親父が亡くなってもうすぐ半年
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/06(水) 22:22:09.83ID:ghbNoPck0
ちょうど半年くらい前に親父が亡くなったんだ
持病とか何も持ってないのに、いきなりポックリと。
思い出しながら書くからペース遅めだぞ。
チラ裏だが聞いてくれ
家でvipやってたらいきなり妹からメールが来たんだ。
確かこんな文面だった気がする。
「お父さんがたおれちゃった
はやくびょういんきて」
とか
そん時は
「まぁ、あんな親父だからそう易々と死ぬことはねーだろ」
とか思ってて気にせずvipしてたんだ。
そん時は勘違いがどうとかいうスレ見てた気がする。
これまだ鮮明・・・とはいえないが覚えてる。
んで、そのあと1時間ちょっとしてまた妹からメールが来たんだ。
「おとうさん意識なくなった
どうしようどうしよう
しんじゃうよ。
はやくきて」
ちょwwwwwww
どこかもわかんねーのに行ける訳なくねwwwwwww
って思ってまたvipやってた。
そん時はABが読売一面とかで盛り上がってた覚えがある。
色々困惑してたらおかんから電凸
おかん「アンタ今何やってんの?」
俺「いや、寝てた」
とっさに出たのが嘘だった。本当はめちゃめちゃ混乱してた。
おかん「今妹と病院にいるから、今すぐ来なさい。○○病院だから」
俺「おk」
そう言って俺は着替えて、犬の散歩に行って、リビングに行ったんだ。
そしたら置手紙があって
「お父さん倒れた。○○病院に来て」
って書かれてた。
場所書いてあるやんか。
とまぁ冷静さを取り戻しつつ家を出た。
そしたら30分後くらいに、また妹からメール
「お父さんしんじゃった
死んじゃったよ
どうしよう ほんとに早く」
って来て、内心メッチャ焦ってた。
イヤイヤ、あの親父が死ぬなんてあるわけ泣くね?
前日までピンピンしてたあの親父がだぜ?おかしいおかしい。
親父は少林寺拳法やってて、道院持ってたんだ。
中国の少林寺とは違うぞ。
やってる人はわかると思うけど、間違えられると結構悔しいんだ。
道院とはいっても、去年の9月くらいに建てたばっかの新しい所で、門下生も1桁しかいなかったけどな。
それで地域のスポーツ振興会みたいなイベントで、親父はデモンストレーションやったんだ。
ずっと演武組んできた人と、そりゃもう激しい感じで終わった後にはアオタンが出来るくらい。
「イヤァァァ、痛そー。」
とか話してて、親父は
「こんな傷で死にゃしねぇよ!」
って笑って言ってた。
なのに、その次の日に死ぬとかねーぜ親父
最寄り駅はチャリで20分くらいのところにあるんだが、ダッシュで行って10分で行った。
冬も終わりかけの中途半端な時期だったのと、焦りで汗が凄かったと思う。
周りの人結構引いてた。
病院までは電車で30分だから、それまでちょっと色々考えようと思った。
で、次で降りるというときにおかんから電話
おかん「もうすぐ帰るけど、今どこ?」
俺「次で降りる」
おかん「あ、そう。わかった。駅からはタクシー使いなさいね。お金はあげるから」
俺「把握」
てなことを話してたら到着。
タクシー使って病院まで言った。
単純にめんどくさかった
「大動脈破裂」だそうだ。詳しくは後で書く。
病院までいったのはいいが、財布の中はカラだった。
急いでおかんに電話
俺「金がない!!!!!」
おかん「病院で払ったげるから気にするな。早く来い。」
お金の面は大丈夫になった。
到着。
おかんが入り口で待っててくれて、諭吉渡してくれた。
お釣りはもらっといた。
ラッキーとか思ったけどおかんの眼が潤んでた。
おかん「お父さんどういう状態か知ってるよね?」
俺「おう」
おかん「よし、なら行こう」
って言って、おかんに連れられて病院に入った。
病院に入ると、「関係者以外立ち入り禁止」の立て看板の方に行くから、ちょっとビビった。
それでも黙ってついて行った。
おかんが「ここにお父さんがいるから」と指をさしたのは霊安室だった。
ドラマとかではよく聞くけど、実際に入るのは初めてだった。
入るとしても、もっと遠い未来のことだと思ってた。
ドアを開けると、父方の祖母、母方の祖母、おかんの兄貴がいた。
で、ストレッチャーの上には親父が寝てた。
死んだとか全然実感できなかったんだ、その時は。
ストレッチャーの横側には豪華な仏花が供えられてて、真っ白な布が布団みたくかかってた。
近くにはソファとテーブルがあって、結構な量のペットボトルと食べ物があって
長い時間ここにいたって嫌でもわかった。
その時、親父が死んだことよりも待たせて申し訳ないって気持ちが強かった。
まぁ、実際亡がら見てみても案外実感できないもんよ。
母方の祖母が
「まだ暖かいんだよ。触ってあげて」
って言ったけど、俺には触れなかった。
触ったらなんかいけない気がしたんだ。いや、本当に。
そしたらおかんの兄貴に呼ばれてちょっと部屋を出た。
兄貴「本当は即死だったんだ。病院に運ばれたときにはもう死んでたんだってよ」
って言われて、俺の頭はますます混乱した。俺がvipしてた頃には既に死んでたんかい。
部屋に戻ると、みんな親父の顔見てた。
けど、俺はあまり見なかった。だってそのまんまの寝顔だし。今更・・・って感じだった。
今思うと、もっと見とけば良かった後悔してる。
当時でいいか?
