい。2点あります。一つはリーダーシップ、二つ目は体力です。
リーダーシップに関してですが、小学校の頃にジャイアンズという野球チームを
立ち上げ、何度ものメンバーチェンジ、選手交渉、トレードを経てNYヤンキース
に勝利するまで育て上げました。
体力に関してですが、先に申した野球を始め、サッカー、アメフト、柔道など
幅広いスポーツをこなしました。体力なら自信があります。
またMorgan Stanleyで事務のアルバイトを経験し、不眠不休でエクセルの表を
作っていました。」
役員「では学生時代に頑張ったことは?」
剛田「先ほど野球チームとアルバイトの話をしたので、アイビーリーグの学生をまとめて
大規模なビジネスコンテストを主催した経験について話します。
ハーバードの院に入った年から活動し始めたのですが、GE、P&G、AT&T、IBM、Merrill Lynch
などの企業の役員にアポを取ることから始め、スケジュール管理、各大学への訪問などを繰り返し最終的に
アメリカの5000人もの学生を集めることに成功しました。延べ一年半を費やしてようやく実現にいたりました」
役員「いやあ、君は優秀だね。なんだっけかな・・・君と出身小学校が同じ子が面接に来たんだが
奇妙奇天烈な学生でね。選考には進ませなかったんだが。」
剛田「その学生・・野比という名前では?」
役員「ん、まあ名前は言わないけど。“無能”な子だという印象を持ったよ」
剛田「・・・・謝れ」
役員「なんだって?」
剛田「謝れと言っているんだよ、俺の友人に」
役員「内定あげようと思ったのに」
剛田「こんな会社の内定なんていらない。 だから野比に謝れ」
370 名前:水先案名無い人 投稿日:2007/08/04(土) 12:42:25 ID:oXvKqjwa0
昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな
でも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて
そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・
ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ
でも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど
試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね
そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ
敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってた
んで、サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が
「すげえよ○○!大逆転だ!!」
皆それに続いて「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた
相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない
おまいら、かあちゃんの歳はいくつだ?俺のかあちゃんは65歳だ。
しかし、癌を患ってしまいもう1ヶ月ほどしか命がないらしい。
告知はしてないが、遅かれ早かれ死ぬことは自分で分かるのだろうね。
俺が見舞いに行くたび、「彼女できたか?」と3回くらい言ってくる。
「あんたのオヤジの息子なんだからしようがない、あきらめてくれ」
なんて言葉が喉元まで出かかってとまるが、俺は結局返す言葉が見つからない。
俺は30歳の神聖童貞。いままで苦手な女は避けて生きてきた。
コツコツ貯めてきた貯金は1000万ほどある。
しかし、かあちゃんの死が目前に迫っているというのに、
何もすることが出来ないこの俺の存在に一体何の価値があるというのか・・・
俺なんてどうせこの先、生きていても独りなのだから
俺の命と引き換えに1年でも2年でもかあちゃんの寿命が延びるのなら
迷わず命を差し出したい、泣きながら真剣にそんなこと考えたりしてな。
でも、よくよく考えてみれば、自分がこの先このままで独りで
生きていって、そして死ぬときは、今の自分のように涙を流して
本気で悲しんでくれる人などいないのだ。
「彼女できたか」
俺の将来を本気で心配しているからこその言葉なのだと思う。
でもなぁ、かあちゃん。ごめん、やっぱりもう手遅れだよ。
俺、気づくのが遅すぎたよ。今から頑張ったってあまりにも時間が短すぎる。
こんな気持ちでこれから笑顔で振る舞うのは辛すぎる。
そもそも、そんな下心を持ったまま女性とつきあえるわけがない。
もし今すぐ彼女が出来たとしても、死を目前に控えたかあちゃんに
逢わせるわけにはいかないだろ?
かあちゃん、他のことならなんでもするから、こればかりは本当許してくれ・・・
俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。
ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。
時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。
>>181
泣けるな
12年前に死んだおじぃの部屋から、
当時小学6年だった私と一緒に折った紙飛行機が見つかった。
「懐かしい」なんて手に取ったら
紙が茶けててボロボロ、破れた隙間から何か文字が見えた。
広げて見ると、おじぃが当時の私に書いたものだった。
「かなこや、おまえはかわいい
わ(わ→私)のたからじゃき だいじに だいじに
おおきゅうなるまっで じいちゃが だいじにしたるきな
じいちゃは かなこがだいすきじゃ
おまんが じいちゃのこと いらんゆうとも
さみしいけんど じいちゃは かなこがだいすきじゃきな
あんま きらわんとってな かなこが・・・(ここから先読めない)」
当時の私はおじぃが好きになれなくて平気でおじぃの前で「いらん」「死ね」って言ってた。
こんなに愛されていたなんて、こんなに大切にされていたなんて
全然知らなかった。 ごめんなおじぃ・・・。
長文ごめんなさい。
この前近くの神社まで散歩したんだ。
絵馬がたくさんあって、あまりいい趣味じゃないなと思いながらも
他人のいろんな願い事を見ていたんだ。
「大学に合格しますように」「○○と一緒にいられますように」…
そんな中で、一番小さく安い絵馬板に、たぶん小さい子供と思われる字で、
「 おかあさんの びょうきを なおしてください 」
事情はもちろんわからない。
どんな子なのかも、どんな病気かも知りようが無いし。
けど、この子のお願いが叶うように祈るよ。
本当に心から祈るよ(´Д⊂ヽ
ばあちゃんのぼけは日に日に進行してゆき、次第に家族の顔もわからなくなった。