俺
高校卒業したて、大学入学間近。
予餞会休んだせいで皆勤賞逃す。
おかん
たぶん44歳
産廃の会社の事務やってる。
親父曰く「アイドルみたいだった」
妹
高校1年
めっちゃ頭いい。
中堅高校だった俺とは比べ物にならない。
そしたら、その日はもう帰ろうって事になった。
親父は病院に残したまま、俺おかん妹の3人は帰る事になった。
こんな精神状態で運転させたら危ないってんで兄貴が運転して、実家まで送ってくれた。
本当に感謝してる。
家に帰って、みんな疲れたから簡単なご飯食べて寝ようって事になった。
俺は、3人の中で比較的落ち着いてられたから俺が作った。
その時は麻婆豆腐作った。いや、よく覚えてるもんだ。
んで、その日は寝た。
次の日
朝一番に起こされて、即刻病院へ。
親父は昨日と同じままの状態だった。
変わったのは体温くらいらしい。(俺は触ってないからわからない)
俺たちが来て1時間後くらいに兄貴登場。
おはぎ持ってきてくれて、おいしくいただいた。
それからまた1時間後くらいに、親父を家まで送るってんでワゴンが来た。
ストレッチャーごと移動させて、救急車入るみたくワゴン車へ。
そのワゴンには親族が一人乗れるんだが、そこには俺が乗ることになった。
おかんは運転、兄貴も運転、妹は家。
俺はまだ仮免だったから運転は出来なかったんで、俺になった。
今年の2月にじいちゃんを亡くした俺には>>1の気持ちがよく分かる
ちなみに二次試験前だった
案外人の死って実感湧かないもんだよな
車に入ると、すぐに出発だった。
そこには、業者の方2名と、俺親父。
車内は誰一人話さないで無言だった。
そこで不意に思ったことを聞いてみた。
俺「こういう所で泣く人ってどれくらいいますかね?」
業「そうですねー、女性は大概泣いてますけど男性も泣いてるかたいらっしゃいますよ」
俺「そうですかー・・・」
そこで俺はもう一つ気になったことを聞いてみた。
俺「この車って、運転するのに二種免許いりますか?」
業「いやー、これは大丈夫です。一種で大丈夫です。」
俺「そうですかー・・・」
その時、俺は結構ショックだった。
すまん、おかんにパソコン取られてこれからXPERIAで打つからペース更に遅くなる。
ちょっとご飯炊いてくる
精米中に書くぞ
んで、家に着くとどこに親父置くかって話に。
この時点でちょっと嫌だったんだけどね。
話し合いの結果、やっぱりリビングにしようってんで急いで片付けた。
布団を敷いて、その上に親父を寝かせたんだ。
その時ちょっと親父に触っちまったんだけど、すげー冷たかったんだ。
ありがとう
しかしめっちゃ長いぞw
ただいま
じゃ投下してく
親父を寝かせる所作ってると、親族大集合した。
うちって、おかんの兄弟が上に二人いるから結構人数多いんだ。
いつもは4人でいたリビングに倍以上の11人なんて入るから狭いのなんの。
そんなこんなで親父を寝かせた。
で、実家には犬がいるんだ。豆柴の雌なんだけど。
そいつは冷たいくせに、親父にだけはデレてたんだ。
親父が仕事から帰って来ると、すぐに飛び付いていって腹も見せてた。
わかるやつはわかると思うけど、犬って笑うんだよな。
眼を細めて、本当に笑うんだw
なんだけど、布団に寝かせた親父には見向きもしなかったんだ。
何でだろうな、本能でわかるんかな。すげぇ辛かった。
俺も去年ばあちゃん死んだんだけど、めっちゃ好きだったから辛かったんだよなぁ。
みんなおかんの身を心配したり、身の回りの事は全てやってくれた。
俺の部屋の掃除もw
そしたら、おかんの姉さんはしばらく泊まるって言うんだ。
そりゃそうだよな、夫を亡くして後追いとかされたら困るし。
外を見てみると、もう夕方だった。
家は西日が強くて、部屋が妙に神秘的だったの覚えてる。
まだ経験してないから「自然の摂理だから仕方ない」って思ってるけど
実際に経験すると、こんな考えじゃなくなるんだろうな
いや、案外割りきれるもんだぞ。
女性陣はそうもいかなかったみたいだけど
俺はカーチャン死んだけど仕方ないっていまだに思う
親孝行しとけYO!
家族が死ぬと世界が変わるぞ
いつもの日常なんだけど
別の世界にきたみたいな感じ
>>44
分かる!俺もそうだった!
とにかく実感がないよな
帰ってくると家にいるもんだとついつい思ってしまう
そしたら夜ご飯の時間になった。
その日は姉さんが作ってくれたグラタンだった。
俺と妹は喰えたけど、母さんは一口手をつけただけだった。
姉「食べないと体持たないよ...」
おかん「いや、大丈夫。それより子供達に...」
俺「俺らはいいから、おかん喰え」
おかん「だから大丈夫だかr...」
俺「いいから喰え!!!」
おかん「ごめん...」
こんな怒鳴ったの久しぶりだわってくらいでかかったと思う。
ご近所さん申し訳ない。
みんな疲れてるから、寝ることになった。
ベッドに入ったけど、寝れる訳もない。
親父との思い出フラッシュバック。
ラーメンが好きで、スープは全部飲んでた。
マイルドセブンが好きで、たまにマルボロ吸ってた。
BMWに乗ってたけど、車内が煙草臭くて気持ち悪くなるからあまり乗りたくなかった。
4人で最後に食べた飯は、鍋だった。
俺の親父も8月に死んだよ、肺癌で
美容師だったんだけど、最後のほう薬で朦朧として、『店開けなきゃな』とか立てもしないのに言ってたのには胸に来るものがあった。今だに夢に出る
死ぬ間際に、意識も無いはずの親父の目からボロボロ涙が流れてるのを見てる時に、『ホントに死ぬんだな』て思った
けど、まだ信じられない
現実味が湧かないんだよな
自分語りスマソ
最後まで付き合うから、頑張ってくれ
色々思い出してると、朝日が眩しい。
俺の部屋は東窓なんだ。
下に降りるとみんな起きてる。
なーんだ、みんな寝れなかったのか。
朝御飯は簡単にトースト。
おかんは凄い勢いで食べてた。怖いくらい。
昼前に、もう一回親族一同集合。
地元でやってる葬儀屋が来て、葬式までの手取りを教えてた。
聞いてたのはおかんと俺。それと兄貴。
ここでちょっと厄介な事になったんだ、
死因は前にも書いた通り、「大動脈破裂」
それはそれでいいんだ。
が
亡くなった場所が問題だった。
病院、又は自宅で亡くなればすんなりといったんだが、親父はそうじゃなかった。
親父は会社の駐車場で亡くなってたんだ。
社用車に乗って、ベルトを締めて、エンジンをかけた。
その直後に亡くなったらしい。
会社の人は、エンジンかけたまま動かないのはおかしいっていうんで見てみたら
亡くなってたんだ。
これも前に書いたが、病院に運び込まれた時には既に死んでた。
それは聞いてた。
即死とは聞いてない。
車の中で既に死んでたってことじゃんか。
苦しむ間もなくって言ってた。
相当痛かったんだろうな。
今すぐ手術してもらえ
親父に瘤は無かったんだが、脳内なら確実にヤバイ
最悪脳死だぞ
>>57
脳動脈瘤のサイズによっては、
破裂する危険性より手術で失敗する危険性の方が高いから、
様子を見た方がいい場合もある。
亡くなったのが会社だから、事件性が無いかどうか調べるらしいんだ。
それで、葬式の場所取りに必要な「死亡診断書」が病院から貰えない。
さて困った。
こればっかりはどうしようもない。
結局、場所が取れたのは4日後だった。
読んでる
2月にばーちゃん亡くしたけど、まだ生きてるような錯覚にとらわれる
付き合えるとこまで付き合う
その間も色々あったけど、抜粋で。
翌日
家族の誰かが毒を盛ってないか事情聴取。
車から消費期限の過ぎた半額パンが見つかった。
翌々日
墓をどこに入れるか。
うちの事情って少し複雑で、まぁ墓が3つあるんだ。
それで最終的に俺の祖父、つまり親父の親父がいる墓に決まった。
3日後
場所がどんどん埋まってく。
病院から連絡なし。
事件性がゼロになるまで、遺体を傷つけてはダメってんで
ドライアイスとかも置けなかったんだ。
さすがに俺もキレかけた
4日後
あまりにも連絡が無いから、ちょっとコネを使うことに。
親父の知り合いに警察の元お偉いさんがいたらしく、その人に助けを求めることに。
それから30分後、病院から連絡。
診断書できました。
コネsugeeeeeeeeeって思った。
早速ドライアイス。
通夜は2日後、告別式は3日後になった。
先の長くない親父がいるおれにはなんとも言えんスレだ
一気に読んだ
なんか泣けてきた。親が死んだらなんもできねえ
その次の日は線香ラッシュ
次から次に人が来るわ来るわ。
その時おかんは普通に話すことも出来て、よかったよかったと安堵してた。
でも、次の日からそんなことは無くなった
通夜をする式場まで運ぶってんで、親父を霊柩車に乗せる作業に。
この時既に礼服。
この服にもちょっとあってだな。また別のお話。
霊柩車に乗せる前に、色々遺体につけるものがあるんだ。
白い布なんだが、まぁ簡単な作りのやつ。
それを着ける時、どうしても親父に触れてしまう。
めっちゃ固くて、めっちゃ冷たかった。
比喩表現無しで、氷だった。
そういえば風呂入って無かったわ
ごめん、ちょっと行ってくる
なんか泣けてきたから寝るわノシ
さて投下再開
一気に最後まで行くぜ
デカいぬいぐるみを思い浮かべてくれ
あれって、床に転がすと全体が揺れるだろ?
あれと同じ事が親父でなったんだ。
ゴロンって。
見たくなかったね。完全に「物」になってた
親父を霊柩車に乗せて、近くの斎場へ。
俺が行く頃にはすげぇ沢山の人がいて、正直ビビった。
改めて親父の凄さを思い知ったわ。
そして、棺ごと定位置に
生花も数えきれないくらい来てて、総裁とか連盟会長とかからまで来てた。
親父何もんなんだよ...
その日俺達家族3人は斎場に泊まることになった。
3人は凄く喜んだ。
少しでも親父の傍にいてあげたかった。
そして通夜が始まった。
うちは真言宗のぶざん派(漢字わからん)らしいんだが
かといって何かが違うって訳でもない。
ただ単に坊さんがお経読んで焼香済ませるだけだ。
親族の俺達がまず焼香。
その後一般。
だが、それが凄かった。
坊さんがお経読み終わってもまだ続くの。
あまりにも長いから、1,2回落ちた。
すまん、親父
そして何事もなく通夜終了
みんな帰宅。俺達残る。
そこでは、やっぱり親父の話なんだ。当然っちゃ当然だけど
この後どうしようか。大学行けるのか?家売るの?
そんな事から、生前の話まで。
なんかほのぼのしてた。
親父がまだ「残ってる」から。
次の日に焼くなんて頭にも無かったよ
その日の夜ご飯はコンビニ弁当。
俺はパスタサラダの豚しゃぶ食べた。
喰い終わったら、みんな眠くなったので寝た。
凄い安眠だったと思う。
親父と寝る、最後の夜だった。
次の日、告別式
こっからはもうハイペースで。
俺も明日学校だ
途中までは昨日と同じ。
違うのは参列者の数くらい。多少減ったかな?
ここでちょっと重大な事があったんだが、話がそれるのでここでは書かない。
機会があれば書く。めっちゃ短いけど。
一頻り終わった後、出棺するってんで花を渡された。
いやいやいや、ここに来て俺理解できない。
これから親父どうするんだよ。
ちなみに、俺泣かなかったんだ。
これも前に書いたけど、割りきれてたから泣かなかったって思ってるんだけど
うーん、どうなんだろ。
で
周りはめっちゃ泣いてる。
鼻のすする音がそこらじゅうで。
ちょ、俺まで泣くじゃんか。
その時、門下生の一人が俺に聞いてきた。
「お兄ちゃん、悲しくないの?」
ってな
お袋なら泣け
お袋じゃねぇ、おかんだ
俺はその質問に答えられなかった。
そりゃ悲しいよ、悲しいに決まってる。
でも、じゃあなんで泣かないの?
わからん
「割り切ってる」って思ってるけど、俺はまだ実感出来てないだけじゃないのか?