お袋のことは変わらず母ちゃんと呼んだが、それすらも自分の母親と思い込んでいるらしかった。
漏れと親父は、ばあちゃんと顔を合わせるたびに違う名前で呼ばれた。
あるとき漏れがお茶を運んでいくと、ばあちゃんは漏れに
駐在さんご苦労様です、とお礼を言って話しはじめた。
「オラがちにも孫がいるんですけんど、病気したって見舞一つ来ねえですよ…
昔はばあちゃん、ばあちゃん、てよくなついてたのにねえ…」
そう言ってばあちゃんが枕の下から取り出した巾着袋には
お年玉袋の余りとハガキが一枚入っていて、よく見てみるとそれは
漏れが幼稚園の年少のとき敬老の日にばあちゃんに出したもので、
「ばあちゃんいつまでもげんきでね」なんてヘタクソな字で書いてあったものだから、
漏れはなんだか悔しくて悔しくて、部屋を出た後メチャクチャに泣いた。
DQNにつれまわされて財布と玩具代わりにされた。3日間でお年玉の貯金11万使わされた
ボーリング場までの往復タクシーを手配したり、並ぶアトラクションの場所取りしたり。
夜はボコられたりチンゲ燃やされたり、オナニーさせられたり、いいちこ一気させられたり。
その時は奴らの機嫌をとることに必死だったから特に何も思わなかった
最終日の夜、奴らがカラオケしてる間に前のガストで待機してた時、
母ちゃんから「楽しかった?帰ってきたら何が食べたい?」ってメールがきて一粒だけ涙がこぼれた
俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが
もう長い間認知症で自分の名前も分からないし
言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、
ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)
いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら
すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから
○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…
って言ってた
俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて
ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい
なんか立ち聞きしながら泣いてしまった
今日はデイサービスで居ないが
帰ってきたら優しくしようと思う
俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが
そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな
もう五年前ぐらいの話かな。
人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。
俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
(俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。
・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。
大学受験まっただ中の冬休み、シャーペンの芯が無くなった俺は、
春に嫁に行ったねーちゃんの部屋の机を漁っていた。
ねーちゃんのシャーペンの芯はBだった。
「そういえば、旦那も濃い顔してたな」とか思いながら、
シャーペンの芯と、メモ代わりに使えそうなレポート用紙を持ち出して、俺はまた勉強を始めた。
あれは夜中の2時頃だっただろうか、英語のリスニングの為に予備校で売りつけられたぼったくりCDをデッキにセットし、
ねーちゃんの部屋から持ち出したレポート用紙を開く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
裕太(俺)へ
何だか気恥ずかしくて、あんたには何も言えずにお嫁に行くので、
いつかあんたが見付ければいいかと思って書いておきます。
小さい頃、泣き虫でお姉ちゃんの後ばかりついて来てた裕太。
学校の図工の時間に作った粘土の写真立てを私にくれた事覚えてますか?ホントに嬉しくて大切にしようと思っていたのに、
彼氏にふられた時、中の写真と一緒に燃やしてしまってごめんなさい。
思春期に入って、あんまり家族と話もしなくなった裕太に、
大人になったんだなとうれしくもあり、寂しくもありました。
裕太は家では突っ張っているけれど、私は裕太が優しい子だと知っています。
もう少し大人になったら、お姉ちゃんの気持ちもわかるようになるかな。
私がお嫁に行っても裕太は私の大切な弟です。辛い事、悲しい事があったら何でも相談してね。
お金の事以外ならきっと力になれると思います。
それじゃ、体に気を付けて。父さん母さんをよろしくね。
追伸:お前、何勝手にひとの机漁ってるの。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ねーちゃん…。
837 名前:サポート終了[sage] 投稿日:03/05/21 01:13 ID:A3xGmowF
ばあちゃんがボランティアで点字の翻訳やってるんだが
ある日PCでできるみたいだから教えてほしいと言い出した
どうやら↓が使いたいらしい
http://homepage2.nifty.com/winb/
当然俺がフルサポート
ぼろいノートを一台渡して
面倒くせーと思いつつも週一ぐらいで2時間みっちり講習
マウスの持ち方からフロッピーへの保存の仕方まで説明し
時には「そんなのyahooで調べりゃいいじゃん」なんて言い方もした
・・・という生活が4ヶ月続いたが先週それが突然終わった
入院しろと医者に言われてたらしいが
「○○(俺の名前)がパソコンを教えてくれるから」
といって最後まで聞かなかったそうだ
ばあちゃんは命を削っても俺のサポートを受けたかったのか
孫との2時間が嬉しくてしょうがなかったのか
などと考えると正直涙が止まらない
私を大学に通わせてくれた母へ
あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね
でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね
今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ
ありがとう、お母さん
私の家族は父、母、私、弟の四人家族。
弟がまだ六歳の時の話。
弟と私は十二才離れてる。凄く可愛い弟。
だけど遊びさかりだったし家に居れば父と母の取っ組み合いに巻き込まれる。