そんな事考えてる内に俺に花が渡された。
置いた場所は今でも覚えてる、左耳の隣だ。
俺が置いたのはその一輪だけ。
他の花は参列者に俺が渡していった。
命日の前日、演舞をやった人にも渡した。
その人も涙ボロボロ流して悲しんでくれてた。
それを見たら、もらい泣きとかではなく素直に嬉しかった。
それはまた辛いな...
自殺の亡骸って本当にキツいよな。
花を全て棺の中に入れて、最後のお別れ
の前に、蓋に釘を打つか聞かれた。
おかんは泣きまくってて話せる状態じゃなかった。
俺に任されたわけだが、「釘」ってワードを聞いたときグラッてなった
実際、今も結構グラグラ来てる
俺は
「止めてください。親父に釘は、打たないでください。」
って伝えた。
それを聞いたおかんは、更に泣いていた。
それでも、俺は泣けなかった。
棺に蓋をして、顔を見る。
やっぱりいつもの寝顔。
今にも起きそうだ。
蓋を閉じる
その時におかんが
「いやぁぁぁ!!行かないで!!!」
って言葉が未だに耳に残ってる。
あの時は本当に泣くかと思った。
出棺
斎場の隣に焼き場があって、そこまで徒歩で移動。
焼き場の前に立つと、扉に吸い込まれそうな
なんとも言いがたい気持ちになった。
棺が扉に吸い込まれていく。
おかんはただ泣いてるだけだった。
泣いてないのは、俺だけだった。
焼けるまで多少時間がある。
その時間が地味に長いから嫌なんだよな。
参列者にお酌したり、お礼回りにで結構疲れた。
外の空気も吸いたいし、一旦俺は席を外した
外をブラブラ歩いてると、煙突から煙が出ていた。
「あー、あれ親父かー。」
とか思いながら見てたら、従業員らしき人が話しかけてきた。
なんでも、焼いている親父を見せてくれるらしい。
ねむいけど終わるまで読むからな
俺も聞いたときは一瞬躊躇した。
焼いてる途中とか見せて大丈夫なのか?
そのまま倒れたりしないか?
とか考えたけど、チャンスは今しか無いわけだし
最後を見てやろうじゃないかって思い、俺は承諾した
従業員の人が火を弱めてくれて、
「あれが君のお父さんだよ。」
と言って見せてくれた。
そこには
肋骨が見えていて、腕は肘から先しかない。
頭は頭蓋骨と肉が両方見えていた。
けど、さほど怖いとは思わなかった。
これはマジでわからない。
俺バイオハザード無理なのに。
一気に読んだ
結構前のレスの「スープは全部飲む」でヒヤっとした
俺の親父も4月に死にかけたんだ
あたり前の様にスープは飲んで2日に1回ラーメン次郎で食ってた
煙草も大量に吸って、酒も強いのでビール飲みまくってた
夜食も割と食ってた
それで糖尿で倒れて3日生死さ迷った
今は薬でなんとかなってるがたまに発作起きる
でも死なないでよかった
1人で語ってごめん、それに生きてるって話で
俺も母ちゃんが骨になったときはなぜか何とも思わなかったなあ
死んだときはずっと泣いてたのに
それを見た俺は、何故か虚無感に襲われた。
たぶん、それを見てようやく死んだんだなって実感できたからだと思う。
それから戻ると、またお礼回りに行くよう言われた。
飯も食べた。寿司が出てて、味がしなかった。
親父が焼けたとの事。
骨壺に入れるんだが、ここでちょっと嬉しい事が。
「喉仏」ってあるよな?
あれは、まぁ骨なんだが。
それを見ると、坊主が合掌してるように見えるから「喉仏」なんだそうだ。
通常、この骨は脆くて形が残りにくいんだが
親父のは綺麗に残ってたんだ。
斎場の人も
「ここまで残ってるのを見るのは2回目だ」
って言ってた。
ロストル式だからね。中々喉仏は出ないよ。
骨を納めて、蓋をする。
おかんは位牌、妹は写真、俺は骨壺を持つことになった。
いざ持ってみると、中々重い。
しかも、まだ少し熱いんだ。
昨日はあんなに冷たかったのにな
今の高校生とかって、親うざい死ね。とか普通に言うのがホントに腹立つ
俺は親父の葬式で親父の眠ってる姿見ても涙は出なかったけど、自分の友達が心配して来てくれた時に号泣した
気が緩むとやっぱり泣いちゃうんだよなー
参列者とは斎場でお別れ。
親族のみ実家へ行くことに。
親父、帰宅。
位牌と写真、そして骨壺が仏壇に置かれた。
そして、みんなで線香をあげた
大好きだったじーちゃんが死んだ時は泣けなかった
今その時の事を書こうとしたら思い出が溢れてきて涙が止まらんwww
なんで喧嘩したまんま逝っちまったんだよじーちゃん・・・
ここには書いてないけど、葬儀屋にも凄くお世話になったんだ。
一つ一つの仕事が出来るのは勿論、なぜそれをするのかって理由を、
歴史を踏まえて話してくれたんだ。
すげぇな、プロだなって本気で思った。
無事に告別式も終わって
親族の皆様にはお世話になりましたと伝えて帰ってもらった。
久しぶりの4人。
1時間くらい、3人で親父見てた。
その時は、おかんも忌もうとも泣いてなかった。
親父亡くなった奴多いな
そういや来月でじいちゃん死んで4年か
早いな
遺体が焼炉に入るときの母の泣き叫んだ声が今も忘れられない
それからは、
「普段の生活を取り戻そう」
ってんで、みんなで頑張った。
俺は無事に大学に行けたし、おかんも仕事してる。
妹は美大に行きたいとか言い始めた。
その後に、また別件でゴタゴタありました。
おしまい!
付き合ってくれた人達ありがとう!
早く寝ろよ!