だからほとんど家には帰らない日々だった。
弟は毎日恐く淋しかっただろう。
ある日家に帰ったら、お酒ばかり飲んで人の顔を見れば殴る父が座って一冊のノートを見ながら泣いていた。
私もノートを覗き込んだんだ。
そしたらね父が急に「ごめんな」って言うの。
よく見たら弟がまだ汚い字で物語を書いてた。
僕には楽しいパパ、優しいママ、いつも笑顔のお姉ちゃんがいる。
いつも皆でおいしいご飯を笑いながら食べる。
毎週日曜日は家族でお出かけをする。
僕は皆にいつもいい子されて幸せいっぱい。
毎日笑顔がいっぱい。
そんなような事が沢山書かれてた。
普通なら当たり前なのに私の家では出来ていなかった事が想像で沢山かかれてた。
紛れもなく弟の夢が描かれてた。
父と泣いて読んだ。
母がパートから帰ってきて母も読み泣いた。
その日の夜は揃って鍋をした。弟は初めての体験。
凄い笑ってた。
父も母も私も照れながら
笑った。
それから
少しづつ弟の物語は現実になった。
今では笑顔沢山の家族になりました。
弟の物語はあれ以来書かれなくなった。
433 :番組の途中ですが名無しです :2006/07/03(月) 11:46:55 ID:QUp/Rwtw0
「晩御飯、何がいい?」
あの日の夕方、いつものようにかあちゃんは
ニコニコしながら自転車に乗って出かけていった。
夕方6時過ぎだっただろうか。
テレビを見ながらうたた寝をしていた僕は、けたたましい電話のベルで
起こされたのだ。
警察からの電話だった。
かあちゃんは、居眠り運転のダンプに跳ねられ、そのまま逝ってしまった。
「晩御飯、何が良い?」
「今日はかあちゃんの誕生日だから、かあちゃんの好きな物買ってきなよ」
それが、かあちゃんとの最後の会話だった。
今でも、僕の晩御飯の材料を買う為に、走り続けているのだろうか。
696 名前: 水先案名無い人:2009/08/21(金) 19:50:59 ID:VbqWBIyG0
大戦中にドイツ軍の捕虜収容所に居たフランス兵たちのあるグループが、
長引く捕虜生活の苛立ちから来る仲間内の喧嘩や悲嘆を紛らわすために、
皆で脳内共同ガールフレンド(?)を作った話を思い出した。
・・・そのグループが収容されてた雑居房のバラック、その隅に置かれた一つの席は、
13歳の可愛らしい少女がいつも座っている指定席だった。(という、皆のイメージ)
彼らグループの中で、喧嘩や口論など紳士らしからぬ振る舞いに及んだ者は誰であろうと、
その席にいる少女に頭を下げ、皆に聞こえる声で非礼を詫びなければならない。
着替えの時は、見苦しい姿を彼女に見せぬように、その席の前に目隠しの布を吊り、
食事の時は、皆の分を分け合って彼女の為に一膳をこしらえ、
予め決められた彼女の「誕生日」やクリスマスには、各自がささやかな手作りの
プレゼントを用意し、歌でお祝いをする。
・・・最初は慰みのゲームのようなものだったのが、皆があまり熱心になると、
監視のドイツ軍までもが、彼らが本当に少女を一人かくまっているものと勘違いして、
彼らの雑居房を天井裏まで家捜しするという珍事まで起こった。
だが、厳しい捕虜生活の中で、他の捕虜たちが衰弱して病死したり発狂や
自殺したりする中、そのグループは全員が正気を保って生き延び、
戦後に揃って故国の土を踏んだという。
628 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/07/09(月) 22:36:04 ID:???
>>614
今は故人となられた、俺の中学校時代の先生の話から。
終戦直後、授業が再開されて女学校に通っていた先生、
帰り道、進駐軍の兵士に「ヘイ、ガール!」と呼び止められた。
逆らったら何をされるかわからないと思い、大人しく足を止めると、
気がついたら数名の兵士に囲まれていた。
”これは乱暴されるに違いない、もう逃げられない”と、覚悟を決めていたら、
「プリティガール、ナントカカントカ」と、かわるがわる頭をなでられた。
小柄な先生、年よりもずっと若く、というか、子供に思われたらしく、
チョコレートを差し出され、思わぬおやつをもらって嬉々として帰った。
「プリティって言われたのはうれしかったけど、花の乙女を子供扱いとは失礼しちゃうわよね(笑)
でもね、あのとき進駐軍の兵隊さんの言葉がよくわからなかったのがきっかけで、
今、こうして英語の先生になったのよ」
183 :おさかなくわえた名無しさん:2008/10/24(金) 02:41:11 ID:GsKnXeKk
りんごの木の枝に1匹のいも虫が住んでいました。
ある嵐の晩、枝が折れいもむしはりんごに
掴まったまま木の下の川に落ちてしまいました。
「ぼくは、いずれ食べ物が無くなるか、干からびて
死んでしまうんだろうな」
そう思うと、いもむしはとても悲しくなりました。
「でも、あと1日だけ、とりあえず今日だけ生きてみよう」
そう思ったいもむしは、足元のりんごを
かじり始めました。りんごの船が転覆しないように気をつけて
とうとうりんごも皮一枚を残すのみとなりました。
これ以上かじったら穴が開いて沈んでしまうでしょう。
「これで、ぼくのできることはもう何もないな」
そうつぶやいていもむしはじっと横になりました。
数日後、りんごの船から1匹の美しい蝶が飛び立ちました
俺の友達でゲームがすげー好きなやつがいたんだよ。
ドラクエとか、誰より一番に解いたり、俺たちにヒントくれたりさ。
中学2年のとき、そいつ事故にあって、右手なくなっちゃったんだ。
やっぱ片手じゃうまくゲーム出来ないみたいで、というか出来なくて、
「俺もうゲームとか卒業したから、子供のあそびじゃん」とか言うわけ。
でもさ、そいつの家に行くと、隠してるつもりなんだろうけど、
ベッドの下にゲーム雑誌とかあるんだよね、普通エロ本だろうにw
でまぁ、そんなこんなで年月はたって、WiIIがでてこのドラクエがでたわけよ、
これならやつでもできるんじゃね?と思って、
誕生日ってのもあって、本体とセットでくれてやったんだ。
そしたら「こんなもんいらねーよー、出来るわけねーだろ、嫌味かよw」 とかいって開けもしなかったんだ。
んで、帰ってしばらくしたら、そいつの親から電話きて、
あの子が泣きながらゲームしてるんです、
ほんとにうれしそうに・・・、
ありがとうね!って。
深夜何時だよって感じだったんだけどさw、もう俺まで号泣だよw
ごめん、チラ裏でした、寝れなくて、こんな時間だし誰にも言えないし、ここに書かせてもらいました、すまん。
684 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう sage 投稿日:2007/07/29(日) 00:53:15
今年のGW明けの頃のこと。
前の日から上司の機嫌が悪くて、八つ当たりばかりされてた。
その日も私の力ではどうしようもないことで怒られた挙句、基地外呼ばわりされたり
身体的欠陥を突っつかれたりして、本当にこの世が嫌になった。