今まで端折ってきたゴタゴタ編はないんすか
>>130
じゃあ礼服から
入学式に使うってんで、スーツ買いに行ったんだ。
そこで俺は
「なんか明るい系のやつ」
って言ったんだけど、親父が
「そういうのは色んなのに使えるように買うもんだ。礼服にも使えるやつにしろ。」
って言ったんですよ。
まさか、初スーツが親父の葬式とは思わなかったぜ。
遺言か?
次に告別式前のゴタゴタ
通夜の受付を、隣に住んでる仲のいいおじちゃんに頼んだんだ。
通夜はそれで大丈夫だったんだが、告別式に来れないって言い出したんだ。
訳を聞くと、いきなり倒れて失禁したみたいなんだ。
救急車に乗って近くの総合病院行ったんだが、心肺が停止したらしい
おいおい、こんな頻繁に死んでいいのかよ。
と思って告別式が終わったんだ。
その次の日に、なんと奇跡的に回復したって言うんだ。
人は死ぬ前に筋肉が緩んで失禁に近い状態になって
「これはダメだ...」
って思った中の回復だから、本当に奇跡だよな。
この前、その人と一緒な庭のモクレンの選定したんだ。
いやー、よかったよかった
で
全てが終わった後のゴタゴタ
おかんにガンが見つかりました
これは正直迷う
ここで書けばまず朝日を拝む
それくらい長い
どうしよう
>>143
書いてほしいっていうか明日学校なのも大変だから大丈夫なのか知りたい
心配だ…
ここまでいたら書いたほうがすっきりするんじゃね
よし
じゃあ書くか
もし書くんなら朝まで付き合う
付き合ってくれ
いつまでもメソメソすんな!!!!!!!!!!
誰でも人生一度は必ず経験すんだよ!!!!!!!!!
テメー一人になったから何なんだよ!!!!!
これからは一人で力強く生きていくんだよ!!!!!!!!!
それが親への最大限の供養だ!!!!!!!!!!
把握
天国に行けなくなっちゃうぞwwww
もう墓には入れたぜwww
9人くらいで済ませたぞ
じゃあ癌発覚からか
納骨式が終わった後の事だった。
会社で健康診断があるらしいが、特に心配はいらないって言ってた。
その帰り、とんでもないもんを持ってきやがった。
そう、癌だ
おかんはだいぶ憔悴していた
そりゃそうだ、つい最近夫を亡くしたのに次は癌かよ
おかんはそのまま寝てしまった
妹には言わないで、とのことだったので
謂わないでいた
次の日、妹が予備校で遅くなるって言うので二人で話した。
入院をしなくてはいけないこと。
初期の段階だから、強い薬を使わなくても大丈夫な事
妹にはおかんから言うこと
話し終わると、俺は自室で寝た。
おかんが可哀想すぎて見てられなかった
NHK付けながら見てたので目から汗がにじんできた
>>163
同じ..
俺最近母親と喧嘩して2日間口聞いてないんだ。それまで親とは仲良くて喧嘩とかほとんどしたことなかったんだけどさ。
このスレ見て今日謝ろうと思った。親は大事にしないといけないな
起きると朝の4時だった
おかんはまだ寝てる
俺は早すぎるけど、大学に行くことに
始発もまだ動いてないけど、おかんと顔は合わせられなかった
地元をフラフラしてるとおかんからメール
「いまどこにいるの?」
返信はしなかった
始発の時間になり、学校に向かった
その日の講義は全然頭に入らなかった
帰りたくなかった。
でも帰りに遊ぶところなんて知らない
この時も、おかんには会いたくなかった
家に帰ると、おかんはまだ帰ってきてなかった。
その代わり、いつもいないはずの妹がいた。
なんでも、予備校が休講になったらしい
何でこんなときに...
本気で神様を恨んだ
そうしてると、おかん帰宅
最低なタイミング
おかんは悲しそうな顔をしてた
その時にハッとなった
もう親父はいないんだから、俺がおかんを支えなきゃならんのに
なにやってるんだ
ということで、おかんが入院するために必要な手続きは済ませておいた。
あとは入院するだけってとこまできた
おかん、入院
そのあいだ、姉さんが来てくれることになった。
さすがに子供二人で何日も家空けるわけにもいかないからな
妹には
「悪性の無い腫瘍がある。放っておくとあくせいに変わるので先に取っておく為入院」
とした
そんなもんはないけど。
追いついた!
親は大切にしようと思いました。
ありがとうな>>1
癌とは言っても、初期だから大丈夫とは聞いていた。
手術予定日は7日後
それまで毎日見舞いに行き、
調子はどうか、ご飯は食べられてるかなど
お互いに聞きあった
途中、こんなことを言ってきた
「お父さん死んじゃって、大変な時期にごめんね。頑張って早く治すからね。」
って。
実はテスト期間だったが、おかんにそれは言ってなかった
余計なシンパイかけて悪化させたくないしね。
で
手術当日
俺はテストで行けなかった。
それが凄い悔しくて、申し訳ない気持ちで一杯だった
テスト中も、おかんの事ばっか考えてた。
まぁ、中身は何とかなりました。
しかし、テストが終わっても何の連絡も無い。
これはおかんの身に何かあったのか?
友達に断って、先に帰らせてもらった。
学校から病院までが地味に遠くて1時間半とかかかるんだよ。
その間もずっと連絡なし。
これは本格的にマズいんじゃないか?
病院に着くまで連絡は無かった
病院に着いたはいいけどどこにいけばいいのやらさっぱり
病室行っても誰もいなかったから、ナースさんに聞いた。
手術室は地下一階にあるらしい
エレベーターが中々来ないので階段で行った
そういうときのエレベーターってじれったいよな
すまん、規制喰らってた
手術室の前に行くと、姉さんと兄貴がいた。
妹は予備校
今日が休講じゃなくて本当によかった...
聞いてみた
「おかんいつから入ってるの?もうすぐ終わる?」
兄貴がいる時点でそんなことは無かったけど、確認したかったんだ
もし、万が一何もなければ普通に答えてくれるはず。
普通じゃないから答えてくれなかった
予定じゃ、朝の9:00からって言ってたんだよ
だっておかしいだろ?
朝の9時から夜の6時まで手術してんだぜ?
初期の段階じゃなかったのか?
もっと進行が酷かったのか?
色々頭の中でぐるぐるなった。
と思ったら
ランプが消えた
3人ともドアを見る。
中からDr.が出てくる。
「成功しました。」
ひとまず安心。
しかしなんでこんな時間かかったんだ?
「ですが後遺症が残ります。」
.....................え?
おかんには前から言ってたみたいだが、左腕が満足に動かせなくなるらしい。
とは言っても、重いものが持てなかったり肘を全開で伸ばせない程度のものだった。
長かったのは、その後遺症を少しでも押さえようとして手術をしていたかららしい。
しかし、そんなことは寝耳に水である。
初めて聞いたぞ、オイ。
続いておかんが出てきた
全麻が効いているためか、そんなに意識ははっきりしていなかった
俺はただ、呆然とつっ立っているだけだった
病室に戻ると、おかんが話しかけてきた
要約はこうだ
・後遺症について言わなくて申し訳なかった
・妹には最後まで言わないであげて
・すぐよくなる、あと少し待ってて
こんな感じ。
全麻効いてるのに無理して喋るなよ...
俺は家に帰った
自分の部屋のベッドで寝た
気持ち悪いくら泣いた
一頻り泣いた後、おかんに電話した
電話に出たおかんはさっきに比べたら話せていた
・一緒にリハビリ頑張ろう
・こっちはうまくやってるから心配ご無用
それだけツタエテ切った後、また泣いた
見てるよ、がんがれ
なんでか身内が亡くなると、続けて不幸があるよな。
うちは、嫁のお婆さんが亡くなった一週間後に嫁が亡くなるし。
こうは考えたくないけど、故人がつれに来たと思ってしまう。
まさか20代で喪主をやるとは思っても居なかったし、死んだことがわからない3歳の息子に、お母さんいっぱい寝てるね~って言われたりした時すごく胸が苦しかった。
俺は悲しくてずっと泣きたかったけど、息子に悪いと思ってずっと息子の前では笑顔で嫁を送ってあげたな。
>>194
事故?
>>197
車の事故だった。
その時、息子と二人で俺の実家に行ってて自分の家に帰ったら居なくてそしたら…
実家から自宅まで2時間くらいの所なんだけど、車の中でお母さんと早く逢いたいね~って言ってたらそんな事になって、急な別れは自分も息子も理解できなかったな
>>204
気の毒に、何とも言いようがないな…
今はもう整理ついて?
>>194
確かに分かる
何故か不幸が続くんだよな
保守
寝落ちみたいだな
支援
俺の親父癌で死んだんだけどさ 死んですぐって実感わかないんだよな
葬式とかも泣かなかった 結構耐えられるもんだなとか思って過ごしてたら
半年ぐらいして親父と楽しくやってる夢みた 起きたら泣いてた
すまねぇぇぇぇ
おはよう
学校はもういいや
残り投下してくぜ
>>207
待ちくたびれたぜ。
俺も学校はサボることにした
そっからのおかんの回復は凄かった
本当に「治したい人」って眼の色変わるぜ
退院してきた時は左腕吊ってたのに、2日後にはそれも取れた
あとは飯
飯は普段からよく食べるおかんなんだが、その時は米を一人で二合は食べてた
ホントに喰ってた。
米をおかずに米を喰ってる感じだよ、もう
それ見てたらさ、弱音とか言ってらんない
お互いに勇気付けられたと思ってる
でも、おかんがいくら頑張ってもやっぱり後遺症は残るんだ
左腕はやっぱり伸ばせないし、重たいものも持てない
具体的に言えば、買い物だよな
左手でレジ袋なんて持てない。
だから、買いに行かないで済む生協も勧めたし
買い物行くときは俺も一緒に行ってる
それ以外は普通の生活送ってる
最近やっとそう思えてきたんだ
今は
俺大学生
おかん事務
妹JK
犬
でなんとかやってってる。
これで全部話したよな
うん
それくらいだ
付き合ってくれた人達ありがとう!
こっからは全レスしてくぜ
マジか
頑張ろう...!
親は生きてるうちに目一杯大事に、適度に世話焼かせてな
うん、それ今回痛感した
親父にはもう親孝行できないけど、おかんにはまだまだ生きてもらわなきゃ困る
大切にするわ
2歳で母が、8歳で父が逝ってしまったよ
凄い環境だな...
辛かったな、でもそこまで行けたんだからまだ行けるぜ
頑張ろうな
顔みただけでこのスレ思い出して泣いちゃいそうwww
親孝行してやってくれ!