元々鬱持ちなんで、薬は山ほどあった。
最近の薬は安全だから薬をがぶ飲みしたところで死ぬとは思わなかったけど、とにかく
どうなってもいいやって気持ちで手当たり次第に薬を引っ張り出して、容器からパキパキ
出し始めた。
ひたすらパキパキやってると、いつも薬のパッケージ(?アルミのやつ)で遊ぶのが好きな
うちのぬこさまが音を聞きつけてやってきた。
いつもは寝る前に私が薬を飲んだ後、薬のカラでネコサッカーやるんだけど、その時
私が大量の薬をベッドの上に並べてるのを見て、タタターっと走ってきて
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´)
てな感じで私の手や顔を平手打ちし、更に並べてあった薬もバラバラに散らばした上で
「みゃお~!!みやあお~~!!」
って鳴きはじめた。
私は一瞬ボーゼンとしてたけど、ぬこさまの異様な鳴き声で家族が何事かと様子を見に来た。
こうして家族にしこたま怒られ、行きつけの病院の先生にもこってりしぼられ、薬がぶ飲み
作戦は失敗に終わった。
でも、私の精神状態を上司の上司が知ることとなり、私に八つ当たりした上司は幹部会議で
晒し上げされたらしい。
それ以来、私が寝る頃になるとぬこさまはどこからかやってきて、私が正当な量だけの薬を
飲んでいるか監視するかのように、横にいてじーっと見てる。
こんな私と一緒にいてくれるぬこさま、本当にありがとう。・゚・(ノД`)・゚・。
8 名無しさん@全板トナメ参戦中 2008/06/15(日) 18:41:12 ID:yP/OdLTZ0
4年くらい前だけど、ケガしたスズメを拾って治療したらそのまま家にいついちゃって
何故かオレの机の上に小さい虫やら葉っぱ?をせっせっせと外から運んでは置き始めて
あまりにもそれが激しいかったので窓からスズメが出入り出来ないようにしたら
それも止まったがスズメの姿も見なくなってしまった。
それから2、3日たった日、オカンの「スズメが死んでるよ・・・」の声が庭から聞こえたので
行って見ると、庭にある物置と台のスキマで小さく丸くなって死んでる。
そのスズメの周りには干からびた虫の死骸と葉っぱがあって
スズメの姿を見たとたん涙が出そうになったオレはしかし、オカンの手前
はずかしさもあってぶっきらぼうに「後でオレ埋めるから」とだけ言って
部屋にすぐもどった。オカンは何も言わなかった。
オレは部屋に戻って鼻水垂らしながら泣いた。
僕はご主人様に拾われました。
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。
数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…
俺が小学生の頃、夜だけ、家に、寝に来るコロって呼んでた野良犬がいたよ。
家は団地だったので、俺と母ちゃんが動物好きだったけど我慢してたんだ。
共働きだし、家に閉じ込めておくのは可哀想だしね。
賢い犬でさ。朝は俺と一緒に学校まで行ってた。紐はつけない。
教室から試しに呼んでみたら(授業中)、見事に来たことあったからびっくりした事もあった。
その後は夕方まで、勝手に遊んでたみたい。ちゃんと帰ってくるからね、寝るために。
しかも、俺ん家は5階で、周りは似たような建物、入口ばっかなんだけどわかるみたいなんだよね。
家に誰もいなくてもドアの前で待ってた。(きっと隣の人とかは迷惑したろうな)
いろんな家で、世話になってたみたいで違う名前で呼ばれてるのを見たこともある。
でも夜には帰ってくるから、きっと家の事を気に入ってくれてたんだと思うな。
コロが、急に来なくなった。
とても心配して何日も俺は探し回ったんだけど見つからなかった。
母も俺も、きっと誰かちゃんと飼ってくれるいい人につれてかれたんだよと諦めた。
それから、10年以上も経っていて、俺ん家はめでたく一軒家に引っ越したのだが、
この間、母ちゃんが団地で仲のよかったおばちゃんとお茶したときに聞いた話。
そのおばちゃんはコロの行方を人づてにきいたらしい。
どうも、団地の近くの広い道路で車に轢かれて、逝ってしまったとの事。
コロは賢い犬で車に轢かれるような犬じゃなかった。
どうやらその道路の反対側、ちょっと遠くに、俺がいたらしいんだ。
コロは、俺を見つけて、飛び出したのかもしれない。
アイツは、いつも俺を見つけると喜んで飛んできて遠くからでも体当たりかましてくる奴だったんだ。
今でも、俺は、コロはきっと誰かに飼われ幸せに老後を暮らしてると信じてる。
我が家の猫は帰宅する父を玄関で出迎えるのが日課だった。
今日も夕方の定時になると玄関先にお座りしていた。
でもな・・・もう待ってても親父は帰ってこないんだよ。
スーツに毛が付くのもかまわずオマエを抱き上げてくれることはないんだよ。
会社帰りのお土産の焼き鳥ももう味わえないんだよ。
もう・・・やめろよ・・・
親父は定年退職でずっと家にいるだろうが
20 名前:十姉妹[] 投稿日:2009/10/26(月) 20:00:39.15 ID:2r1fRKqg0
でもあなたに飼われて幸せだった。
あなたの肩の上はとても居心地が良かった。
あなたの指を嘴で突けるのがどんなに嬉しかったか。
仕事に出かけちゃった時はちょっと寂しかったけど、
帰ってきたとき私の歌声聴いてくれるから、練習いっぱいして飽きなかったよ。
ご飯毎日取り替えてくれたり、手で食べさせてくれたり、
十姉妹としてあなたに可愛がられて生を全うできました。
できれば…寂しがらないでください。
私のこと覚えていてくれたらそれで十分です。十姉妹だけに。
また会いましょう。
またどこかで会えますよ。
その時は私はあなたのペットでないかもしれないけど、
自然中のどこかで楽しくしてるので、たまには公園に遊びに来て下さい。
幸せでした。ご主人様ありがとう。
1 名前:ヨメ[] 投稿日:2010/06/02(水) 20:47:16 O
初めて2chなるものを見たからどこに書き込んでいいのかわかりませんが…独り言って事でここへたどり着きました。
よく旦那がパソコンで2chを見てたので、この場をお借りします。
2月、子どもが産まれるのを待てずに他界してしまいましたが。
でも、年越しは厳しいって言われてたのに頑張ってくれたよね。
その時、お腹の子は8ヶ月。
ずっと逆子で性別がわからなくて、男の子・女の子の名前をそれぞれ考えてくれて。
4月、産まれたのは女の子だったよ。
破水したけど高位破水で、丸2日促進剤を使って、2850グラムで産まれてきたよ。
でも退院する時は一人だったよ。
心臓にね、穴があいてたんだって。
病院も変わって、先生たちが頑張ってくれたけど、3日しか生きられなかったよ。
でも、一生懸命手足を動かして生きようって頑張ってたよ。
ちゃんと戸籍にも載せてもらったよ。
旦那にそっくりな女の子だよ。
口元は私に似てるって。
そっちにいったから、よろしくね。
2ch、見てるでしょ?