したいときにはいないって本当だぜ
おはよう
微妙に寝てきた
あーうん・・・
がんばれよ
頑張る
そのままハロワ行こうぜ
うちも親父1年前に亡くした。本当の親父だったんだけど赤ちゃんの時に離婚して中学で親父とオカン寄りもどしたんだけど馴染めなくて随分反発した。
ガンと分かってからの一年は死なせたくないの一心で毎日看病に行った。
たまに元気な時に親子で話た事が楽しかった。
もっと可愛い娘でいれば良かった。後悔してるよ。
でも最後に打ち解けられて良かった、最後は吐血ひどくて苦しみながら亡くなった、もっと楽に逝かせてあげたかったよ。
いまでも夢にみる。
本当生きてるうちに親孝行してあげてよね。
昨日親父が癌の可能性があるとわかった俺には辛いスレだ。。。
1は親のありがたみを俺らに伝えてくれた
なんも言えないです・・・
はっきり言うと 人が死んで悲しむのは親族の一部のみ 喜ぶのは年金ぼったくり相続税ぶんどりの国と葬儀社 そして坊主
めんどうなのは、家長が死ぬと相続税について税務署からおたずねが舞い込む 遺産が多くあるほど親族でもめることも多い。
俺は親父もお袋も兄貴も全員早死にで看取った。 家族がいなくなると自分もすでに死んでいるのかと錯覚してしまう。これは家族にしか分からない実感。
逆境に負けずに頑張って生きてるね。
俺のオヤジも、アッサリ死んじまったからな・・・・・・・
あの時は、心臓握りつぶされたような気持ちだった(涙
7月に親父亡くした俺からすりゃ、気持ちがよくわかる
あの無くなった直後の虚無感はなんだろうな
やっぱあの声を聞こえなくなると思うと、やっぱ寂しくなるわ
俺の親父が5年前ぐらいに腎臓癌発覚
癌の宣告にショックうけてた親父に「あれだけ体に悪いと言われ続けてるタバコを長年吸い続けてたんだから癌になる覚悟ぐらいあったんじゃないの?」ってバカにしてやったわ
腎臓は2個あるから1つ摘出手術して今は元気にしてるよ
手術前もどうせ一個取るだけじゃないのーって言いながら家族で笑って送り出したし、緊張感なかったな
さすがに懲りたのかタバコはやめた
まぁったく、腎臓でよかったわ…
中2の時に母親を癌で亡くした。親父はまだ健在で姉たちが親父を支えてくれている。
ウチの家族の絆は母親が死んだことで強くなった。
俺の親父は難病でだんだん体が動かなくなっていくってやつ。
車いすで病院行ったりうんこ拭いたりで大変だった。
涙の味を忘れないで
俺も親父が癌で死んだ直後に母親に乳癌見つかってひっくり返りそうになったな。
幸い親父と違って手術できたけど。
女の人はそういう時本当に強いよ。
親父はもう末期で余命宣告を医者から呼ばれて俺だけ聞いたときはドラマ見てるみたいだった。
それから本人に伝えるまでの数日は地獄だった。
半年って言われたけど結局1年半粘ったね。すげー攻撃的になって当たられまくったよ。
両親は離婚してて正直親父ともそれ程上手く行ってなかったからムカついた事も沢山あった。
あっちこっちに女作って死にかけてんのにそいつらが病院押しかけてきて俺に何とかしろ、とか言われたり。
親戚からも色々心ないこと言われたよ。
親父が死んで3年たつけど、ようやく整理がついてきたよ。
感謝してる部分も憎んでる部分もある。迷惑かけた罪悪感もある。
でも全部あっていいんだってやっと思えるようになったよ。
親じゃないけど小学生のころからの友達が死んだときは不思議なかんじだったな
「また遊ぼうぜw」「おうw」なんて話した翌日に死んだから実感が全然わかなかったし
死んで一年たつけどいまだに電話したら出そうな気がする
四年前、仕事から家に帰ったら、パトカー家の前に止まってて、父が亡くなっていた。その一年後一緒に住んでいた祖母も急に亡くなった。そのときのことを思い出した。実感がなくて、悲しいんだけど、悲しいとも思えなくて、涙さえ出てこなかった。
>※9のことはよくわかる。
なんか読みにくい文章の書き方だなー
一々結論が後にくるのが腹立つ
あ~…とりあえず連休は実家帰るか
うちの親父も4か月前に亡くなって死に目に会えなかった
脳幹出血だから傷もなく体が残ったけどそこに体があるのに冷たいってのはきついもんだな
火葬の意味がようやくわかった
形が残ってると親族には辛すぎるんだわ
葬式ってのは親族のためにあるもんなんだなと思った
人が亡くなった後って不思議な虚無感があるよな。
去年一昨年って立て続けに祖父母が亡くなったけど、何も言えなかったし泣けなかった。
ただ、名前を呼ぶ声とか、笑い声とか、叱る声とか、もう聞けないと思ったら、辛くなった。
生きてる時は煩わしいとさえ感じたのに、やっぱり居なくなると寂しいもんだよな…
だからこそ親が生きてる内に後悔しないように、精一杯親孝行をしようと思う。
去年の12月31日に親父がしんだ。もう早くて一年たってしまう。虚しい。
俺の親父も半年前死んだよ。
仕事をリストラされて、肝臓が働かなくなるまで酒に溺れて死んだんだ。
2年前にも肝臓不全で全身が黄色くなるまで飲み続け入院したが、その後も酒をやめれず黄色くなり、また入院して一週間で逝ってしまった。
あまり家にも帰ってこないし借金も作ってくる、ろくでもない親父だったよ。
だけど死んだ後に親父の元同僚の人に聞いたんだが、実は親父は一度目にリストラされた会社に頭を下げて働かせてもらってたんだと、そしてその職場じゃけしていいとはいえない扱いをされてたんだということを聞いた。
そこもまたクビにされ、入院した時にやめた酒に走り死んだんだ。
家族はいつまでもいるわけじゃない・・・、明日にも死ぬかもしれない・・・、これを見た奴はほんの少しでもいいから何かしてやりなよ。死んだらほんとのほんとに終わりなんだから
うちの母親も俺が小学生のときに死んだな。
物心つく前だったから泣くこともできなかったわ。
本当、出来る範囲でほんの少しだけでも心を向けてあげるだけでいいんだよね。
親孝行しなきゃ、親孝行しなきゃってハードルあげちゃうと疲れちゃうからさ。
たまに電話したり、顔見せるだけでもいい。
家族の形はそれぞれだから、こうしなきゃいけないって言うのはないと思うんだ。
お袋とおかんの違いって何だ???
泣く泣かんってそんなに大事か??
なんだよなんだよ
最初なんだこのクソ>>1は
vipなんてしてんじゃねーって思ってたのに
なんだか泣きそうになっちゃったよ。
オレ一人っ子で片親だからちゃんと親孝行しなくちゃなー
ゥゎ━。゚(゚´Д`*゚)゚。━ン!!
俺も1カ月ちょっと前にすい臓がんで親父が死んだ
今でも一人っきりの時とか泣いてるわ
葬式の時準備とか寺とか市役所とか全然頭に入ってこなくて俺クズすぎる
今も頑張んなきゃいけないのに精神的にまいってきた…
こんな姿親父に笑われるわw
少林寺拳法やってるから余計引き込まれたよ…
とりあえず実家に電話したくなった
そんな好きじゃなかったばぁちゃんが死んだ時は何故か涙がとまらなかったな
お前ら、身近にいるからこそ大切にな。大切な人は急にいなくなるんだよ
オカンが乳がんで手術したわ
初期段階で大したことなく抗がん剤の薬飲んで行けば95%治る
って言ってたけど正直死ぬほど心配
しかし、親父の家系は全然病気にならないな・・・
お前らいくつだい?