562 :水先案名無い人:2008/02/15(金) 12:11:35 ID:8BXSKdtC0
平日の昼下がり。
長年の激務から開放されたのぶ代は近所の公園で一人、のんびりとしていた。
夕暮れにさしかかった頃、砂場で遊ぶ一人の少年をみつける。小学校低学年と見られる
その少年は、小さい体に似合わない大きな黒ぶちの眼鏡をかけ、一人黙々と砂山を作る。
「おばちゃんもお手伝いしていいかな?」
少年はパッと顔をあげ、か細い声で
「うん・・いいよ」
と答えた。少年の横に座り、砂山に砂をかけていくのぶ代と少年。
「一人で遊んでるの?お友達とは遊ばないのかな?」
砂山にまっすぐ視線を向けたまま、少年は答える。
「僕・・・今日は友達と喧嘩しちゃったんだ・・あいつすっごい凶暴な奴でさ、気にいらないとすぐ
僕の事殴るんだよ」
のぶ代は目を細めながら少年を見つめる。あぁ、君みたいな子を私はずっと知っているよ・・と。
「僕ちゃん、ドラえもんてアニメ知ってる?」
「知ってるよ。僕タケコプターが欲しいな。あれがあれば毎日遅刻なんかしないのに!」
「おばちゃんね、ドラえもんの物真似ができるんだよ。」
「本当に?やってみせてよ!」
少年は初めて小さな笑顔を見せてくれた。
「・・・・・ノビ太くん、ジャイアンなんかに負けるな!僕がついてるよ・・!」
ふと見ると、少年の顔がうっすら雲っている。「おばちゃん・・・」
「ドラえもんの声は、そんな変なガラガラ声じゃないよ。全然にてないじゃないか。うそつき!」
砂山をぐしゃりと潰し、走り去っていく少年。のぶ代は何もいえなかった。
あたりは暗くなり始めていた。
「・・・・・・・・・・僕、ドラえもん・・・・・・」
115 名前:34[] 投稿日:03/11/07 19:21 ID:VzEVzB7T
>>38
当事者にとっては、自衛隊がどう遅れたかなんてわからんからし、
警察も、自前の警察署がつぶれて、警察の人も総がかりで
中の埋まった署員を助けようとしてるねん。でも今まさに、
その掘ってる横に机を置いて、(自分も掘りたいだろう気持ちを抑えて)俺らの言う
誰がどこに埋まってるとかの調書も同時に取ってるわけよ。
本当に異様な光景で、誰も助けてくれへんという無力感が漂ったとき
どこまでも続く道のかなたから
自衛隊の車列がたくさん見えたとき、みんな拍手して
道に駆けつけたもの。
どれだけ嬉しかったか。
あの人らプロやから、もーすごい勢いで掘り起こしてくれるの。
中の人は助かってないことが多かったけど
俺ら、あそこの中で生き埋めになってるかもしれない思うだけで
体かきむしりたい思いやったから。
生きてるにしろ死んでるにしろ、埋まった人が出てくるということは嬉しかった。
大きな公園のあちこちに自衛隊が駐留してテントはって、近くに
そういった人がいてくれてるというだけで力ずよかった。
ほんまに、神戸の人にとって自衛隊はヒーローやねん
夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。
しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね~よ。と全員赤い鼻して、目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、親には叱られるは、
蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。絵日記の1ページになっていた。
今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。
今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、
あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。
549 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:03/11/20 18:53
俺が昔まだ神戸で雇われのバーテンダーだった頃の話。
その店は10階建てのビルの地下にあったんだ。
で、地下にはうちの店しかないんだけど、階段の途中にセンサーが付いてて
人が階段を通るとカウンターの中のフラッシュが光ってお客さんが来たのが
わかる仕組みになってたんだ。
でもたまに、フラッシュが光っても誰も入ってこない、外を見ても誰も居ないって
事があって、俺は寂しがりやの幽霊でも来たのかなって半分冗談みたいに
ウイスキーをワンショットカウンターの隅の席に置いて「ごゆっくり どうぞ~」と言ったんだ。
それからはそれが、おまじないというか、げんかつぎみたいになって
そうゆうことがあると、いつもそれをしてたんだ。そのうちお客さんも
「おっ今日も来てるねー」みたいな感じになって(そうゆう日に限って店は凄く忙しくなった)
姿は見えないけど、その頃は店の常連さんみたいに思ってたんだ。
で、ある冬の朝方またフラッシュが光ったんで、こんな遅くにお客さんかぁと思って
外を見ても誰も居ない。なんかそのまま朝の空気が心地よいので
階段の上まで昇って一服してたら、突然の大地震。そう阪神大震災です。
うちのビルは地下と一階部分がぺっちゃんこ。あのまま中に居たら確実に死んでました。
あとから考えるといつもただで飲ましてあげている、あの見えない常連さんが助けて
くれたのかなぁと思います。
今も違う場所で自分でお店をやってますが、その店のスイングドアが風も無いのに
ギギィーって揺れたりすると、今でもウイスキーをワンショットカウンターの隅に置いてます。
そして心の中で「いらっしゃい。あの時はありがとうございました。」と思うようにしています。
19 名前:癒されたい名無しさん[sage] 投稿日:2008/04/26(土) 12:26:04 ID:JHNFfHFa [1/2]
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
51:名無し 2007/08/14 17:23:10
3年前に父親が死にました。
自営業だった工場が倒産して借金だけが残って
それを返済するために他からの借金で埋めて……という悪循環。
私もサラ金から100万くらい借りていました。 自業自得とはいえ
社長だった父が新聞の勧誘員になって、 随分辛い思いもしたと思います。
でも当時は愚痴ばかり言う父が嫌で、
一人暮らしの私にちょくちょく小遣いをもらいにくる姿を見るのが辛くて
「貧乏ってこんなに人を落とすんだ」と思いました。
それよりなにより自分の方も金銭的に追いつめられて
ある日突然に、こっそりと親戚を頼って引っ越しました。
引っ越して2年後に、親戚経由で父が死んだと連絡が来ました。
棺の中の父は信じられないくらい老いて、小さくなっていました。やっぱりいい思い出ばかり思い出して、
自分のことばかり考えて父親を捨てた自分が最低に思えました。
こんな自分に泣く資格はないと思って我慢していたけど、葬式が終わって父親の携帯が不意に鳴って、
それが無差別に送られた「メル友になろう」なんてメールだったので途端にわけもわからず泣けてきました。
これを持っていたのは、なにもかもなくしてしまった寂しい60歳の親父だよ。
そしてもうその人はこの世にいないんだよ。 そう言ってやりたくなった。
そしてその寂しい親父を捨てた自分にももっと腹が立って、
涙が止まらなかった。
50:( ´∀`)ノ7777さん :2008/09/22(月) 00:02:03 ID:vH7Sf1A/O [sage]
ヽJ(`Д´)しノ そんな悪い子はウチの子やないっ!出て行きなさいっ!
(ノД`) アーンアーン、出て行ってやる~
ヽJ(`Д´)しノ 待ち!その服はオカーサンが買うてやったんや!置いてき!
(ノД`) アーンアーン(服脱いで出て行こうとする)
ヽJ(`Д´)しノ 待ち!そのパンツもオカーサンが買うてやったんや!置いてき!
(ノД`) アーンアーン(パンツも脱いで出て行こうとする)
・゚・J(ノД`)し・゚・。 待ち!アンタはオカーサンがこしらえたんや!置いてき!(ギュー)
・゚・(ノД`)・゚・。 カーチャン、アーンアーン(ギュー)
42 名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2006/07/27(木) 14:11:29.95 ID:mX8Qvm3s0
| |
| J( 'ー`)し.|
| ( ) .| ( 'A`)
| 幸 | | | 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |
| J( 'ー`)し .|
| o一o | ( 'A`)
| 辛 〈 〈 | 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |
| | 'ー,`)し
| |o一o ( 'A`)
| 辛 | U 辛 ノ( ヘヘ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |
| ガンバルノヨ | ヽ('∀`)ノ
| J( 'ー`) し| ( )
| 辛 ノ( ヘヘ | 幸 | |
103 名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2006/07/27(木) 14:33:21.73 ID:OiLzqILr0
私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ~ん!行かないで~僕を置いていかないで~
おかあさんなんでしんじゃったんだよ~またおみそ汁作って
よ~いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(笑
151 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/06/01(金) 16:31:55.20 ID:1YM+6B8I0
高3の冬に親がランナウェイした。
なんとか生活保護を受けて食ってはいけた。
受験勉強なんて言ってる場合じゃなく、就職先を探さなければならなかった。
就職先を探そうにも時期が遅すぎてなかなか見つからなかった。
そんな折、担任が奔走してくれて見つかった。
春になり仕事に慣れてきた頃、担任の訃報が訪れた。
急性白血病・・・秋口から体調を崩し卒業式の頃はかなり悪かったらしいと後日知った。
担任は、野球部の監督でもあった、人望も厚く厳しさの中にも温かみがある人柄。
最近、母校が甲子園に出場した。
テレビの中継を見た、ベンチには担任の遺影が鎮座していた。
アナウンサーが担任について何か言っていた。
俺は泣きながらテレビの中の先生にお礼を言った。
「ありがとう、先生」
164 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/06/01(金) 16:56:55.09 ID:TOvTXRiZ0
半年ちょい前の俺へ
そっちは午前4時だな。
部活で疲れてぐっすりだと思うが、頑張って起きろ
今から言う事をやってくれ。頼む、お前の為だから。しくじるなよ。
音をたてないようにしろ、気づかれるから。
まず、1階に降りて台所から包丁を持ってこい。
そしてお前のバカ兄貴の部屋の前に行き
ドアを開けて部屋に駆け込み一撃でぶった切れ。
バカ兄貴が首を吊ろうとしてる、その柔道の帯で作った輪っかをな。
そうしないとバカ兄貴が首吊って死んじまうぞ。
発見した時の光景と母さんの悲鳴はたぶん一生お前の頭から離れなくなる。
前日まで普通に相談に乗ってもらってた兄貴が次の日には死んでんだぞ
いなくなるんだ
あと兄貴に言ってやれ。
「さんざんアンタをバカにしてきたが、学校じゃ自慢しまくるくらい好きなんだよ。」って
頼む。頼むよ。
頼むからこの文を半年前の俺に送らせてくれよ。
頼むよ。お願いします
「おやすみ。また明日な。」
って言ってたじゃねえか
バカ兄貴。
今日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、
俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。
俺、立派な社会人になるわ。
自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。
悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
でも、見守るだけしかできないのはつらい。苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。
今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。
今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
でも、つらくても生き抜いてください。
お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
誇大表現でも何でもありません。アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です
213 :非通知さん :2006/12/09(土) 13:34:43 ID:5ti2yP4O0
結婚が決まり、実家から引越しのその日に父から来たメールです。
新居で一人、荷物を片付けていると携帯が鳴りました。
『結婚おめでとう。
今日からが○○(私の名前)の人生のスタートになるんだろうと思います。
○○には、沢山苦労をかけてしまったけれど彼と幸せになるんだよ。
辛かったらいつでも帰っておいで。
お父さんとお母さんは、いつでも待っています。』
家具一つない新居で、一人ワンワン泣きました・・・
お父さん、私は幸せにやってます。
年末には帰るからね。
570 :いい気分さん :2009/09/08(火) 04:39:57
孤独な1人夜勤の俺。