ちゃんと実家に帰ったり電話したりしてるか?
20歳で出てったとして、家に帰るのは年末年始くらいか?
年に5日会っても、あと親と会えるのは200日もないかもしれないんだぞ。
ちゃんと親孝行しろよ。
俺の親父は、子供のころから酒飲んでわ俺らを殴ったり、意味もなく叱ったり、お袋いじめたり、借金どっからか作ってたりしてるんだが、こんな親でも死んだら泣くんだろうか・・・?今の心情的にははっきり言って泣いてあげたくない。
やばい、スレ読んでるだけで胸が苦しい。
うちの親父は3年前に癌で亡くなった。入院して1年近くは持ったんだが
のど穴開けてしゃべれない親父、どんどん痩せていく親父を見舞うのが苦痛だった。
それでも口からはみ出た舌の乾きを潤してあげたり耳穴に流れ込んだ癌の膿を
綿棒で掃除してあげたりしてた。
「この歳になっても生きたいという気持ちはある」
親父はそう言って入院し、そして死んでいった。死に際はわずか3分遅れで着いた。
親父の死に際の涙を見つつまだ暖かい手を握り締められたから見送りは出来たと思う。
彼氏の母に末期の肺ガンが見つかった。
余命は1年は確実に持たないって言われてた。
それから半年後、今の旦那と入籍した。
入籍した3日後に、義母に会いに行った。
(それまでも月に2回は行ってた。遠方)
入籍の報告をした。義母はモルヒネを服用してた。
さらにそれから3日後、義母は息を引き取りました。
私の名前を何度も読んでた。待ってたのかなって思う。
『そろそろ逝くか?』と義父が尋ね、
「うん」と答えた義母が最期でした。
出来るなら…会いたいです。今でも涙が出てしまう。
義母がなくなって1年半。来年は三回忌です。
なんだろ
母親の兄弟をこいつが兄さん姉さんと書いてるとややこしくなるから叔父叔母って書いてほしかったなー
読んでてずっとモヤモヤしてた
お父さんの門下生はロクデナシだな。
「お兄ちゃんは悲しくないの?」
こんなセリフを故人の実の息子に言えるような人でなしがいるとはな。
あぁ、私の父が亡くなってから4年近くか。
死亡日からしばらく、落ち着くまでは平静でいられたが、家族がようやく
泣かなくなり、普段の生活を取り戻したころに送れて私の精神状態が一気に
ガクっときて、それから毎日号泣した。
未だに亡くなった瞬間のショックがフラッシュバックしてくるよ。
7月に親父をがんで亡くした、ちょっと前に叔父をその前に祖母も亡くしてる。
いま、「希望」って言葉がとても虚しい意味の無い言葉に聞こえる。
今は生きる事に執着が無くなった、いつ死んでもいいかなと思うようになった。
本当に生きていても良いことなんて無いな、死んだ身内を見ているとそう思う。
どんなに頑張っても不幸のオンパレードさ。
そうは言っても諦めたら終わりだけどな、もっと下しかないからな。
うちの祖父も去年2月に老衰で亡くなった。
葬式が終わり、翌日の出勤時(昼)にパチンコ屋の前を通ったら祖母(祖父の嫁)の自転車が止まっていた。
不思議に思い中を見ると、パチンコを打っていた。
理由を聞くと「家にいると哀しくなるから・・・」と言った。
確かに顔は哀しそうだったが、口元が笑っていた。
7月に祖母を亡くしたんだけど、泣けなかった。
その後も全く人ごとのように感じてしまって・・・
同じ家で暮らしてたはずなのに。
今思えばもっと仲良くできたら良かったのにとか、泣いてあげられたらよかったのにとか後悔ばかりだ。
これ見てて泣けるはずなのに、何で自分の事だと泣けなかったんだろうって思う。
毎年四桁の人が交通事故で亡くなっている。
それに入ってしまう人の多くは本当にたまたまで
朝「行ってくるね」と残したまま、帰ってこなか
ったりするんだよな、とか。
なんでなんだろね。
ほんと、もう事故のことは怒らないから帰ってお
いでよ。
親が死んで悲しいのは中学生以下だと思ってたから意外だ
両親健在。
想像がつかないから>>1の気持ちはわからない。
でも今両親の姿を見たら泣きそうだ。
明日は俺が両親に晩飯を作ってみよう。
明後日は俺が母の愚痴に付き合ってみよう。
その次は仕事帰りの父にお疲れ様ってだけでも言ってみよう。
とか考えた。
とりあえず今日は>>1に感謝します。
俺のおかんも今、癌なんだ・・・。
1つは手術と薬でようやく落ち着いてきたみたいだけど、これからまたもう1つの方の治療の為に入院するんだ。
今は元気だけど、いつどうなるか分からないもんな。
明日、顔を見に行く事にするよ。
なかなか病院いかなかった最大の親不孝しておいて、偉そうだな
先月親父を亡くした。
なんとなくPCいじっててここにたどり着いた。
元気な頃は、あまり会話も無く親孝行らしいことは何も出来なかった。
1年強入退院を繰り返したが
昔のことより、この間の思い出が強く残っている。
入院当初、うざいから丸坊主にしたら?と言ったら色気が無くなると冗談まじりに言っていたが
亡くなる数日前に「丸坊主にするか?」と聞いたとき
「オレ、死ぬときはいつもの顔で死にたい」って言ったのが今でも耳に残る・・・
最後の一年は、すごく可愛い親父だった。ありがとう。
うちの父ももういないけれど
10年経った今でも家族と父の話をしょっちゅうする
悲しみは薄れたけれど父の存在感は変わらない
今年で22歳になりました
ありがとうお父さん
またこれから10年がんばるよ!
そういや、うちのオヤジも死んだんだよなぁと思った
ずっと一緒に暮らしてなかったから、未だに実感ないな
ときどき思い出して、すげー虚無感に襲われるけど