いつも夜中3時くらいに、猫エサ缶とコーヒーを買っていくおっちゃんがいる。
おっちゃんが、
「うちの猫はこれしか食べないんだよ。」
なんて言ってくれたりして、猫好きな俺はいつも癒されてた。
初めて会話してから半年くらいたったある日、レジに来たおっちゃんの買い物カゴの中に猫エサ缶が無かった。
俺はどうしたのかと思って何も言えず、コーヒーをスキャンした。
するとおっちゃんが笑顔でポケットから写真を取り出して言った。
「いつもありがと。これうちの。」
年老いた感じの痩せた猫だった。
死んでしまったらしい。
「もうエサは買わなくて済むわな」
なんて笑いながら言っていた。
俺は泣いたよ。
67 :おさかなくわえた名無しさん :04/04/05 01:16 ID:soBMhKF3
電車に乗っていて後ろに立っている男の子が「ママ、ママ…」と言いました
友達が「あんたに言ってるよ」と言うので20代の私は軽くむかついたのですが
どうやら父親と一緒らしい
小さい小さい声で父親がその子に話し掛けました
「○くん、ママじゃないよ。ママはいないんだよ」
「だってママ…」
「ちがうよ。ママは△君と先にお空に行ったんだよ」
「だって…ママ…」
死んでしまったらしいその子の母親。男の子は2~3歳ぐらいでした
何とも言えない車内の重い空気…
私は電車を降りるまで振り向くことができませんでした
163 :名無しの心子知らず :2006/12/03(日) 14:16:17 ID:iGlb0mRz
社会人になって初めて迎えた母さんの誕生日。
「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかった。
でも照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かった。
だから「選ぶのめんどいから」って嘘ついてデパートに連れて行って、
「何でもいいから適当に買えよ」とぶっきらぼうに言うと、
「高いエプロンだけどいい?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円。
「こんな安物かよ」とひったくって後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走った。
服でもバックでも、ほかに何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだぞ!って涙が出たけど、
トイレで急いで顔洗って、そ知らぬ顔で袋を渡した。
そしたら、母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになった。
いまでも帰るたびにそのエプロンつけて飯作ってくれて、ありがとう。ほんと美味いよ。世界一だ。
いつも素直になれなくてごめん。
マザコンでもいいよ、母さん大好きだ。
24 :名無しの心子知らず :2006/09/25(月) 06:48:16 ID:IKOk0p3Z
カァチャン、元気にしていますか?
居なくなってから九年がたちました。
九年も経ったのに、まだ寂しくて、たまに涙する事があります。
一児の母になったのに、まだ泣き虫の私を叱りに来て下さい。
カァチャンが居なくなった時は、私は小さくて、あまりカァチャンの記憶がないけれど、こんな事やあんな事をしてくれたんだろうなと思いながら、日々娘に接して居ます。
カァチャン、泣き虫なこんな私を産んでくれてありがとう。
写真のカァチャンは、いつも笑顔で嬉しいけど、たまには、怒った顔を見せて欲しいよ。
カァチャンに逢いたいけど、まだ私は逢いに行ってはいけない所だから、我慢するよ。
だからね、カァチャン夢くらい、出て来てよ。待ってるよ。
有名だけど
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=7415
じゃあこれも見ただろうな
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1279589750/
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1280591656/
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1286211262/
おい…
1スレ目でもう涙目なんだが…(;ω; )
画太郎のばばぁのUP思い出して
笑いながら泣いたwwww
>>169
この『戦争における「人殺し」の心理学』は歴史について学ぶ人間は必読だと思うわ・・・
この話のオチ、救われないよな。こういう温かいエピソードや人間は軽々しく人を殺すことが出来ないっていう美徳が発覚したことで、かえってアメリカ軍じゃ兵士としてロボット化させる過程が強化されたっていう・・・
おい画面が見えねえぞ糞が
死んで感動(笑)
残った子供は2ちゃんねる(笑)
おい、テッシュ一箱使っちまったじゃねぇか。
風邪引いてるから、目から鼻からいろんな汁出まくりだろ・・・。
だめ、こういうスレだめ
もうね、涙腺緩すぎ(´;ω;`)
これはアカン・・・
>>1でもう涙腺崩壊
自分にしか出来ない親孝行を常に考えている。
自分なりの結論だが、
両親共に旅行とは無縁でパスポートすら持っていないんだが、
仕事の関係で海外とかに良く行くので、何時も段ボール一杯にお土産を買って実家に送っている。
あの国にはこんな美味しい物があったり、あそこ風景は綺麗だったとかの感想もついでに教えている程度だが、、
もっと稼いで、両親には海外旅行にでも連れて行ってあげたいな。
ジャイアンすげぇいい奴w
のぶ代ぇ・・・・
久しぶりにこんなに涙ながした
呼んでる最中に彼女から電話あって
泣いてる?っていわれて
泣けるコピペ読んでた
って言ったら「キモっ」って言われて悲しくなった
・・・・
久しぶりに親に電話するかw
ばあさんがこの前死んだ。
ばあさんは、昔誰かが盗んだ金を、内孫ではなく真っ先に
俺のせいにしてきた。いくら違うといっても。
葬式のときは涙も出なかったな。
死んでで当然だわ。悲しいことだけどな。
兵隊さんの手紙はやばい・・
>>2のコピペのせいで弁護士目指すことに決めたんだよなぁ
もう何十回読んだかわかんないけど、涙が止まらん
今日はついに「片桐康晴」の名前を見ただけで鼻水と涙が噴出したわ
※16
検索してみたら懲役2年で執行猶予判決が出てたんだな。
良くないけど、良かった…
長いし、目から汗出そうで読まないww
長い、産業
おいやめろ やめてくれ
だから見たくないんだよなこういうの コピペで泣くとかミーハーかよ畜生
泣きすぎ鼻かみすぎで肌荒れるわ・・・。
介護殺人の記事はいつ見ても駄目だ
明日から職探し頑張るわ
こういうのやめて・・・
泣きすぎて頭痛い
かーちゃんを温泉にでも連れてってやる事にした
ヤバい・・・
俺のブログにURLここのURLはらせてもらいます
勝手ながらすいません
>>67
良いタイミングで入ってくれた。
おかげで続きを読み続けることができた。
非常に感謝する。
涙出すぎてやばいわ
生き物は凄いんだからな!
その中の俺は特に凄いんだからな!
16歳で面と向かって親に
生まれてきて良かった
って伝えたからな!
ガチ泣きした
今日から親孝行頑張ろうと思う
ここのURLをブログにはらせていただきます。
勝手にすいません
プレゼントしたらこんなボロと言われ、何もプレゼントしないとギャーギャー言われる母を持つ俺は羨ましい
これで3日は優しくなれるわ
感傷的になってる時に見るもんじゃないな
今までなんとも思わなかった文章がグッとくる
□□□ □□□
□□□□□ □□□□□
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□□□□□□□□□□
□□□□□□□□
□□□□□□
□□□□
□□
これを見た人は幸せですね。
これをたった2箇所に貼り付けると→【 】
に運命の人の名前が出てくるんだって!
半信半疑でやってみたら本当に出てきました。
チェンメですが、これは本当に分かっちゃうんです。
お試しあれ!
4月に親父が亡くなった。あれほどうっとうしい、うざいと思ってた親父だったけど最期は弱々しくてさ。なんだよ、ちょっと前まであんなに元気だったじゃん。つまらない芸人にはスゲーダメ出ししてたじゃん。親父をあちこち連れて行くために分不相応な車も買ったんだぜ。一回しか乗らないとか、なんだよ。もっと連れ回してやりたかったのによ。親父が応援しないからイチローも調子悪いじゃんか。せめてたまには夢に出てきてな。ありがとう親父。
今夏やで。脱水症状で干からびてまうわ。泣かせよって…
>>168 ガチで泣いた
泣きすぎて顔が…
親孝行しなきゃ…
涙と鼻水がヤバイ
みんな幸せに長生きして欲しい。俺も家族孝行しなきゃ
泣きすぎてしんどい
みんなあけましておめでとう
※震災関連のは反則と思いつつ...
この年末、某デパートのニュース写真展に"不用意"に入ったら、入り口近くにイキナリこの写真だ。「覚えたばかりの文字で母親へ手紙...」もう解説見るなり涙腺崩壊。そっから先進めず、直ぐに踵を返して天井向いたままトイレ直行だったな。
ttp://www.asahi.com/eco/gallery/110904_unicef/u3-15_yomiuri2.html
>>大津波に遭い、奇跡的に助かった愛海ちゃん(4才)。
>>両親と妹が行方不明になり、一人ぼっちになった。
>>「ままへ手紙を書く」と言い出した。1文字1文字、1時間近く書いた。
>>「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」
>>書き疲れたのか、すやすやと寝入った。
>>=3月22日、岩手県宮古市
>>撮影:立石紀和(読売新聞)
俺も母ちゃん好きだ。
世話好きな母ちゃんに、日頃の感謝を込めて珍しく母の日に観葉植物?をプレゼントしたら、喜びすぎて張り切って水やり過ぎて、1週間で根を腐らせてしまい、凄く申し訳なさそうにしてる
そんな母ちゃんが大好きだ。
このスレ見て泣いてる時にカーチャンきて焦ったじゃねぇか
俺が小3の頃にトーチャン浮気しやがって今カーチャンしかいねぇの
んで俺泣いてるしめっちゃ心配してきてくれてんの。
あと高校の課題やったか とか
自分がシンドイ思いして仕事して帰ってきたあとに。
俺の高校の制服も教科書も全部買ってくれたんだよお金全然ないのに
いつも仕事毎日やってくれてほんとお金ギリギリ
ほんとそういうの考えたら涙止まらなくなってきて
カーチャンいる前で大泣きしたわ
さっき言っとけばよかったなぁ…
いつもありがとうって…
もう寿命短いだろうし
これから楽させてやりたい。
なんか日本語おかしいね俺。
>>151きたわー・・・。
俺も色々頑張るわ
良いまとめ ありがとう
スレタイ見てどうせ泣けないだろwとか思ってたら1スレ目で号泣。
あなどれん
オレ最下層の統合失調症二級で 結婚しないかもしれないので、俺オムライスと ごはん、俺もオムライスとごはんってアタマわりい友情の話しが好きなのだが?
泣けるコピペで母親ネタが多いけど、俺は母親が新興宗教やってる気違いだったからなんも感動出来ない。
みんな良い母親持ったんだなとしか思えない。ハッキリ言って羨ましい。自分の母親がただただ恥でしかないのはキツいわ。
え、全然泣けないんすっけど・・・・
>>51,52
こういうレスみるとホント自分は恵まれてるんだなあ
愛されてるんだなあって思う
これ系のスレ増やせよ
涙でスレ見えなくてこまる、ガチ泣きで恥ずかしいが
絶対このスレみて親孝行しない奴はいないと思う
※52
泣けなかっただけで「あ、コイツ恵まれてない人生送ってんだな」ってどうして断定できるんだ?
明日から、頑張る
人の役に立てる人を目指す
とりあえず、親孝行する
てか本当に泣けるわ
明日目が腫れませんよーに(笑)
ネットに悪口書かれた位で学校行かなくなってごめんね
高校も行けないかもしれない低脳でごめんね
そんな私に優しくしてくれるカーチャンが大好きです
泣いた泣けた。
星形人参の話は、俺んちと被るんだよな…だから何度読んでも泣けて仕方ない